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武州砂川天主堂 №10 [文芸美術の森]

第三章 明治四年 2

         作家  鈴木茂夫

四月二日、東京市内。
 家の中にいても、訪ねてくる信徒は一人もいない。マラン神父は、ミドン師と連れだって気の向くままに足を伸ばした。
 目の前に、賑やかな一画が現れた。ここは日本橋だと教えてもらった。
 マラン師は、目を見張った。さまざまな様式の衣装をまとった人たちが、行き来している。女はあでやかな文様の着物に太い帯、浮世絵に見るそのままのようだ。藍染めの着物に角帯(かくおび)、前垂(まえだれ)を締めた男たち。男たちは、通りに面してのれんを下げている商家に出入りしている。この男たちの頭は、ちょんまげのままと短く刈り込んだざんぎりの二通りだ。頭の上で、伝統と文明開化が渦巻いているようだ。
 混み合う通りを馬車が走り抜ける。その中には、フロックコートに身を固め、ひげを生やした男がいる。倣然(こうぜん)と群衆を見下ろしながら去っていった。
 黒い詰め襟服に白い兵児帯(へこおび)を巻いた一軍が現れる。兵士だ。教会の近所の人から噂は聞いている。京都から東京へ来た天皇を護衛する近衛兵だ。新政府が編成した最初の直轄(ちょっかつ)兵力で六千数百人がいるとか。
 二人は、石組みの美しい江戸城の内瀞に沿って歩く。徳川の本拠だったこの城も、今は皇居に生まれ変わって、城門には、近衛兵が立って警戒していた。
 この町には、いくつもの顔がある。
 いつしか静かな屋敷町の中に入っていた。立派な門は閉ざされることもなく内部の様子を見ることができた。主人と思われる中年の男が、クワを振るって土を耕している。切り倒された桧やツバキが積み重ねられ、桑の木や茶の木が植えられているのだ。何とも収まりの悪い奇妙な光景だ。最近になって生じた変化のように見える。
 マラン師はミドン師に目配せして屋敷内に入っていった。その気配に、男は顔を上げた。見慣れぬ二人の異人、男の額に困惑したしわが寄る。
 「何か当家にご用でございますかな」
 ミドン師と二人並んで頭を下げる。
 「今日は、お邪魔をしていいですか」
 二人の笑顔に、男の額からしわが消えた。
 「はっ、いや、ま、ともかくもお上がり下さい」
 二人は渡纏した十畳間へと導かれた。
 床の間の刀架には大小二振りの刀、壁には山水画が懸かり、その↑には香炉が置かれてあった。部屋の隅には、書見台と書籍が置いてある。
 座敷から眺めると、畑や桑、茶の木は、手入れしてあった庭の風情をめちゃくちゃにしている。
 高島田の妻女が、茶を運んできて、深く一札して去った。
 しばらく待つと着替えをした主人が現れた。一礼すると、
 「拙者は、将軍家にお仕えしてまいりました旗本の一人でございます。すっかり時代から取り残されて、恥多い余生を送っておりますので、姓名を名乗ることは、ご勘弁ください。武士としては、主人徳川家に従い、静岡に行くべきであったのですが、年老いた病身の母がおりますことを口実に、住み慣れたこの東京にとどまり、いたずらに日をすごしております。ご維新の後、日々のくらしにも事欠くことになって、庭を畑にして暮らしております」
 二人は、主人の語ることをすべて理解できたわけではない。しかし、あらましは分かった。
 さらに続いた主人の話を要約すると、明治維新で旗本は職を失った。一部は、徳川慶喜に従い、新たに与えられた領地静岡に移住したが、大半は東京に残った。しかし、生活韓のため、旗本たちは屋敷を放棄するようになった。武家屋敷は、東京の市部の約六割を占める。新政府は、それらが空き家となって荒廃するのを怖れ、その対策として、需要がある桑や茶の栽培を奨励しているとのことだった。
 二人して、神の教えを話すと、
 「誠にご懇篤(こんとく)なお話で痛み入ります。何せ、キリシタン宗門は、厳しくご法度と、積年申し聞かされてまいりましたし、わが家は旧弊(きゅうへい)な仏教徒でございますので、その儀はどうかご容赦ありたい」
 とひたすらに拒むのだった。
 ひとしきり、話し合い、二人は帰途につく。
 立派に手入れされ、数人の士卒が警戒している屋敷もある。それは新しい支配者となった新政府の高官が接収した元の大名屋敷だ。
 勝者となった新政府、敗者となった徳川の武士たち、時代の光は、その明暗を照らし出している。.

四月五日、東京市内。
 マラン師は、気さくな性分である。どこへでも出かけて行った。黒い帽子に法服、洋傘と聖書を手にして町から町へと歩き回った。人びとは、驚きと奇異の眼で見つめている。マラン師が帽子に手をかけて、
 「みなさん、良いお天気でございます」
と挨拶すると、慌てて笑顔となり、会釈を返してきた。見慣れぬ異人の口から、日本語が出てきたのが、納得いかない様子なのだ。
 築地から川筋を歩いて行くと船着き場があった。小舟で佃島に渡る。掘割に小舟がひしめき合ってもやってある。魚の匂いと汐の香りが入り交じった町だ。漁師の住む長屋の露地に、さまざまな小魚やエビ、貝を煮付けて売りに出している。マラン師は、日本へ出発する前に数日を過ごしたマルセーユの港の市場の賑わいを思い出した。
 気がつくと、遠慮のない大勢の子どもたちがまつわりついていた。つぎはぎのあたった袷の着物に帯を締め、わら草履を履いていた。
 「伴天連(ばてれん)(神父)さんだよ」
 「伴天連さんは、怖かないのかい」
 子どもたちが叫び声を上げる。そしてどの子も好奇心に満ちあふれた眼を光らせていた。
 マラン師は、横浜でもそうしていたように、
 「今日は」
と、帽子を取って手に振った。子どもたちがどよめく。マラン師は語る。
 「私は伴天連です。私はマランと言います。私は築地鉄砲洲(てっぽうず)の、稲荷橋のそばに住んでいます。なんでも聞きたいこと、習いたいことがあったら、訪ねてきて下さい」
 子どもたちは、大喜びだ。気がつくと子どもたちの輪の外に、大人が数人、腕組みして眺めていた。
 きっと町の世話役と下役人だろう。その顔にも敵意は見られない。
 マラン師の前に、一人の子どもが手を出した。マラン師がその手を握ると、その子はさっさと手をっないで歩き出した。町の中を案内してくれるのだ。
 掘り割りのそばに神社があった。「スミヨシ」と子どもが教えてくれる。このおかげで、町の暮らしぶりがどうなっているのか理解できた。
 「伴天連さん、また遊びにきなよ。おいらのおっ母が土産にこれをもってってくんなってさ」
 他の一人が、竹皮にくるんだ佃煮を差し出した。
 「ありがとう」
 マラン師は、右手で十字を切り、両手を合わせて深く一札した。隅旧川の河口部の小島に、まぎれもない純朴な庶民が息づいている。また、近いうちにここを訪ねよう、心充たされてマラン師は帰途についた。
 夕べの祈りを終えたあと、二人の神父のつつましい食膳に、贈り物の佃煮があった。箸につまんで、口に運ぶ。濃い味わいに、思わず顔をしかめる。だが、甘辛い風味と小魚のほどよい歯ごたえが口の中に広がった。米の飯との相性はよかった。
 「素敵な食べ物をお与えいただき、ご加護に感謝します」
 マラン師は、低く口の中でつぶやいた。

『武州砂川天主堂』 同時代社



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