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武州砂川天主堂 №8 [文芸美術の森]

第二章 明治二年・明治三年 2

          作家  鈴木茂夫

二月十六日、武州・砂川村。
 「お頼み申します」
 大声が聞こえてきた。
 源五右衛門が玄関先へ出てみると、十数人の旅姿の男たちがいた。大八車(だいはちぐるま)三台に、さまざまな道具が積んである。
 「初めてお目にかかります。手前どもは甲州・鰍沢の天野屋勘兵衛より、こちら様のお手助けを致すよう申しつかりました船大工と船頭衆どもでごいす。昨朝、鰍沢を出立し、急ぎ足でまいりました。申し遅れましたが、手前は番頭の政助(まさすけ)でごいす」
 「おお道中ご苦労のことだったね。皆の衆の来るのを指折り数えて待っていたんだ。とりあえず、座敷に上がっておくれ」
 源五右衛門は、一同を招き入れると、
 「皆には屋敷の別棟を空けてあるから、そちらで過ごしてもらいたい。政助さん、あんたには俺のそばにいて、勘定はじめ、仕事の段取りについて相談に乗ってもらおうかね」
 「かしこまりました」
 「あのう、旦那さん」
 野太い声だ。
 「はい、何だね」
 「あっしは、船大工の富蔵と申します。船を造るには水に近いところにそれ相当の場所が入り用なんです。こちら様にはどちらかご用意いただいておりましょうか」
 「もっともなことだあね。上水のそばに農兵の調練に使っている三百坪(九百九十平方メートル)ほどの空き地がある。そんなもので足りるだろうか」
 「それだけあれば充分でごいす。ところで船を造るには材木が要ります。どちらで手に入れればよろしいか」
 「ここから四里半(約十七キロ)ほど北西に五日市村があります。後ろに山を控えた材木屋で調達できる。材木は筏に組んで、そばを流れる秋川から多摩川へ落として流してくるから、隣の柴崎村で回収すればいい。富蔵さん、必要な材木の種類、寸法を書き出してくれ。すぐに使いを出して注文しよう」
 「旦那さん、あっしたちは船頭の吉兵衛ですが、船を操る竹竿が入り用です。長さ三間(約五・一メートル)の真竹(まだけ)が、船一般につき三本は入り用となりますが」
 「うちの竹薮は、孟宗竹が多いのだが真竹も調達できる。心配要りませんよ」
 「旦那さん、それじゃ、材木さえ届けば、すぐにでも大工仕事にかかるとしましょう」

二月十九日。武州、砂川村作用場。
 朝食を食べる源五右衛門の茶の間に、槌(」つち)の音が聞こえてきた。源五右衛門は急いで着替え、裏手の調練場に出てみた。富蔵が差配して残る三人が働いている。
 「旦那さん、五日市の材木屋さんは、手早いです。材木は届きました。あそこに寝かしてあるのがそれです」
 「やあ富蔵さん、いよいよ仕事だね」
 「まずは、道具をいれる物置を造ってます」
 物置小屋の骨組みはできていて、壁板を打ち付けている。そこにはもう道具が入っていた。
 目についたのはいくつものノコギリだ。
 「富蔵さん、いろんな金物があるようだね」
 「へえ、大工道具のマサカリや手斧はご存じですね。船造りには特別のノコギリを使います。丸太から板を切り出すマエビキ、板を縦に引くガガリ、横に引くガンド、穴をあけるヒキマワシ、板と板とのつなぎ目をあわせるアイバスリなどがあります。それと船には船の釘を使います。使う場所によってマガシラ、オトシ、カイバタと三種類があります。この他、墨壷(すみつぼ)、曲尺(かねじゃく)、水平などの道具、細かい物ではノミも使います」
 「いや、一度に聞いたって覚えられるもんじゃない。頭がこんがらがっちまう。さて船を造るには屋根の下でするかな」
 「あれば、その方がやりやすいですが、屋根を掛けていたんじゃ間に合わない。露天で造るつもりです」
 「船はどういう段取りで造るのかね」
 「旦那さんから言われた幅五尺(「五メートル)、長さ五間半(十メートル)の寸法にあった図面を引きます。その図面に合わせて底板を切り出します。厚さ一寸(三センチ)幅五寸(十五センチ)の板をつなぎ合わせるのです。これが船の基準となる底板です。船台と言ってもいいです。これを地面に杭打ちして固定し、次は船の横板、船縁(ふなべり)を打ち付けて完成です」
 「一口に言ってしまうと、簡単なことのようだが、現場の仕事は気骨(きぼね)の折れることだろうよ。言い忘れていたけどね、俺の欲しい船の数は、二十三艘(そう)だ。頼みますよ」

『武州砂川天主堂』 同時代社


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