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西洋美術研究者が語る「日本美術は面白い」 №84 [文芸美術の森]

        喜多川歌麿≪女絵(美人画)≫シリーズ
         美術ジャーナリスト  斎藤陽一
          第12回 「吉原 遊女の一日」

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≪朝の二度寝≫

 喜多川歌麿は「青楼の画家」とも言われるほど、吉原遊郭を主題に、たくさんの浮世絵を描きました。「青楼」とは遊郭のことです。

 今回紹介する「青楼十二時」(せいろうじゅうにとき)は、一日を12に割った「時」(とき)ごとに、吉原の遊女の暮らしぶりを描き分けた12枚のシリーズです。
 このシリーズの特徴は、遊女たちを全身の姿で描いていること、および、あえて客の男たちを一人も描かずに、遊女たちの日常の姿を描いていることです。随所に、歌麿らしい観察眼を働かせて、遊女の生態のみならず、その心情さえもとらようとしています。
 今回は、この「青楼十二時」シリーズの中から、いくつかを見てみたいと思います。

 先ずはじめは「辰の刻」(上図)。現在の午前8時頃にあたる時間です。
 早朝の午前6時頃(明け六つ)に、泊りの客を送り出したあと、遊女たちは、朝の二度寝をするのが習慣でした。
 
84-2.jpg この絵では、朝の二度寝から起き出す時刻、一人の遊女が先に起き上がり、もう一人に声をかけています。しかし、こちらはまだ眠そう・・・。
女たちの寝乱れた寝間着、ほつれた髪、布団をかき上げる仕草など、何ともなまめかしい。
 衣装や布団の図柄の精緻な描写と繊細な色づかいにも注目してください。
 この二人の女は、「振袖新造」という妓楼でも下級の階級の遊女です。「花魁」という名称でも呼ばれず、自分の部屋(個室)も与えられず、共同部屋で生活し、客をとる場合も共有の「まわし部屋」を使いました。ちなみに、上級の「花魁」には、個室と客を迎える座敷が与えられました。

≪朝湯のあと≫

 次は、「青楼十二時」シリーズの中の「巳の刻」(午前10時頃)。
 
 遊女たちは、早朝に客を送り出し、二度寝から覚めたあと、朝湯に入る。そして、さっぱりとしてから朝食をとり、お化粧にとりかかります。それらを終えると、午後2時から始まる「昼見世」にならぶのです。

84-3.jpg 右図では、朝湯に入った後、汗をぬぐっている姉さん女郎に、お茶を差し出している妹女郎(振袖新造)を描いています。

 この姉さん女郎は、花魁格の遊女でしょう。花魁には、それぞれ「振袖新造」が付いて、いろいろと世話をしたのです。

 浴衣を引っ掛け、片肌脱いで、乳房をチラッと見せている姉女郎の姿が、エロチックです。

≪張見世に向かう花魁≫

 次は、「酉の刻」(とりのこく:午後6時頃)。
84-4.jpg 既に夕方です。
 「昼見世」で客の相手をしたあと、身だしなみを整えて、夕食をとります。
 その後、「夜見世」が始まる頃には、妓楼の遊女たちは一斉に「張見世」に並びます。
「張見世」(はりみせ)というのは、店先の格子の内側のスペースのこと。そこに並んで顔見せをしながら、客を待つのです。

 この絵の遊女は、薄暗くなった夕方、下働きの女の持つ提灯の光に足元を照らしてもらい、二階から一階の「張見世」に向かう遊女のようです。

 構図は巧みです。
 前かがみの姿勢で描かれた女中とすっくと立つ遊女とを対比させ、さらに、かがんだ姿勢で花魁の顔を見る女中の視線の延長線上に、花魁の顔を描き、その顔に私たちの視線を導くという構図です。遊女の顔には、これから夜の仕事に臨むときの複雑な気持ちが秘められているようにも思えます。
 いかにも歌麿らしい、品のいい色彩センスにも注目してください。

≪手紙を書く花魁≫

 次は、「青楼十二時」シリーズの中の「戌の刻」(いぬのこく)。午後8時頃です。

 この時間は、本来なら「夜見世」が始まっている頃ですが、この花魁は手紙を書きながら、お付きの禿(かむろ)に何事かをささやいています。まだ客のついていない遊女かも知れません。

84-5.jpg 馴染みの客への誘いの手紙でしょうか。
 それにしても、長文の手紙です。もしかすると、この遊女の情夫(いろ)にあてた手紙かも知れない。

 江戸の廓を主題とした小説などでは、「遊女の手紙」は、客の男を喜ばせ、引き付けておくための「手練手管」のうち、とされました。

 ともあれ、立膝でさらさらと文を書く姿はなかなか婀娜(あだ)めいていますね。
 花魁から耳元でささやかれ、手を握りしめて腰を浮かしている禿(かむろ)の仕草も可愛らしい。

≪深夜にどこへ?≫

 最後に、「青楼十二時」シリーズの中の「丑の刻」(うしのこく)。午前2時頃、深夜です。
 どのような情景か、分かりますか?
 寝間着姿の遊女が、右手に御簾紙(みすがみ)、左手に「紙燭」(しそく)を持ち、片足に草履をひっかけて、どこかへ行こうとしています。
84-6.jpg 「紙燭」(しそく)というのは、紙のこよりを油に浸したもので、これに火をつけて短時間の照明に使いました。

 そう、この寝ぼけ眼の遊女は、真夜中に、寝床を抜け出して、厠(かわや)に向かおうとしているのです。
 客の男は、屏風の影で寝入っているのだろうか?
 それとも、今夜は客がつかず、独り寝だったのか?

 随所に歌麿の観察眼が働き、深夜の物憂いような情感をみごとに表現しています。

 今回は、吉原遊郭の遊女たちの一日を紹介するため、「青楼十二時」シリーズ12枚の中から5図を取り上げましたので、少し長い回となりました。

 次回は、寛政の中頃、歌麿が試みた、それまでの「女絵」とはちょっと異なった趣向の作品を紹介します。
(次号に続く)


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