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武州砂川天主堂 №3武4 [文芸美術の森]

第一章 慶應四年・明治元年 4

         作家  鈴木茂夫

四月十一日朝、仙台。

 青葉城から打ち出される番太鼓(ばんだいこ)とホラ貝の調べが、仙台の町々に響き渡った。藩士たちは、軍装してぞくぞくと登城する。
 城中表の間で、鎧に身を固めた仙台藩主伊達慶邦が戦勝を祈願し、伊達家の軍旗である日の丸を旗奉行(はたぶぎょう)に手渡した。石高六十二万石、東北最大の藩が行動を開始したのだ。
 竹内寿貞は、正義隊の隊長として三十人ほどの戦士を率い、仙台市内長町(ながまち)の茂ケ崎(しげかさき)の大年寺(だいねんじ)に集結。寿貞たちは、鎧を身につけることなく第一梯団(ていだん)の戦列に入り行進した。
 仙台藩六千百余人の全兵力は、会津藩との国境に陣を布いた。
五月二十一日、武州・砂川村。
 「旦那、奇妙な奴を引っ捕らえたんでさあ」
 「ただのネズミとは思えねえ」
 「その野郎は、表にいるんでさあ」
 農兵隊(のうへいたい)の若者数人が息を切らして勝手口に駆け込んできた。
 農兵隊は、代官所が声をかけて生まれた村の武装組織だ。みんな小銃を手にしている。
 いろり端で茶をすすっていた源五右衛門は、
 「ちっとばかし騒がしいことだな」
 苦笑をうかべて立ち上がり、表玄関へ廻った。
 そこには農兵に取り囲まれ、藍色の唐桟を尻はしおりにして股引を穿いたこざっぱりとした中年の男が、神妙な顔で立っていた。
 「なんだか知らねえが、まずは事の次第を聞かせてくれ」
 「夕べ、四番組の留蔵(とめぞう)の家に、強盗が入って家人をおどかし、金子を少々巻き上げて逃げてったんで、俺たちは今朝から隊列を組んで村の巡邏(じゅんら)にあたっていたんです。そしたら五番組のあたりの街道をうかがうように歩いてくるこの男を見かけたんでさ。こいつはね、俺たちの姿を見ると、眼をそらし、街道から畑道へ入っていったんでさ。街道を歩いているだけなら、よその村の衆かも知れねえ、だがこいつは足早に畑道へ入り込んだ。どうもおかしいぞと、後を追うと小走りに走り出したから、こっちも追っかけて流泉寺(りゅうせんじ)の墓地で捕まえたんでき。どこの誰で、何をしてたんだと問いただしたんだか、何一つ答えねえ。そのくせ、驚いたり、怯えている風でもねえ」
 源五右衛門が男に声をかけた。
 「お前さん、どこから来たんだい」
 「あっちからで」
 「あっちってのはどこだい」
 「江戸から、いけねえ、いや東京からです」
 「お前さんは、何者なんだい」
 「何者ってほどの者じゃありません」
 「そいじゃあ、何しに俺の村に来たんだい」
 「あちこち歩いている中に、ここまで来たんです。特に用事はない」
 男は涼しい顔で返事した。
 源五右衛門は、この男の背後に何かが控えている、この男はその何かの手先なんだと直感した。そこでいきり立っている農兵たちに話しかけた。
 「これだけとぼけた返答してるんだ。肝っ玉がすわってるよこの男は、まあ、ただのネズミじゃあねえ」
 「ずいぶん、ふざけた野郎だねえ旦那」
 「俺が話を聞くことにしよう。身柄は俺が預かる。みんなご苦労だった」
 農兵たちは、納得しきれない顔つきだったが、源五右衛門に頭を下げて帰って行った。
 「足をすすいだら、座敷へ上がんな」
 源五右衛門は男に言い捨てて奥へ入った。男はすぐに上がり込んで座り、源五右衛門と相対した。
