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雑記帳2022-8-15 [代表・玲子の雑記帳]

2022-6-15
◆立川市が平和都市宣言をして30年になります。7月から8月にかけて2か月間、市役所や学習館を巡回して、『平和都市宣言30年「立川の戦争展示」』が開かれています。

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                平和都市宣言
世界は、いま、東西冷戦の時代が終わり、恒久平和と人類の永遠の繁栄を希求する新しい国際社会の形成に向かいつつある。
我が国は、世界で唯一の被爆国であり、非核三原則を遵守し、あらゆる戦争の防止と核兵器のない世界平和を実現することは、すべての国民の願いである。
ここに、立川市は、戦争の惨禍を再び繰り返させないことを誓い、憲法を擁護し、市民が安心して暮らせる平和都市であることを宣言する。
                             平成4年3月27日
                                  立川市

立川市では夏休みには学習館で平和の企画展を開くのが恒例です。今年は平和宣言30年とあって、格別に力の入った展示のように思えました。

立川には陸軍飛行場や複数の飛行機工場があったため、何度も爆撃をうけています。
空襲は飛行機工場だけにとどまらず、無差別に市民の生活をおびやかすものでした。
市役所と市内5つの学習館を巡回毎に内容を変えながら、地域に関係の深い資料や写真を集めて展示されました。

展示と並行して、それぞれの開催館からは「平和都市宣言新聞」が出されました。
米軍機が撮影した爆撃時の空からの写真や、当時の建物の写真を見せて、現在何になっているかを尋ねる紙面は、それぞれの館が独自に編集したものです。

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例えば巡回1番目の砂川学習館は、立川陸軍飛行場のあったエリアです。8月2日の空襲で、砂川4番、5番、6番の地域がB29爆撃機の焼夷弾によって民家が焼かれた記事が載っています。別の日には、今は平和祈念館になっている陸軍航空機技術研究所も爆弾による空襲を受けて破壊されたのです。

4番目の幸学習館の平和都市宣言新聞には、4月24日の日立航空機、立川立川発動機製作所を目標にB29爆撃機が爆撃しながら上空から撮影した写真が見えます。目標になった日立航空機立川発動機製作所は、機関銃掃射が日立変電所に行なわれた跡が残っています。

巡回5番目の柴崎学習館を訪ねました。
ここでは、「市民の被災」「空襲~軍事施設の被害」「銃後の生活」「子どもが見た戦争」のテーマに分けた展示をしていました。

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柴崎学習案のエリアには、最も多くの犠牲者を出した山中坂の防空壕がありました。
上記の日立変電所と同様、この雑記帳紙面でも紹介したことがありますが、ここには、4月4日未明の空襲で犠牲になった42人を供養する戦災犠牲者供養地蔵と歌碑が経っています。防空壕で亡くなったのは、殆どが子どもと女性とお年寄りでした。防空壕に男の人がいなかったのはなぜかと問うコーナーもありました。

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山中坂

全館共通だったのは、イラストパネル「子どもがみた戦争」です。終戦の年に4歳だった立川出身の女性が、自分の思い出や周囲からの聞き取りをもとに当時の暮らしを、子どもの目線で描いたものです。
「はるよさんの生活から~」と名付けられたコーナーの14枚の絵に、それぞれにつけられた説明文は小学生にも分かるものでした。

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●空襲警報がなると、根川の防空壕に入ろうと近所からたくさんの人が集まりました。
●庭に小さな防空濠を掘って目立たないように入口には土をかけました。
 中に丸太を組んでくずれないようにしました。
●アカリはロウソクだけだったので、とても暗かったです。
●お父さんやお兄さんは兵隊になりました。家族や近所の人は「○○君、バンザイ」と言って送り出しました。
●お父さんやお兄さんが戦場から無事に帰って来るよう願いをこめて、女の人の手にした白い布に赤い糸を一針ずつぬってもらいました。これを千人針といいました。
●隣組では、竹やりで敵の兵隊をつく訓練をしたり、バケツリレーで火を消す訓練をしました。
●1940年から配給制度がは決まり、自由に物を買うことができなくなりました。
●戦争中自転車のうしろに布の屋根をつけた輪タクがはやりました。
●1944年から都会の小学生3年~6年生は地方に疎開する命令が出ました。子どもたちは親戚の家やお寺や旅館に泊まって勉強しました。
●1945年戦争は終わり、兵隊にされたお父さんやお兄さんが帰ってきました。兵隊さんは「恥ずかしながらもどってまいりました」といったのです。

更に、「なぜ、兵隊さんは「はずかしながら、もどってきました」と言ったのでしょう」と尋ねてもいました。配給や疎開の解説とともに、現在では理解しがたい生活様式や考えを、家族で話しあってみる良い機会ではないかと呼びかけているのでした。

1945年3月10日の東京大空襲を初め、日本の大きな都市は無差別空襲を受け、命を奪われた人は60万人を越えたと言います。
今、ウクライナ戦争という現実を前にして、平和は当たり前ではなくなっています。
東西冷戦が終わったと見えた時、人々は、各国が抑止と称して軍拡を競う時代が再び来るとは思っていませんでした。いったい国を守るとはどういうことなのか。国民の誰が戦争を望むというのか。抑止は幻想にすぎない、軍隊は国民を守らない、主導者は戦地には行かない、戦場での残虐な行為はロシア兵だけが特別なのではい・・・。わずか30年前に市が平和都市宣言をかかげた時の思いをどれだけの市民がおぼえているのだろう。戦争を経験した世代でさえ、時が経てば記憶はあいまいになっていく。戦争は他所の話ではないのだと、たとえささやかでも伝え続ける努力を怠ってはならないと思います。この巡回展にあった「有事の懸念を有事にしてはならない」というメッセ-ジを常に発信していなければならないのでしょう。

◆久々に、一茶の句を拾いました。

 うら窓や頭痛にさはる草いきれ       文政句帖   政7
 後の世に迄も薬草の茂り哉           西紀書込   寛中
 夏草の桜もどきに咲にけり           七番日記   化11
 涼し[さ]に一本草もたのみ哉         七番日記   化8
 しづかさや湖水の底の雲のみね      寛政句帖   寛4


◆夏のさなか、降るような蝉しぐれの下では、薬用植物園の花たちもちょっと数は淋しいものの、民間生薬のコーナーは元気でした。

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キクイモ  食用
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秋の七草にはまだはやく、花をつけていたのはオミナエシだけ。小さな粟粒のような花を付けることから粟飯を意味する女飯(おみなえし)が女郎花の由来とか
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ミソハギ  咳止めに効くらしい
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サボンソウ 主成分であるサポニンの効果により、滅菌、洗浄、皮膚コンディショニング等の機能がある。

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ナンキンワタ  種皮が脱脂綿、原綿の材料になる
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エビスグサ    種子は[はぶ茶]といわれて血圧降下作用があり、腸を潤し解熱にもよい健康茶としてよく知られている。便通に効果あり。
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タバコ  ニコチンを初め、タール、シアン化物等多くの有害物質が含まれており、癌や心臓病のリスクを高めると指摘されている。

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