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雑記帳2022-9-15 [代表・玲子の雑記帳]

2022-9-15
◆小金井市にある尼寺、三光院で、『知の木々舎』でおなじみの斉藤陽一さんによる『源氏物語絵巻』を読み解く講座が開かれました。9月から月1回の3回シリーズです。

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源氏物語絵巻をはじめとして、、伴大納言絵巻、信貴山縁起絵巻、鳥獣戯画絵巻は四代絵巻と呼ばれ、いずれも国宝です。
西洋にはタペストリーはありますが、日本の絵巻のような絵画はない。貴重なジャンルなのです。

誰もが知る、絵巻の元である『源氏物語』は今からおよそ1000年前、紫式部によって書かれました。原本は現存せず、最古の写本は鎌倉時代の、藤原定家によるものとされています。全54帖。文字数にすると100万字。400字詰め原稿用紙にして2300枚にもなる、いわば大河小説です。

平安中期に書かれた源氏物語は100年余り後の平安後期に最初の絵巻が描かれ、鎌倉以降様々な絵巻が生まれました。54帖、100枚を超えたであろう絵巻で、現存するのは、徳川美術館に15枚、五島美術館に4枚の、計19図だけです。

絵巻の発注者は上皇や女院、製作は当時の国家プロジェクトでした。
製作には4つの画風の異なるグループがあたり、物語の、繊細、おおらか、明快、可憐のテーマにそう場面を担当したとされています。そして、『源氏物語』の愛読者が主に女性であったことを考えると、グループの中には絵の巧みな女性もいたのではないかとも思われます。絵師たちは、単に挿絵には終わらせず、物語を読み込で十分に理解した上で、象徴的に描いているのです。

桐壺からはじまり、須磨・明石を含む最初の14帖は失われています。源氏失意の時はどんなだったかを知りたい読者に応えて、江戸初期に描かれた絵巻が残っています。

『源氏物語』のこれらの基礎知識を踏まえた上で、この日は講座の1回目。現存する初めの4枚をひもときました。

先ず最初は15帖『蓬生』。
都落ちした光源氏は2年後、復権して京に戻ります。源氏が昔関係のあった女御、花散里を訪ねる途中、源氏の庇護を失って貧困のうちに源氏の帰りを待つ末摘花の邸に立ち寄る場面です。一途に待ってくれていた末摘花の真心にうたれた源氏は彼女を最後まで庇護することを誓います。恋多き源氏は誠実な人でもありました。

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画面左下に従者の惟光、右上に老女が描かれています。
隔てるのは生い茂った雑草。それは源氏と末摘花の2人を隔てた3年余を象徴しています。
画面左の源氏の傘の上方には松、藤の花、柳が描かれ、それぞれ待つ、誘う、招くを象徴すます。朽ち果てた御簾は相当に困窮した暮らしぶりをあらわしています。
画面にヒロインはいません。待ち続ける心を象徴するかのように。
主人公を描かずに心を暗示するのは日本絵画の特徴です。絵師は原作に対する深い洞察が求められるのです。

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下は復元した『蓬生』

1999年~2005年に絵巻に関する一大プロジェクトが行われました。それは、剥落、変色、褪色の激しい絵巻を、科学的調査に基づいて同素材、同技法で復元するというものでした。末摘花を担当したのは加藤純子氏。
雑草の濃い色は緑青、淡い色は白緑。生い茂る雑草は10数種。よく見ると銀もつかわれています。銀を用いて平安の絵師が描こうとしたのは月光でした。加藤さんはそれらを丹念に復元したのでした。

次は『関屋(16帖)』です。
京へもどった源氏がお礼参りに石山寺へ参拝の途中、逢坂の関で空蝉と出会う場面です。空蝉の牛車と源氏の長い一行、源氏の牛車は遥か後ろに描かれています。
この時、源氏29才。内大臣として権力の頂点にいました。
二人が出ったのは源氏17才のとき、源氏にとって初めての恋でした。空蝉には既に夫がいました関屋で、二人は、お互いの存在を知りながら顔をあわせることなくすれちがう。切ない再会と別れを、象徴的に描いています。

紅葉一枚にも、赤・鉛白・がんぼじ(黄)という、3首の顔料が使われているこの絵は、実は当時の風景画としてみても貴重なものです。これまで絵の手本であった中国の山水画を脱却して、曲線が主体のの大和絵になっていることに気付かれるでしょうか。

