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海の見る夢 №39 [雑木林の四季]

    海の見る夢
        -月に臥し雲に眠る~田中清玄ー
                   澁澤京子

 今住んでいる家の売却も決まり、さあ、これから住む家を探さないと思っていた途端、コロナにかかってしまった。家の売却のことで久しぶりに兄に会ったが、兄はその日帰ってから高熱を発し、コロナだったという。兄に会った二日後、喉に異変を感じた、熱はないが鼻水、咳、頭痛、重い倦怠感。病院に行って検査したらコロナだったのである。ワクチンは打っているから軽症だけど、本当に軽症?と思うほど・・丸二日間は完全に寝込み、咳も頭痛も回復した今も、噂に聞いいていたが味覚、嗅覚に相当なダメージが。味覚も嗅覚も完全になくなるわけじゃなく、なんというか、いまだに(遥か遠くの方から、匂いと味が聴こえてくるよ)という感じなのである。倦怠感も頭痛も咳もまだ残っている。約束はキャンセル。行きたかった集まりもキャンセルで、さらに、早く家を探さないと住む場所がない・・という焦りもあり、寝ていても「旅に病んで夢は枯野を駆け巡る」の心境なのであった。軽症でこの症状、要入院のコロナの重症がどんなに深刻な状況になのか、しみじみと思い知る。(後遺症が結構きつくて、インフルエンザとは全然違う)

コロナ引きこもり療養生活の中で、楽しみに拝聴しているのがyou tubeで発信される(一月万冊)の政治放談。友人が教えてくれたのだけど、やはり統一教会の問題が多い。私が読んだ統一教会関係の本は浅見定雄著『統一教会・原理運動』。浅見氏はキリスト教神学者。高価な壺や印鑑が問題になっていた頃はキリスト教関係者が統一教会の信者の救済に奔走していたことがわかる。とんでもないキリスト教理解が広まるのはすごく迷惑な話だろう。しかし、本来、仏教、キリスト教問わず、宗教が持っている「受動性」という性質には、ファシズムにつながりやすい危険性はある・・そして、それが新興宗教系になると、その「受動性」、そしてさらに「反知性主義」が強化されて、「~すると罰が当たる」「~すると幸福になる」といった具体的でわかりやすい、迷信のような教義に転じてゆくのだと思う。

バイデン大統領がトランプ元大統領を「ファシズム」とかなり強く非難している。トランプ政権はそれこそ「反知性主義」を売り物にしているからだ。日本もまたしかりで、安部政権を支持しているネット右翼の書き込みを読むと、やたらと中国脅威論で騒ぎ、韓国や沖縄の悪口といった、ステロタイプの繰り事が多い。最も、「反知性主義」すら通り越し、最初聞いたとき、まさか!?と驚いたのが、「安倍元総理の国葬」と「森喜郎 胸像建立計画」だったが・・国民の半数以上が反対するのに強行とは。この国はいまだに、一度動き出したら止まらない大本営時代と少しも変わってないし、命令されたことしか遂行できない思考停止のアイヒマンだらけなんだろうか。

五輪汚職問題を追及されている検察の方々は、本当に頑張ってほしい、統一教会問題もそうだが、今はまさに日本の民主主義が健全さを取り戻すか、あるいは腐敗したまま、ますます文化も経済も沈没するかの瀬戸際ではないだろうか。

「田中清玄自伝」を読み返してみた。スケールが大きくて、勘がよくって頭も切れて一途・・とにかく、政界のようなドロドロした世界と関わりながらも爽やか。スケールの大きな人は、世間の俗っぽさから、どこかスコンと抜けた爽やかさを持っている人が多いように思う。せせこましい感じがないのである。田中清玄は、かつて、全学連に資金提供をして、田中角栄の日中友好のお膳立てをした大物フィクサー。

1906年、会津藩家老の家に生まれる。写真を見るといかにも「侍」という感じの硬派な風貌。戦前、共産党員として活動していたため治安維持法で検挙される。その時、彼の妻も検挙されるが、どんなに過酷な拷問を受けても決して口を割らなかったという、まるで武士の妻の鑑のような女性。写真で見ると、いかにも意志の強い毅然とした女性で、かっこいい。清玄の妻の父親は今の佐久総合病院を設立した人。(当時、医学部にいた彼女の兄のために病院を作った)

