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西洋美術研究者が語る「日本美術は面白い」 №89 [文芸美術の森]

        ≪鈴木晴信≪機知と抒情と夢の錦絵)≫シリーズ
           美術ジャーナリスト  斎藤陽一

         第3回 
笠森稲荷のお仙

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≪江戸の評判娘 お仙≫

 鈴木春信が登場する以前にも、浮世絵に描かれた「遊女」が世間の評判となり、もてはやされるということはよくありましたが、初めて「実在の町娘」が浮世絵に描かれ、「評判娘」としてもてはやされたのが、春信の時代でした。

 春信は、そのような「評判娘」をしばしば絵に描いています。
 当時、「評判娘」の筆頭とされたのが「笠森お仙」と呼ばれた娘です。上図は「笠森稲荷の門前(おせんの茶屋)」と題された横長の錦絵。この絵の真ん中で、茶釜からお茶を汲んでいるのがお仙です。

 お仙は、谷中にあった笠森稲荷境内の水茶屋「鍵屋」の看板娘。13歳頃から店に出ていて、参拝客の話題になっていた美人だったと言います。そのため、彼女は、錦絵をはじめ、絵草紙、双六、手ぬぐいなどにも描かれ、歌舞伎にも取り入れられたという人気者でした。

 鈴木春信は、このお仙の絵を十点以上描いています。

89-2.jpg 春信は、女性を描くとき、それぞれの容姿の特徴や個性を描き分けるということをせず、どの女性も、しなやかで華奢な身体つき、楚々とした風情に描くという画家。ですから、この絵からは、本当のお仙の顔つきなどを知ることは難しい。

 春信の描く美人たちは、一様に、夢の中に出てくる妖精のような雰囲気を持っています。

 にもかかわらず、面白いのは、彼女が立ち働いている水茶屋の様子は、きめ細かい描写によって、かなり具体的に描かれていることです。おそらくこの場所は実景に近いものと思われます。

 ですから、私たちは、春信の絵画世界の詩情をそのまま味わってもいいし、このような場所でお仙が生き生きと働く姿を想像して楽しんでもいい。

≪その後のお仙≫

 鈴木春信がお仙を描いた絵を、もう1点、紹介しておきます。
 下図がそれで、笠森稲荷境内の水茶屋「鍵屋」で、客の男に応対しているお仙です。
 渋い色調を使って、しっとりとした情感を表現した春信の色彩感覚を味わってください。

 その後の彼女の消息について、触れておきましょう。

89-3.jpg お仙は20歳のとき、突然、旗本の家に嫁に行った、と伝えられています。それを知らずに、お仙目当てに店を訪れた客たちは、禿げ頭の親父が客の応対をしているのでがっかりし、昔話の「分福茶釜」をもじって、「とんだ茶釜(お仙)が薬缶(禿げ頭の親父)に化けた」という流行語まで生まれたといいます。

 ちなみに、笠森稲荷は谷中にありましたが、幕末の戦争で焼失してしまいました。
 現在は、谷中の功徳林寺の境内に再建されています。

 次回は、当時、お仙とならんで、江戸で評判だったもう一人の娘、楊枝屋の看板娘・お藤を描いた春信の絵を紹介します。
(次号に続く)


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