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武州砂川天主堂 №7 [文芸美術の森]

第二章 明治二年・明治三年 1

          作家  鈴木茂夫

明治二年九月十九日、武州・砂川村。
 源五右衛門は、羽村の名主島田源兵衛、福生村の名主田村半十郎と、玉川上水通船について、最終の願書を提出しようと打ち合わせた。
 源兵衛が問いかけた。
 「源五右衛門さん、あなたが根回ししてくれたおかげで、役所も乗り気になってくれている感触だ。俺たちが差し出す願書で、許可になるのは間違いないと思うが、どんな案配かね」
 源五右衛門はうなずいた。
 「ひょんなことから梶懇になった江藤新平さんは、頭のまわりも早いが、手がけることも早いというもっぱらの噂だよ。あの人が、請けあってくれてるからには、大丈夫だと思うがね」
 半十郎が笑顔をみせた。
 「源五右衛門さんよ、あなたの仕事も手早いな。俺はすっかり安心してる」
 源五右衛門が問いかけた。
 「お二人に聞きたいんだが、船が走ると、俺たちの村から何を運ぶだろうか」
 「源五右衛門さん、俺たちの村には、農作物しかないぜ」
 「そうなんだ。それしかない。それを運ぶしかない。気になるのは、その運んだ農作物がゼ二になるのかどうかだ。もし、それがゼこにならないとなりや、何のための通船かということになる」
 「半十郎さん、俺はね、俺たちの村で取れた生きの良い野菜や、卵を安く届ければ、東京の人は必ず買ってくれる、そうに違いねえとは思ってるんだ。だけどそれが心配なんだ」
 「源五右衛門さん、俺もそうなんだ。野菜が売れなきや、村の衆に顔向けができねえ。村の暮らしが良くならなきや、困るんだ」
 「心配してもきりはない。腹をくくって船を走らせなきやね。船が宝船になることを信じよう。何せ、玉川上水に船を浮かべるのは、俺たちの悲願だったんだから」
 三人で何を書面に書き込むかの下請をすすめ、源五右衛門が筆を手にした。

  乍恐以書付奉願上候
  玉川御上水船筏通行御免被仰付被下置候様仕度左候得ハ武蔵野村々ハ運輸之労ヲ免シ
  御府内ハ諸色下直二相成往々甲信両州迄モ相響莫大之御国益ト奉存候
  おそれながらかきつけをもってねがいあげたてまつりそうろう
  たまがわごじょうすいせんはつつうこうおゆるしおおせつけられくだしおかれそうろう
  ようつかまつりたくさそうらえはむさしのむらむらハうんゆのろうめんしごふないハし
  ょしきげちよくあいなりゆくゆくこうしんりょうしゅうまであいひびきぱくだいのごこ
  くえきぞんじたてまつりそうろう

  明治二巳年九月
       玉川上水元   羽村名主  源兵衛
               福生村名主  半十郎
               砂川村名主 源五右衛門

 玉川上水通船により、沿岸の村々は、東京市中から購入していた肥料の価格も下がる他、村へ流入する物資の価格も安くなることで、関連する山梨、長野までを含め極めて大きな国の利益を得ることができると強調し、通船は船百般で運航すると付記した。

二月七日、甲州・鰍沢(かじかざわ))。
 源五右衛門の姿は、氷雨(ひさめ)の中、甲州・鰍沢にあった。ここは富士川水運の拠点である。
 鰍沢から駿州岩淵までの十八里(約七十二キロ)を結ぶ。信州、甲州から幕府への年貢米を下り船に積み、上り船は塩などの海産物を運んで、約三百般の高瀬舟が運航している。船だまりでは、船頭や船子が、積み荷を納屋に運び込んでいた。
 源五右衛門は、とある納屋を訪ねた。
 「何か御用ですかな。主人の天野屋勘兵衛(あまのやかんべえ)です」
 物静かな初老の男が声をかけてきた。
 「申し遅れて失礼しました。私ことは、武州からやって参りました砂川村の名主砂川源五右衛門と申します。突然の来訪でありますが、こちらの丹那衆のお知恵を拝借しにまいりました」
 「ほう、それはそれは、では座敷へお上がりください」
  納屋に隣接した屋敷、その座敷からは、鰍沢の用港が一望できる。
 源五右衛門は、居住まいを正して一礼した。
 「突然のお願いです。手前どもは、多摩川から東京市中へ水を送っている玉川上水に船を浮かべ、荷物と人の運搬を手がける予定であります。船の手配、船頭の確保、船の運航、これらにつき、全く経験がありません。お知恵を拝借するだけでなく、人の手配についてもお願いしたいと存じます」
 勘兵衛は、おかしそうに笑みを浮かべている。
 「いやあ、お話しは、船仕事の一切合切をひっくるめて面倒見てくれないかということのようですな」
 「その通りです」
 「あなたはおもしろいお人だ。私天野屋にも、いささか人を見る眼はあります。話に乗りましょう」
 「ありがとうございます」
 「船を走らせるには、船がいる。船は持ち運びできないから現場で造らなきやならない。それには船大工がいる。腕の良いのを四五人お貸ししましょう。この連中が、そちらの大工をしこめばいい。船を走らせるには、船頭と船子がいる。一般の船に船頭一人、船子二人が必要です。これには六人回しましょう。身柄を引き取ってください。最後は番頭役です。船を運航する段取り、荷物の引き受け、運賃のやりとりをこなします。船が順調に運航され、利益が出るかどうかは、この番頭役の腕次第。これは一人、お貸ししましょう。そちらの人が要領をつかんだら戻してください」
 「ありがとうございます。良いお方におめにかかれて助かりました」
 「源五右衛門さん、鳥が飛び億つような急なお話、しっかり片付けましょう。早速、人を選んで、四五日のうちに砂川村へ差し向けましょう」
 話がまとまると、勘兵衛は、手を叩き、酒を持ってくるようにと家人に伝えた。

『武州砂川天主堂』 同時代社



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