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妖精の系譜 №34 [文芸美術の森]

十七世紀の妖精詩 2

     妖精美術館館長  井村君江

ドレイトンの妖精詩『ニンフィディア』

 マイケル・ドレイトン (一五六三~一六三一)は極小の妖精王国を描いた代表者である。彼はシェィクスピアと同郷で一つ年長であったが、長生きしてさまざまな種類の詩 - 恋愛詩、歴史詩、田園詩、愛国詩 - を書いており、妖精詩は晩年(六十四歳)に作っている。一六二七年に『アジンコートの戦い』の中で、『ニンフィディア』という詩を書いているが、そこに登場するのは『夏の夜の夢』のように小さい妖精たちであり、スペンサーのようなオベロン王とマプ女王の妖精王国である。さらにこの物語は、いわばアーサー王伝説のパロディで、一種の諷刺笑劇(パーレスク)である。女王グウィネヴィアと騎士ランスロットとアーサー王の三角関係が、女王マブとフェアリーの騎士ピグウィギンとオベロン王上して描かれている。王に忠実なゴブリンのパックが、王の命令で罪深い女王を愛人から引き離そうとするが、女王はお付きの者とハシバミの実の中に隠れ、小さな妖精ニンフィディアが神秘的な魔法でその実を隠してしまう。オベロン王と騎士ピグウィギンが一騎討ちで戦っているところへマブ女王の友人プロセルピナが割って入り、プルートーの名において忘却の川の水を飲むように命じ、その水を飲んだオベロンは嫉妬と狂気を忘れ、ピグウィギンも女王マプに会ったことすら忘れてめでたく収まるというのが物語の筋である。
 騎士と女王の恋、王の嫉妬と戦いが諷刺的な筆致で描かれている上に、登場する人物たちの身体が小さいためその滑稽味が倍加してお。、ドラットルはこの詩を「小人国風狂態劇(リリプシアン・エクストラナガンツ)」と言っている。馬上槍試合に出かける騎士ピグウィギンの描写をみると、その胃はカブト虫の頭で、羽根飾りには馬の毛がついており、乗っている馬はハサミ虫で、それがやたらにはねまわるという、威風を誇るべき騎士が馬にふりまわされているおかし味が描かれている。

 急いで出陣の身づくろい、
 小さなとり貝が彼の楯、
 いつも勇敢に振りかざしたが、
 一度も刺されたことはない、
 槍は堅くて頑丈な燈心草で、
 長さはたっぷり二インチあまり、
 槍の穂先はウマハエの舌先で、
 その鋭さは決して鈍らない。

 かぶと虫、ウマハエの舌先、とり貝の楯という武装は昆虫の姿を思わせるもので、宮廷の騎士というよりは、草原で戦う野武士のようないでたちという他はない。
 女王の侍女たちは、キンポウゲの花の中に逃げこんだ。、コオロギにまたがった。、女王が乗る馬車はカタツムリの殻にコオロギの骨の車つきというもので、『夏の夜の夢』やシェイクスピアのクイーン・マブの描写がおのずと重なって浮かんでくる。ドレイtンの物語に登場するパックは「夢見心地のうすのろで、歩く恰好は毛むくじゃらな小馬」とされており、人間にいたずらをしかけ、冬の夜道を引きまわしたり沼に落としたり、人をばかし、いたずらをする民間に伝わるホブゴブリンの性質をみせているが、パックのように四十分で地球に帯がかけられるほどの飛翔力はもはやない。またここに登場する妖精の王も女王も騎士のピグウィギンも、すばやく動く能力も魔術を使う能力も備えてはいず、ニンフィディアとプロセルピナだけがかろうじて、薬草や特別の水や呪文を用いることができるのである。
 妖精が魔力を失って神秘的な存在のヴェールがはがされてしまっていることは、先に挙げた描写や表現の例からもうかがえるのであるが、精密で生硬な描写を重ねれば重ねるほど、妖精の映像は白日の下にさらされたように輪郭が明確となり、生命のない一枚の細密画という枠の中におさめられてしまうのである。
 このドレイトンの『ニンフィディア』 の影響のもとに、スペンサーの熱烈な崇拝者であったウィリアム・ブラウン (一五九一?-一六四三?) は、『プリタニアの田園詩』(一六二四-二八、三章完成)を書いた。ブラウンは次に触れるヘリックと同じくデヴオンシャーのタグィストックに住んでいたが、銅や錫の鉱山で知られるこの土地には地下に、ピクシーやノッカー、スプリガンといったコーンウォールの妖精が住んでいると信じられ、彼らにまつわる民間伝承が豊かに残されている地方である。またなだらかな緑の丘陵地帯と赤い土の自然は、ブラウンに田園詩を書かせるのに充分な明婚な風光が広がるところである。
 ブラウンの妖精たちは、ドレイトンの妖精よりいくらか大きめで、ハサミ虫のかわりにネズミに乗っている。ブラウンは妖精伝承を忠実に守って、地下に妖精の宮殿があり、それは穴あき石を通して見ることができるとなっている。「岩石を彫って作った部屋の開き戸は真珠母、蝶番(ちょうつがい)と釘は金、豪華な部屋には掛け物がさがっている」とあり、宮殿内部の部屋の描写、壁にかかっている掛け物の中に織り込まれている絵までが描写されるが、それがなんと「博識のスペンサーが小さな丘の上でペンを進める様子」と実に細緻なゴブラン織りを見るようであるが、妖精の女王を描いたスペンサーの肖像画が妖精の部屋にかかっているというのは興味深く、またブラウンがスペンサーの信奉者であったことがここからもよくうかがえる。奏でられる音楽や妖精たちの食べる料理は、次のようにさらに緻密な筆致で一つ一つ描かれている。

  白いスープのなかに煮えているのは
  肥らせたバッタ、
  アリの丸焼きに、ザリガニの卵が五つ、
  ネズミの乳房、クマンバチの足二本、
  よく浸けたのはオリーグならぬ鱗木(スロー)の実、
  次にはコウモリのつま先が出され、
  ソースをかけた三匹の蚤、塩漬のキリギリス、
  そして最後にネムリネズミの美味なる顎。

 こうした数々の料理が並べられるのは、「小さなキノコのテーブル」の上で、「小粒の真珠がカップとなり、朝露でいっぱい満たされている」のである。このブラウンの描写はそのままロバート・ヘリックの『ヘスペリディース』の次の描写を想起させる。

  小さなキノコのテーブルが広げられ……
  オベロンの渇きを癒すためにエルフたちは
  若露の涙を満たした小粒の真珠をさし出す……

 そこに出される料理の数々もまた、ブラウンと類似して野原にある野生の虫や小鳥、草や実から作った珍味の料理であり、各皿の描写は細微をきわめている。

  紙のように薄い蝶の触角を見つけると、
  王はそれを食べてから、泡吹き虫をちょっと味わう。
  わた毛茸のプディングが近くにあったが、
  王に手をつけられる恵みを受けぬ、
  上品さに欠けるからだ。
  それでも王はすぐにさっと手をのばし、
  蘭草(いぐさ)の砂糖がけ茎を試してみる、
  次に蜂の熟した甘い蜜嚢を食べ、
  とっときのエミット卵で口のなかを楽しませる。

 ブラウンとヘリックの詩に描写されている「キノコのテーブル」や「若露の小粒の真珠」などは、後世のヴィクトリア朝の妖精画家たち、ドイルやフィッツジエラルドが妖精を描く際の必備の道具立てになっているが、すでに十七世紀の詩の中でこのように歌われていたのである。

『妖精の系譜』 新書館



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