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妖精の系譜 №32 [文芸美術の森]

 シェイクスピアの功績

      妖精美術館館長  井村君江

 これまで見てきたように、シェイクスピアは当時の民間に伝承されていた妖精のさまざまな話を豊かに用い独自の妖精たちを創造し、作品の中に生かしていった。こうした妖精たちは、エリザベス朝の一般民衆の生活感情を描き出すうえで大きな役割を果たしている。しかしながら、それがそのまま当時の民衆が妖精の存在を信じていたということにはならない。一一百年前の知識人であったチョーサーがもはや妖精を信じなかったように、エリザベス朝の民衆も妖精を信じてはいなかっただろう。ただ妖精は民衆にとって非常に親しい存在だったし、日常の話題だった。『夏の夜の夢』を人々はお伽話として見たかもしれない。けれども『ウィンザーの陽気な女房たち』では、妖精たちが当時の人たちにとって存在と非存在の微妙なはざまにおり、民衆の間で信じられていた妖精というものがいなくなってから、それほどの年月が経っていないことを教えてくれる。もしも当時の人々が「妖精は存在しない」と心の底から確信をもって言えたのだとすれば、フォルスタッフが子供たちの化けた偽妖精にたぶらかされいじめられるのは、フォルスタッフの喜劇的な性格を差し引いても、やはりおかしなことになるだろう。もしも当時の観客の一人が森の中で同じような目に.あったならば、彼はフォルスタッフと同じように、「あれはフェアリーだ、あいつらに話しかけたら殺される。目をつぶって地べたに伏せていよう。あいつらのする事を見ちゃいけないんだ」と言ったのではないだろうか。そしてあとになってだまされたとわかれば、やはり「なんだ、フェアリーじゃなかったのか。俺も三回か四回はそう思ったんだが……」などと負け惜しみを言ったであろう。あるいはフェアリーというものは常にこの存在と非存在の、信じると信じない、のはざまにいるもの、あるいはそこにしか生息できないものなのかもしれない。そして容易に頭のなかで想像することはできても、「言葉の網では捉え難いもの」なのかもしれない。これが近年に到ってフェアリーが児童文学に安住の地を見出した最大の理由ではないだろうか。
 シェイクスピアは民間に流布していた数々のフェアリーやエルフの話を、聞いていたであろう。当時のもっとも完備した民間伝承の研究書であるレジナルド・スコットの『魔術の正体』も読んでいたであろうし、オウィディウスやチョーサー、スペンサーなどの古典にも目を通して、フェアリーに関しては豊富な知識を持っていたであろう。そして彼はあくまでも戯曲作者の立場から、村人たちと親しく交わり、人々の心の中で息づいていた踊り好きの、あの月夜に浮かれ出すフェアリーたち、人間に良いことをしてくれる愛すべきエルフたちを生み出し、舞台に乗せていった。それと同時にフランス系の物語詩(ロマンス)から異国的なフェアリー像を抽出し利用した。その結果オベロンは妖精の王であってパックを従者に持ち、女王ティタエアは侍女たちにかしづかれる。二人の口喧嘩の原因である「取り換え児」は王の行列の騎士にされかかるというように、騎士道の風俗や宮廷の雰囲気がフェアリーランドの性格をある程度決めた。
 またこうも言えよう。シェイクスピアは実に正確な演劇本能ともいうべき感覚によって、イギリスのフェアリーが持つ二つの本質的な性格 ― 第一にフェアリーの神話的な起源とか、人間にはわからない恐ろしい能力といったフェアリーの民俗的、超自然的な性格、第二には文学に由来する浪漫的なフェアリーの世界、王と女王と宮廷といった上流社会のパロディとしてのフェアリーランドを一つのるつぼの中で巧みに溶かし合わせた。そして『夏の夜の夢』や『ウィンザーの陽気な女房たち』の成功は、あくまでフェアリーと民衆とのつながり、すなわち理解のための共通の背景というものに依存しているといえよう。そのためにこそ、パックは夜の空気のなかを自由自在に飛びまわることができたのだし、ペイジの女房が妖精を使ってフォルスタッフをこらしめようと提案した時、観客は事のなりゆきをじっと見守ったのである。

『ようせいの系譜』 新書館



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