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復元した『関屋』

関屋以降19帖分がありません。次は源氏の次世代が主人公になる第36帖『柏木』です。
『柏木』には3枚の絵があるので、先ず『柏木1』としましょう。
床に伏せる女三宮を、父の上皇、朱雀院が見舞う場面。左隅に、源氏と女三宮、上皇がいます。このとき、源氏47才。上皇の娘女三宮を妻にしていました。

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この頃から源氏に陰りが見え始めます。藤壺に恋し、後の冷泉帝をもうけたかっての自分の恋を、柏木と妻女三宮の不義をかさねあわせて苦悶する源氏です。息子、薫が妻と柏木の子であると気付きながら、女三宮の出家を認めたくない、心の乱れを左隅の3人が位置する三角形の構図に現しています。
画面右には聞き耳をたてる女房たちの、これも三角形。画面には三角形が波及しています。
主役の3人は悲しみのモノトーン。女房達は鮮やかな橙色に描かれていますが、実は甘草色と呼ばれた橙色は服喪の色でした。復元模写したのは宮崎いず美さん。甘草色は山の背に沈む夕陽の色を手がかりにしたといいます。

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構図は吹き抜け屋台と呼ばれ、屋根や壁を取り払い、斜め上から俯瞰して描く技法です。一枚の絵の中に複数の視点があり、それは物語を語る作家の視点と重なります。鑑賞者も感情移入しやすいのです。
人物は横から描かれている。時には下から描かれることもあります。これらはみな日本絵画の特徴です。

西洋は主体を絶対化して視点はひとつです。立って対象を見る画家の視点しかありません。合理的な遠近法も、人間至上主義なのです。19世紀に出会うまで西洋は別の視点を知りませんでした。
水平構図と斜め構図を組み合わせた日本絵画は、描かれる対象を尊重し、それぞれにふさわしい視点を採用するのです。
人物たちの心理を暗し、同一場面にいくつもの視点が共存するのは、日本文化の多元性にも通じます。

同じく第36帖「柏木2」には、源氏の子夕霧が死期の近い柏木を見舞う場面が描かれています。
柏木は自分の死後、源氏へのとりなしをたのみ、夕霧に妻落葉の宮を託します。
水平線と垂直線が作る静かな構図は、柏木の心情を現しています。

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夕霧は桜の直衣(のうし)を身につけていますが、これは冬の普段着です。。
一方、御簾や壁代に桜の文様が描かれ、柏木が桜に包まれて死にゆく画面は、柏木と女三宮が出会ったのが桜の季節だったことを暗示しています。

三光院は精進料理を出す尼寺です。料理長の西井さんはフランス料理を学んだあと、30年前に三光院にやってきました。前住職の香永師に精進料理を学び今にいたっています。
京都門跡院系統の寺で源氏をやるのも何かの縁とは西井さんの言でした。
月替わりの献立の、「九月~菊月~ 花の餐」を、西井さんの解説を聞きながらいただきました。

◆抹茶と三光院の紋、ササリンドウの最中

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◆お煮しめ 

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大和芋の海苔巻、高野豆腐の含め煮、牛蒡の胡麻和え、南京の煮物、南天の葉添え
海苔の黒、ヤマトイモの白、南京の白、南天の葉の緑の色の取り合わせが妙。

◆胡麻豆腐の葛とじ

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◆里いもの降り柚子  
前夜は中秋の名月でした。寺の畑にようやく実った手ごろな大きさの里いもを使った、この日、最高のご馳走でした。なのに、なんたる不覚。この贅沢なお昼をいただいたのは、講師の斎藤さんを含めて僅3人。西井さんの熱のこもった説明にききほれて、写真とるのをわすれたのです。撮り忘れたとべそをかいたら、そこは西井さん、「来月ちょっとつけましょうかね。」

◆香栄とう冨 
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香栄は前住職の名前、西井さんが擬製豆腐に倣って住職の名を付けたそうです。

◆木枯らし(茄子の田楽)飾りに茶の古葉 柚子ちらし
 
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茄子の半身が楽器の琵琶ににていることから、建礼門院愛用の琵琶の名器「木枯らし」に因んで香栄師が名付けたとか。香栄師は『平家物語』の無常を愛したそうです。

◆月見だんごのの吸い物  だんごは豆腐。出しは昆布のみ。出しの昆布はつくだ煮に。
◆黄菊のおばん  おばんは御所言葉でご飯のこと。


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会場になった十月堂の窓外の竹林は三光院が流れをくむ京都の竹の寺にちなんでか。
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料理人の西井さん
   

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