 「俺んとこは、代々名主の家だ。村のことを仕切っている。こちらの問いかけにはきちんと返答してもらおう。とぼけて見せても駄目だぜ。皆は町人風にやつしているが、あんたの額には面ずれの跡がある。かなり剣術はやっていたようだ。俺も少しは剣術の心得がある。身のこなしからして侍に間違いはない。改めて聞こう。お前さん、名は何という」
 「松村半兵衛と申します」
 男の言葉遣いが改まっていた。
 「やはりお侍さんか。どこの人間なのですかい」
 「あたしゃ、三条実美公の手の者です」
 「三条さんてのは、お公家さんじゃないか。侍の家来なぞいるはずもない。もしそうなら、京言葉を話すはずだ。でもあんたの言葉は江戸の言葉だ」
 松村半兵衛は、うなずいた。苦笑しながら、
 「実は官軍が江戸へやってきてから、三条公に仕えるようになった次第、その前は取るに足りない貧乏旗本の端くれ、情けないが食うに困ってね。そこは余り詮索してくださるな」
 「徳川の家来が、官軍に鞍替えしたってことかい。それで何しに来たのよ」
 「新政府は、江戸を治めるのに東京鎮台(ちんだい)って役所を作った。三条公はその総大将。江戸の周辺の村々の様子を探索してこいといわれてやってきたんです」
 「分かったよ。お前さんは、正直に話してくれたようだ。しかし、念には念を入れたい。三条様のところへ書面を出して確かめさせる。使いが帰ってくるまで、この屋敷に寝泊まりしてもらおう。ただずらかりたかったら、ずらかってもいいよ」
 「よしなに頼みます」
 松村は頭を下げて、砂川家のにわか客分となった。
 松村はすりかり打ち解けて、家族と共に三度の食事をした。
 源五右衛門が大政奉還以降の多摩の村々の様子をかいつまんで聞かせると、松村は取り出した帳面にそれを克明に書き留めた。
 それから三日ほどして、江戸から一人の侍が現れた。
 「それがしは、三条家の用人の一人太田源治と申します。三条の手の者、松村の不調法でお世話いただき、恐縮でござった。手前はお詫びとお礼を申しあげ、松村を引き取って帰らせていただきたい」
 源五右衛門は笑顔で答えた。
 「松村さんの話に嘘偽りがあるとは想いませんでしたが、世間物騒な昨今、大事をとって確かめさせていただきましたまでのこと。ま、おくつろぎください」
 「三条公にも、あなたの念入りなお仕置のことを伝えましたところ、非常にお喜びでした。これもご緑です。江戸へ戻るわれらと出かけませんかな。そうすれば、三条様に報告かたがた、あなたを引き合わせることもできます。いかがかな」
 源五右衛門は計略(けいりゃく)が的中したとうれしかった。徳川が倒れて、新政府ができた今、これまでの仕来り(しきたり)、役所の手順、人と人との結びつき、すべてが変わっている。それに新政府も、どこまで信用してよいかはわからない。だが、新政府の大物につながりができたのは心強い。
 「三条様にお目にかかることができれば結構なことです。お供しましょう」
 翌朝、三人は江戸をめざした。五日市街道を直進、鍋屋横町で青梅街道に入り、昼過ぎ、内藤新宿に到着。宿場は閑散として人気も多くなかった。世間が騒がしく、庶民の旅は少なくなっているのだ。更に四谷見附から江戸市中へ入る。ここで洋服を着た官兵が二人一組になって銃を担い、巡邏(じゅんら)しているのに出会う。甲州街道に道を採り、半蔵門に達した。江戸城は目の前だ。白塗りの塀は、そのままに白いが、濠の法面(のりめん)には雑草が生い茂っている。荒れているのだ。こんな無様な城は見たこともなかった。徳川の時代は変わったのだと、源五右衛門は知った。
 桜田門の前を通り、日比谷を過ぎ、数寄屋橋御門近くの元の南町奉行所に設けられた東京鎮台へ到着した。
 奉行所の門には、真新しい東京鎮台の表札がある。
 中へ入ると雑然とした人の動きがあった。着物姿の人、袴姿の人、官兵の姿など、まとまった空気ではない。ざわついているのだ。
