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妖精の系譜 №35 [文芸美術の森]

十七世紀の妖精詩 3

     妖精美術館館長  井村君江

ヘリックと衰退する妖精王国

 ブラウンの『ブリタニア田園詩(パストラル)』をヘリックの詩が継承したという説や、ヘリックの詩が出されたあとにブラウンが出ているので、ブラウンがヘリックの影響下にあったという説などさまざまにいわれている。ともあれへリックは、母親が亡くなるとバッキンガム公の礼拝堂の専属司寮を辞め、ロンドンの寮を辞め、ロンドンの都会からコーンウォールの田園に移ったのであった。デヴォンシャーのディーン・プライアの司祭館に住んで、緑の丘陵地帯や美しい自然の中で超自然の生きものたちと交流しながら生活し詩作を続けたのであり、その村の教会は今も緑の木立に静かに建っている。草地のコオロギの声を聞きながら教会の礼拝堂の祭壇を見つめるうちに、ヘリックの想像力は妖精国のオベロン王へと向かい、次々と興味深い映像を生み出しそれを詳細に描いていったのかも知れない。

  いにしえのローマのパンテオンにも、これほど多い神はなかったろう、
       (中 略)
  壁龕(へきがん)には黒玉より黒い
  王が崇拝するコオロギが安置され、
  そばには磨きあげた卵形のくぼみに
  貴重なカブトムシが立ててあり、
  これに似たアーチには尊い毒蛾が入っている。
  また円くえぐった形のなかに置かれているのが、
  オベロン王の貴い神である緑の毒甲虫(カンタリディース)。
        (中 略)
  妖精たちは知っていたのかも知れぬ、
  自分たちの宗教が混ぜ合わせのものだということを。
  半ばは異教的、半ばはローマ教的と
  そう言っているのを聞いた人もいるのだ。

 これは『妖精の神殿、あるいはオベロンの礼拝堂』の一節であるが、「コオロギ」「カブトムシ」「毒甲虫」などの昆虫を妖精たちが神々として崇拝しているということは、草深いデヴォンシャーの自然に住む生きものたちとの身近な交流からの連想であろう。一方、異教の神々の末裔である妖精側から宗教を描くということは、ローマのカトリック教に対する一つの諷刺ともとれるのであり、教区司祭であったヘリックが、なぜ異教の生きものである妖精の世界を詩に歌ったのか、その理由のひとつがこのへんにひそんでいるように思われるのである。
 『オベロンの酒宴』『オベロンの宮殿』とこのほか妖精王オベロンに関する一連の作品を書いているヘリックには、オベロンを中心にした妖精王国の長篇を書く構想があったようであるが、完成をみなかったことは惜しまれる。この他『妖精たち』『もの乞いからフェアリーの女王マプへ』『夜曲、ジュリアへ』などの作品の中心に、薄明かりの森の中を、女王マプのもとへいそぐ銘訂したオベロンや、黄昏の空をコガネムシの背に乗って飛ぶ妖精や、恋人との密会に忍んでいくジュリアに星の光の中でつき添っていく妖精たちが描かれている。ヘリックはデヴォンシャーの村人の間にまだ信じられていた妖精信仰を知っており、次のようにそれを歌っている。

  マブの好意を得たいなら、
  お皿かたづけ、火を起こし、
  日暮れの前に水を汲め。
  桶を洗って搾乳器みがけ
  ぐうたら娘を妖精は嫌う、
  家をきれいに掃除せよ、さもないと、
  マプに爪先つねられる。

 しかし総じてへリックの妖精たちは、オベロンを主題にしたこうした詩にみられるように、細かい手のこんだ細密な写実的描写にとらえられ、神秘の闇から明るい現実へと引き出されたように思われる。ヘリック研究で評価されたドラットルは「ヘリックのフェアリ1はきびきびとして面白い操り人形であり、彼らの演じる芝居も非常に手のこんだのぞきからくりである。これらは実人生からの直接の産物というよりは、偉大な芸術家の辛抱強い努力の賜なのである」と言い、ヘリックを最後としてイギリスの妖精詩は「消滅した」と言っている。確かに妖精たちは微に入り柵を穿った描写のうちに美化されてくるが、生命の抜けた文学的な形骸と化し、人間のミニアチュア版となって、人間世界とは関係のない別枠の異界に住む存在物に納まってしまった感がある。
 これ以後妖精王国は、粉飾の重みの中でいっそう生命を失っていき、マーガレット・ニューカースル(一六二四-七二)がヘリックの影響の下に妖精詩『地球の中心なる妖精の国における妖精女王の気晴しと冒険』といった一連の詩を作るが、空想の遊戯のような感じをまぬがれない。

 妖精女王は生まれおちると
 地球の環の中心にある大いなる王国を継いだ
 そこには多くの泉が湧き小川が流れ
 きざ波は女王のまばゆい光できらめき、
 山はみなまじり気なしの純金で
 石はみな全きダイヤモンド……

 また妖精の街は「脳髄(ブレイン)」で硬膜(デュラ・マーテル)と柔膜(ピア・マーテル)の二重の城壁に取り巻かれているとされ、「その空想は妖精が描く給となる」となっているが、これは妖精が人間の頭脳の中の空想裡に住む、空想から作り出された映像ということであり、現代人から見れば妖精が無意識の世界のフロイド的な夢や空想、さらにはリビドーといった性的象徴化の産物という理屈っぽい説明がされているようで、妖精たちは脳裡の壁の中に閉じ込められた感じさえしてくる。

『妖精の系譜』 新書館



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