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日本の原風景を読む №45 [文化としての「環境日本学」]

「日本はかならず 日本人がほろぼす」  ――あとがきにかえて 1

  早稲田大学名誉教授・早稲田環境塾塾長  原 剛

瀟洒、秩宕、美を想う
 富士山初冠雪の翌朝、私は河口湖畔に立つのが習わしである。それから本栖湖、田貫湖へ向かう。
 穏やかな水面を前景とする富士山は、「瀟洒」(すっきり、あかぬけている)、「扶宕」(奔放、堂々としていて細事にかかわらない)、「美」(美しく立派なこと。感覚を刺激して内的快感を呼び起こす)を表現してやまない。日本風景美の三要素とみた地理学者志賀重昂の『日本風景論』(一八九四年、明治二十七年) が思われる。
 「自然は芸術を模倣する」とは、皮肉屋オスカー・ワイルドの逆説めく言である。だが、和服の彩りや修験道者の道場にとどまらない。富士山の形象美は私たち日本人の美意識と精神の形成に深くかかわってきた。芸術を含む「文化は自然を模倣する」と私は考えている。世界遺産委員会が「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」を世界文化遺産への推薦の正式な名称としたゆえんである。ワイルドと同じ英国の作家ロレンス・ダレルは「人間は遺伝子の表現というよりは、風景の表現である」と記している。なるほど、かのアメリカ大統領の言動などは、アメリカ合衆国的原風景、カウボー イ(あるいはガンマン)の戯画を思わせるではないか。

カウボーイ大統領よ
 あなたが唾を吐いた温暖化防止条約のルーツを思い返すがよい。一九八〇年夏、巨大な高気圧がアメリカの穀倉地帯に二か月間居すわった。中西部の干ばつによって、この年の穀物生産量は一億九〇〇〇万トンにとどまり、アメリカ国内で年間に消費される二億六〇〇〇万トンを満たせなかった。高気圧が長期間居すわるブロッキング現象について上院公聴会で問われたハンセン海洋大気局長は、「二酸化炭素の温室効果による高温化と降雨パターンの変化により、干ばつが繰り返される可能性が高い」と警告した。同時にハワイ島マウナロア山観測所での海洋大気局のデークーが、毎年ほぼ1ppmのスピードで大気圏内二酸化炭素濃度の上昇を記録していることも明らかにされた。温暖化防止条約の原点である。
 資源、環境の制約などありはしない。炭鉱労働者の雇用のために火力発電所を増やせ、環境省など邪魔だ、予算を付けるな、といわんばかり。イケイケ、ドンドン、二丁拳銃を振りかざし、ドンドン、パチパチ、カウボーイ経済に戻って、無限な経済成長を遂げることこそがアメリカの国是である。そのゴルフ仲間と称する日本の首相も、負けずにこちらも戦国時代の故事〝三本の矢″にちなんだ何とかミックス政策(三本の矢は分解寸前だが)を掲げ、その同類相集う衆議院選挙に圧勝した。
 カニは甲羅に似せて穴を掘り、国民は自らにふさわしい政府をつくる。「瀟洒」「秩宕」「美」とは莫逆の日本社会と日本人の姿が二〇一七年のこの年露呈したのである。

温暖化は文化を破壊する
 皆してハメルンの笛吹き男にくっついて、行き着くところまで行くしかない。安倍晴明のご託宣を待たずとも、首都圏直下型だのトラフ型大地震とやらで、向こう三〇年間に八〇パーセントの確率で日本列島は沈没を免れないと予測されているではないか。自分の明日ある幸福などに関心は持てないし、それを信ずる手がかりもないのだから。
 しかし人間がその生命を依拠している自然環境は、人間の勝手な振る舞いを許さない。寺田寅彦の言ではないが、自然には自然の論理がある。人為の事情とは関係なく、地球の温暖化とトラフ型地震が一例であるが、自然は常にその固有の論理を科学的に貫徹しようとしている。
 二〇一七年、山火事はわが愛飲するカリフォルニアワインの谷を燃やし、フロリダ・キーウエスト在の敬愛するヘミングウェイの館を、史上最強のサイクロンが襲った。
 気候変動枠組条約は、ジュームズ・ワットの蒸気機関発明以来、二百余年に亘る自然破壊行為に対し、人類が示したささやかな反省の白旗である。だが、アメリカ伝統の宗教的反知性主義の権化である大統領は、それすらへし折ってしまった。
 気象庁は、地球温暖化による海面水温の上昇により、日本の南海上で猛烈な台風の発生頻度が増 えると警告している。自然災害の頻発に耐え切れず二〇一九年、損害保険会社は保険料金を一斉に値上げした。
 大気の変化は元に戻すことが著しく困難か、不可能な「不可逆変化」である。この認識が国連気候変動枠組条約を実現させた。
 自然界の固有の論理は、温暖化による気候の変化が比較的少ないとみられる中緯度にある日本列島でもジワリ、ジワリと現実に現われつつある。稲の高温障害による未熟米が全国で発生している。出穂後に高温が続いたためだ。害虫の多発、胴割れ粒の発生も相次いでいる。ぶどうの着色不良・日焼け、温州みかんの浮皮、野菜と花の生育不良、開花時期のずれも著しい。稲の高温耐性種への切り替えは、農業界の常識となってきた。温暖化が進むと主要な穀物は減収する恐れがあると農水省は予測している。農業は文化の集積である。温暖化は餓死を招く前に、究極として文化を破壊する。京都の紅葉が十二月も間近にずれ込んで久しい。直後に雪、そして正月を迎えなくてはならない。

『日本の「原風景」を読む』 藤原書店

                               

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