 太田は勝手知った様子で、誰に断るでもなく、ずかずかと奥まった室内に入り、とある座敷に源五右衛門を案内した。
 席を外していた太田が先に立って部屋に戻ってくると、その後ろには、狩衣(かりぎぬ)を着た三条実美が姿を見せた。かしこまって平伏する源五右衛門に手を挙げ、気さくに声をかけた。
 「話は聞いたえ。大儀なことや。これからも頼んます」
 源五右衛門は頭を下げた後、これが初めて見る公家なのかと、三条を凝視した。
 「三条公はおんさんとですか」
 大声で叫ぶように一人の男が現れた。小柄だが目つきが鋭い。髷が乱れている。かなりくたびれた袴だ。
 「失礼、これは客人でありましたか、」
 三条実美が、男を手招きした。
 「いやあ、江藤さん、ええとこへ来やはったな。このお人は、多摩から来た砂川源五右衛門さん、砂川村の名主や。そしてこの江藤さんは、東京鏡台を治める六人の判事のお一人で民政と会計を扱われるお方や。風体にはかまわん人やが知恵と勇気のかたまりや」
 「おいが江藤新平たいね」
 「砂川源五右衛門と申します。お見知りおきください」
 「おいは、九州は佐賀の人間たい。江戸の地理、人情は知らん。ばってん、江戸の民政を仕切んばいかんたい。ばってん、肝心の金のたらんとよ。はっきり言うぎ、なあもなか。そいに、役人も足りんとたい。なんでんかんでんなかと。わいの住んどっこの多摩の村々は物の有っとね」
 江藤の質問は単刀直入だ。
 「江藤様、貧しくはありませんが、豊かとは言えません。横濱が開港になり、絹が売れていますので、少しは潤っております」
 「村の産物はなんね」
 「手前の村の主な産品は、桑苗(くわなえ)、蚕糸、紬、茶といったところでございます。百姓はひたすら、畑仕事や養蚕、機織りに精出しております」
 「多摩と東京とは、どぎゃんつながりのあっと」
 「奥多摩は槍原村で産み出した炭は五日市街道を経て東京市中へ送り込みます。手前の住む砂川村は、その輸送の伝馬で日銭を稼ぎます。また、村の中を多摩川の水を取り込んだ玉川上水が東京へ伸びております」
 「よか答えたい。わかりやすか。あんたは名主として、何ばしようと役ば勤めとっとね」
 「憧りながら、ふつつかではありますが経世済民(けいせいさいみん)を目途(もくと)といたします」
 「そいぼ旗印に、あんたは何ばやっとっとかい」
 「村民の暮らしが成り立つような方策を立てることこれにつきます。さて、そのことですが、代官様に何度もお願いしましたが、お取り上げにならなかった一件があります」
 「ううん、そりゃなんね」
 「それは玉川上水であります。上水とは水を運ぶ水の道、この水の道を使わせて頂きたいのです。つまり、船を浮かべ、これに村の作物を乗せ、江戸まで運びたいのです」
 「おもしろかね。船ね。船は便利か道具よ。おいも船で仕事ばしてきたことのあっけん、船の便利はよう分かるとよ」
 「ご高察、ありがとうございます」
 「砂川君、船が走れぎ、その通行料として運上金は払えるとね」
 「充分に利益を見込めますから、運上金を納めることはできます」
 「東京鎮台が何ばすんにも金が要る。ばってん、金が足らん。台所は火の車たい。そいけん、おりゃ、金の欲しか。そんことは考えてみるよ」
 「ぜひ、よろしくお願い申します」
 「お主の経世済民の方策は、なかなかのもんばい。機会をみて、砂川村に行ってみるよ」
 江藤は大きく領くと、さっと立ち上がり座敷を後にした。
 「江藤さんは、こんな人。空っ風のようなお人なんや」
 三条公は笑っていた。

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