検挙されて獄中にいるときに、田中に責任を感じた母親が切腹。母親が切腹してから、その後、龍沢寺に参禅し、反省。天皇主義者に転向した・・といってももともと性根の坐った人。右、左にうろうろする日和見主義者と違うのは、しっかりと原書でマルクスを読んで理解しているうえに、天皇主義者になっても、その洞察と判断力が圧倒的にぶれないし的確なところだろう。

・・陰険で小狡くて、どちらも同じ日本人です。『田中清玄自伝』

田中清玄は、右だろうと左だろうと、ずるがしこく陰険な人物、自己保身しか考えない人間を酷く嫌った。イデオロギーとか人種とか地位とか、人の持つ属性よりも、個人の人間性の質の良し悪しを見る事のできる人だったのだ。国際的に幅広い人脈を持っていた田中清玄。彼の正直で誠実な人柄により、多くの外国人から信頼されたんじゃないかと思う。

60年安保の、全学連への資金提供について

・・彼等を一人前にしてやれと考えた。反モスクワ、反代々木勢力として結集できるものは結集し、何名かを指導者として教育してやろうというので全学連との接触を始めた。もう一つは、岸内閣をぶっ潰さないとならないと考えた。『田中清玄自伝』

・・俺が岸と決定的に対立したのは、彼が戦前は軍部と対立し、戦後はGHQや国際石油資本の手先となって、軍国主義に覆い尽くされた戦前のような日本を復活させようとしたところが最大の理由です。だいたい、岸は戦犯なのにアメリカのダレスのように日本を再軍備しようと企んでいた連中が、岸を支持し、彼を戦犯から解放するように全力を挙げたのです。ダレスが考えたのは、日本を黙ってアメリカのいう事をきく植民地にすることでした。『田中清玄自伝』

岸の方針は、見事に安部政権に引き継がれていたと思う。この一文で安部元総理の「美しい日本」「強い日本」がどんなものかよくわかる・・要するに私たちはいまだに敗戦を引きずり、アメリカと同盟国と言っても不平等のままの植民地にいるのである・・しかも、アメリカに強制されてというよりも、日本が自発的に隷属している関係なのだが。沖縄の辺野古基地騒動での、機動隊の反対運動への暴力にそれがよく表れている、玉城氏が沖縄知事に就任したが、民主主義で決められた民意をひっくり返すのは、民主主義国としてはありえない話。なんといっても、民主主義国のアメリカは日本の基地問題については口だしできないだろう。

アメリカとの隷属的で不平等な関係の基礎を築いたのは吉田茂。ジョン・W・ダワーの調べたアメリカ機密文書によると、吉田茂の評判はアメリカでは芳しくなく、マッカーサーからは「怠け者で政治家に向かない人物」とまで酷評されている。また、マッカーサーに「ファシスト」と呼ばれていた反共のウィロビーを賞賛していたこと、自身も「アカ」に恐怖心を持っていたこと、非武装中立論の南原繁教授を嫌悪していたことなど、吉田自身が相当な反共タカ派だった。保守の吉田が目指していたのはそれこそ「日本を取り戻す」ことであり、アメリカの改革派や日本の左派の目指していた憲法改正も農地改革も吉田は反対であった。(上流階級の吉田は、地主、旧財閥系、貴族階級が解体されることに抵抗があった)ホイットニーやケーディスの関わった「平和憲法」を不如意のまま受け入れざるを得なかった吉田は、軍事力を後回しにして、まず日本の経済復興を考えた。そしてその後、日本経済は吉田の予想を遥かに超えて発展したのである。また、アメリカ側から注意されるほど、吉田は中国に対しては挑発的な厳しい態度をとり、1951年、日本は中国と国交を樹立する意思はないと公式に宣言。こうした吉田の態度は、イギリス大使から見れば、日本はまるでアメリカから圧力をかけられているとしか思えなかったのである・・~参照『昭和』ジョン・W・ダワー

今の日本の保守派にある、アメリカに対する「自発的隷属」も、不平等な日米安保条約、中国に対する反感も、経済成長重視も、もともと吉田茂から始まった。ネット右翼に見られるような中国、韓国、沖縄に対する反感、激しい差別・侮蔑感情は、彼等の劣等意識の裏返しなのだろうか?

