日本の原風景を読む №46 [文化としての「環境日本学」]
「日本はかならず 日本人がほろぼす」 ――あとがきにかえて 2
早稲田大学名誉教授・早稲田環境塾塾長 原 剛
「あじさゐに腐臭ただよい」政府・政治家、霞が関官僚、東西財界・経済人の行動と教養の劣化現象はただごとではない。為政者からここまでコケにされ、なお自覚できない少なからぬ日本国民の正体とは。
哲学者図分功一郎は日本人多数の心の持ちようが困難な事態に陥った構造の素描を試みている。
― すべては、人が何らかの信ずる価値を持てずにいることに由来しているように思われる。何かを信じていないから、何でもすぐに信じてしまう。自分の幸福への無関心もおそらくそこ(軽信とシニシズム)に由来する。
だから、自分の生きる場が危険に晒されても、それに真剣に対応しようとしない。だまされてもシニシズム(冷笑主義)でやり過ごせる。
政権の知らんぶりが通用するのは、私たちが「これだけは譲れない」という何らかの価値を信じることができずにいるからだろう。政権はそのことを見抜いているから、このような事態に陥っても少しも焦っていないのである。(要旨)(『朝日新聞』二〇一八年七月十一日文芸・批評欄)
塚本邦雄第二一歌集『風雅黙示録』の 「夢の市郎兵衛」から二首。
あじさゐに腐臭ただよひ 日本はかならず 日本人がほろぼす
八方破れ十方崩れみなずきの われのゆくてにネオナチもゐる
滝壷を間近に、踏みとどまれないものか。流れに抗し、立ち直る手がかり、足場はないのだろうか。
アマゾン大河句会から
日本人がアメリカ大陸へ移住しはじめて百年を機に、毎日新聞社会部の記者だった私は、南北アメリカ大陸の日系人移住地をアラスカからアルゼンチンまで、長期間にわたり取材した。
日本人がアメリカ大陸へ移住しはじめて百年を機に、毎日新聞社会部の記者だった私は、南北アメリカ大陸の日系人移住地をアラスカからアルゼンチンまで、長期間にわたり取材した。
日本人が移住先の社会で日本文化をどう保ち、変化させていったのか。「文化の変容」が取材の課題だった。アンデス山脈からアマゾン川へ向かい、支流アカラミリンの日系人移住地トメアスを訪ねた。赤い土の道(テラロッサ)を船着き場から集落へ向かう折に、人口千数百の村にしては異様に多い墓標に気付いた。南緯三度、酷暑とマラリアが猫僻する中で、原始林を拓いて火を放ち、畑を作る苛酷な開拓に、日本人の勤勉さが仇となり、恐るべき数の犠牲者の人柱を築いたのだと聞かされた。
トメアスは戦後、胡椒の栽培に成功、億万長者の村として盛名を馳せる。「大河句会」などという俳人グループの句誌も発刊され、「秋冷えや 襟元活き 妻とゆく」など日本での記憶をたどったとみられる句も詠まれていた。
山形県最上川の河口の村から十五歳でトメアスに移住した初老の男性は、暮らしのあまりの厳しさに何度か志が挫けかけた。
さまざまな対象に心のよりどころを求めたあげく、「私を死から思いとどめさせてくれたのは、故郷の自然と人々のたたずまいの是でした」 と漏らした。
溺れていく人間を最後に踏みとどまらせた水底の岩盤 - それが少年時代の風景であったという。厳しい自然にたゆまず立ち向かい続ける最上川河口の人々の生業の景色が、当時〝緑の地獄″などと称されていたアマゾンの、孤独な日本人に生きる力を廻らせたのであろう。顧みて、かけがえのない価値とはなにか。東南海トラフ地震や首都直下地震にとどまらない。政治や経済の混乱、人心の異変によって直面するであろう、生活の場が危機にさらされた時の心構えを、文化の表現である風景、共感をもたらす可能性のある 「原風景」 から読み取り、固めておきたい。
試練を経て脈々と存在し続ける風景にこめられた意味、メッセージを解読し、混迷から蘇生への心の手がかりを得られないだろうか。
「出版とは時空を超えた言論の場。社会に問題を提起する文化活動だ」。古武士のような風格。「気骨の出版人」は混迷する時代の先をにらんでいる。
(『朝日新聞』二〇二〇年三月二十一日、藤原書店社主藤原良雄さんインタビュー)
文化としての「環境日本学」のあり方を探求する早稲田環境塾の叢書、『高畠学』(二〇二年)、『京都環境学 - 宗教性とエコロジー』(二〇一三年)をいずれも藤原書店から出版した。本書を塾第3叢書と位置づけている。
塾の理念を一貫して支えていただいている藤原社主と編集者刈屋琢さんのご尽力に、心底から感謝している。
二〇一一〇年三月 原 剛
『日本の「原風景」を読む~危機の時代に』 藤原書店
『日本の「原風景」を読む~危機の時代に』 藤原書店
2022-08-13 10:31
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