今もしも田中清玄が生きていたら、統一教会についてなんて言うだろう?だいたい、日中戦争の時の軍の無謀な暴走にも、太平洋戦争末期の特攻隊や学徒出陣の戦力しかなかった旧日本軍にも、彼は相当な失望と怒りを感じていたんじゃないかと思う、闘いを職業としている侍の血の流れる彼にとっては、軍部の戦略性のなさはもちろん、「精神力で闘う」だの「負けるとわかっても闘わなければいけない時がある」なんてただの無責任な寝言にしか思えなかっただろう。犠牲になったのは殆どが無名の市民だったのだ・・靖国ロマンとか特攻隊ロマンには、そういう歴史の経緯と現実を無視した、安っぽいおセンチな美学が流れていて、「強い日本」「美しい日本」のような見せかけにこだわるのは美学でもなんでもなく、現実に置かれた状況に盲目なだけの、ただの愚かな粋がりとしか思えない。

・・彼(岸信介)のやり口はね、ヨーロッパでもアラブでも東南アジアでも、どこでもそうなんだが、すべての利権を自分の手に握るという、独占的かつ独裁的なやり方だ。これは彼が戦前の軍部と結託し、東條と結びついて、権力の中心に自分がいるという極めて権力志向の強い彼の性格そのものからきている。戦前、戦中、戦後を通じて、このような手口で日本を毒し続けてきた岸信介、河野一郎、児玉誉士夫、この連中を今でも俺は許せない。『田中清玄自伝』

岸信介の性格の、そのスケールを小さくすると安部元総理になる。安部元総理が統一教会のような反共に共感したのも、祖父である岸信介の宿敵が全学連だったからだろう。独裁的な人間が怖いのは、自分に対する賞賛者を周囲に集め、批判者を排除し、そのうち都合の悪い人間を粛清し・・最終的には自身を「個人崇拝」の対象にしてしまうところだろう。

支配欲の強い(実は依存心が強い)人間の周囲には、やはり依存心の強い者が集まり、ヨイショや擁護が始まる。(その逆に、相手を敵、あるいは弱者と見なすやいきなり居丈高に)、仮想敵による強い団結、個人では弱気だが、複数になるといきなり強気になる、支配被支配の人間関係は、自我の未熟な人間にとってはまことに居心地がいい。同調圧力、寄らば大樹の陰、被害者意識の強さ、密告、他人の足を引っ張る、陰謀論のようなデマを真に受ける、何でも他人のせいにする・・すべて支配・被支配の閉鎖的な依存関係から生まれるのだと思う。

多様性社会とは、自律した考え・文化を持つ様々な個人が対象になるのであって、多様性に相反する考え方、支配・被支配の人間関係、差別やファシズムなどを許容するのは「多様性」社会とは完全に矛盾することになる。多様性とは、何でもかんでも「人それぞれ」で許容することではないのである。

・・中産階級をりっぱに育てた。日本の社会が健全に近代化できたのはそれですよ。それをみんな見落としている。『田中清玄自伝』

今や日本の状況はすっかり変わり果ててしまったが、田中は教育と文化が何よりも重要なことを力説している。そうした土台がしっかりしていないと、支配被支配の独裁者政権にとって都合の良い、従順・思考停止の国民を増やしてしまうだけだろう。

・・今になってアメリカはクルド族に手を焼いていますが、下手にクルドなんか助けたらあの辺でクルドスタンなんか作られて反乱ばかり起こりますよ。・・日本はそんなアメリカの後ばかり追いかけていたらダメですよ。『田中清玄自伝』

このインタビューが行われたのは1991~1993年。その後のアメリカのイラク戦争の失敗を予言するかのような発言。

―PKO推進論者の中には、自衛隊を海外に出したって、日本が軍国主義になるわけがない、そんなものは太平洋戦争で消えてしまったという人がいますが。

・・現実を知らない観念論だ、人間というものを知らなさすぎる。・・中略・・善と悪の両面を持つ人間がいかに神の面を長く保つために努力するかということじゃないですか。『田中清玄自伝』

田中清玄という人は、人間の持つ残酷やエゴイズム、あらゆる悪徳も、その反対の善良さ、誠実、利他心と言った美徳も、すべてを知る大人だったのだと思う。

―最近の政界の様子をご覧になってどう思われますか?

・・日本の現状は見るに忍びないです。心ある人たちが立ち上がらなければ日本は壊滅してしまいますよ。『田中清玄自伝』

今の日本の状況を見たら、田中清玄は一体なんて言うだろう・・予想以上のひどい結果と思うだろう・・

田中清玄は、三島由紀夫に頼まれて「楯の会」の講師として軽井沢に招かれたことがあった
・・暴動が起こったら、自衛隊を中心にして立ち上がらなければいけない、そのために俺を説得するというんだよ。毎日毎晩、彼等と激論だった。「何を言うか。ソ連やアメリカが日本をつぶしにかかったら貴様ら、朝飯前にひねりつぶされてしまうぞ。立ちあがって君らそれに対抗できるか?」こういってこっちは一歩も引かなかった。政治家はいなかったが靖国神社の宮司の松平なんかいたと思う、会津と同じ松平だけど彼は福井の松平春獄の子孫だ。会津にはあんな極右はいません(笑)。『田中清玄自伝』

三島由紀夫と田中清玄では、その精神年齢は子供と大人くらい差があったんじゃないかと思う。職業的な武士というのは、負けるような戦いは始めから闘わないだろう。いくら命があっても足りないからだ。田中清玄自伝を読んでいると、すごく合理的な「理性の人」だということがよくわかる、虚勢を張らないのだ。だから、周囲の状況も自分がどういう位置に置かれているのか、客観的に把握できるのである。プライドというのは、自己イメージの維持にあるのではなく、もっと内面に静かに育っていくものじゃないだろうか。自己イメージに固執すれば、ただ虚勢を張るだけの、中身がスカスカの人間になってしまうだけだろう。

・・靖国神社というものは、そもそも由来をたどれば「官軍」の犠牲者を祀ったお社だった。・・(中略)・・俺のような会津藩の人間にとってはなにが靖国神社だぐらいのもんですよ。しかもどのくらいこの勢力が、今も日本を軍国主義化するために動き回っていることか。
― 田中さんは右翼だと思っていましたが・・

・・右翼。本物の右翼です。『田中清玄自伝』

本物の右翼って実にかっこいい。この人の自伝を読んでいると「忠誠と反逆」という言葉がふっと浮かんでくる。徹底的に人に忠誠をつくし、反逆するときは徹底的に反逆するという日本の武士の性格。パッションも道義心も持っているのである。

―よく日本の外交のダメな理由に挙げられますが、いい時だけ相手と付き合い、逆境におかれると、交際を絶ってしまうという事ですが・・

・・だから日本は嫌われる。付き合いというものはそんなものじゃないです。人間と人間の本当の付き合いならば、生死を共にすることもあるし、歓びと哀しみを共にすることもあるだろうし、少なくとも私は今日までそう信じてやってきました。『田中清玄自伝』

これは外交のみならず、個人の人間関係でもいえることである。自分の家族以外と、そうした深い付き合いを持てる人は幸福な人じゃないかと思う。上田秋成『雨月物語』の「菊花の契り」は、牢に入れられ友人との約束を守れないため、自害をして幽霊となって友人の家に行き、約束を果たす話である(武士の友情は、古代ギリシャ人が友愛を非常に重んじたのに似ている)ちなみに、上田秋成は本居宣長の「やまとごこころ」を批判した、日本文化が特別優れているわけではないという、近代的な普遍主義の立場をとったのである。

田中清玄。人でも物事でもパッと本質をつかみとり、些事にこだわらない、こだわらないといっても「細部をないがしろにすると証言の信ぴょう性が疑われる」と、決して細部をないがしろにすることはなかった。

田中清玄の晩年の住居は三島だから、余程、龍沢寺の山本老師の近くにいたかったのだろう。戦時中のある日、老師は「今日の日本をどう救う?」という公案を田中に出した。「戦争をやめさせます」「どうやってやめさせる?」「・・・」と答えに窮すると、老師は「日本はきれいに無条件で負けることじゃ」と応えたという。

山本玄峰も、田中清玄も、もうこの世にいない。かつてこの国には深慮遠謀できる『まともな大人』、スケールの大きな大人というものがいたのである。


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