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梟翁夜話 №113 [雑木林の四季]

「心残り」

      翻訳家  島村泰治

中学を卒業する間際の頃だから、昭和二十五年三月のある日、私は七辻の一角に立ってゐた。終戦の一年前、縁故疎開で埼玉に引っ越して以来、初めて来た南六郷(大田区)に昔の風情はほぼ皆無、見渡す家並みは別世界で、南西の角にあったはずのあの本屋はなく、南東の奥にあるはずの寺も前に立ちはだかる建物の影に隠れて見えない。真南に伸びる街道の先は羽田で、真向ひには京急線の出村駅(今は無い)につながる道が真北に走ってゐる。七辻は東西南北に都合七本の道が分れることからその名があり、昔も今も珍なる街道辻として知られ、格好な道標にもなってゐる。

その日、心算があって私は七辻を背に真っ直ぐ西へ歩いていった。この道の先に六郷神社があり、秋祭りの喧嘩御輿は子供心に心逸る出来事だった。七辻から一丁ほどに四角《よつかど》、ここには北西角に材木置き場があったはずだが今はなく、工場の壁だった左角は何やらの建物、その向ひも見知らぬ空き地がばうと広がってゐる。四方八方見知らぬ街になってゐる。

右手前、北東の角に確かキャンディー屋があったはずだが、と一望して私は棒立ちになった。ある、確かに何やらを商《あきな》ってゐる店らしき家が残ってゐる。店先に何やらを並べて商ふ風情が懐かしい。戦災の焼かれた周囲の景色の中に、逞しく生き残った様子が痛々しくかつ凛々しい。さうか、ここに昔の面影が残ってゐるではないか。私は記憶を弄《まさぐ》ってこの一角の姿を追ひ描いた。

さうだ、キャンディー屋だ。夏の盛りによく五銭玉を握って走ったアイスキャンディーの店だ。自転車の後ろに夏っぽい柄の箱に詰めて売りにも来た、あのキャディーを大きな冷凍庫から直に買へる店、子どもたちにはオアシスにも思へた場所だった。さうだ、同級生がゐたな、キャンディー屋の誰だったか・・・さうだ、確か牧野、牧野君だ、牧野誰だったか、思い出せないが牧野だった。出雲国民学校の同級生だった「牧野君」を思ひ出さうと私は瞑目した。しきりに思ひ出さんにも、牧野君の記憶は学校の場では思ひ出せない。何か思ひついても、全てキャンディーのイメージに上書きされてしまふ。

諦めて目を開けて私はぎょっとした。その店の東隅に人影が見える。見据へればどうやら子供っぽい、年恰好が私に近い男の子だ。何をするでもなく、店の東側にぽつねんと立ってあらぬ方向を眺めてゐる。牧野君じゃないか、と私は咄嗟に思った。東をむいてはゐるが、気なしか右顔でこっちを見てゐるやうにも見へる。思わず一歩、そっちへ歩き始めて私は、何かに抑へられて踏み止まった。ちょっと待てよ、牧野君じゃなかったらなんて言ふんだ、がっかりしたら辛いぞ、良く考へて・・・。

その場に逡巡すること数分、私は思ひ悩んだ末に、ふっとその角を左折して南へ歩き出した。南六郷一丁目二四の六を見てからの帰りにしやう、その時あの子がまだゐれば、思ひ切って尋ねてみやう、と。この番地は私の昔の家があったところだ。まだあるかないか、それを確かめるための南六郷行だったのだ。

左折した先には、左手道路側に「天下一家」の石碑があるはずだ。その石碑の向かいが矢作食堂で、その傍を西に入る道の左側にわが家があるはずだ。

幼時の記憶が頼りの探索行だ。幼時とはいへ十年余程の前に過ぎない。大筋は変はってはをるまいとの期待はすでに七辻で裏切られてゐる。別世界の有り様、あれほど知り切った辻の姿が豹変してゐる現実を突きつけられて、私の幼時の記憶はぐらぐらと揺らいでゐた。

おゝ石碑があるぞ、あの角から思ふより近く幼い頃に馴染んだ「天下一家」の石碑が飄然と立ってゐた。漢字を覚えた頃には、この四文字が何と勇ましく、何と意味ありげに映ったことか。私はクレヨンで文字跡をなぞって胸を膨らましたものだ。

嘗て町会のあった辺り立つその石碑は、腰の高さほどに縮んで見るも貧しい。目を近づけて見れば、彫り込まれた草書の四文字の漢字の底には微かにクレヨンの跡が残ってゐる。私は感極まって石碑を抱きしめた。まだ石碑と同じ身長だった私が、いい字だからなぞって覚えるんだと、クレヨンでなぞった目の高さの天下一家の四文字がここにある、と、私は周囲の怪訝な目を尻目に、石碑を撫でまくった。

七辻から石碑まで、ないもの尽くしで歩いてきた私は、天下一家を背に西をみた。そこにあるはずのものがないこと知り肩を落とした。ここには矢作食堂と云ふ食堂があったはずだ。近所で評判でいつも店内は人が満ちてゐた。その脇を真西へ走る小路が伸び、その途中左側にわが家があるはずだ。あれば一丁目二四の六番地が住んでいた場所に、なるはずだった。

ない。

わが目を疑った。食堂の側を真西に走るはずの小路がない。道はあるが真西ではなく、左斜めに南西へ向かって伸びてゐる。その時点で、私はその日の南六郷行が空しかったことを悟った。その斜っかいの道を辿っては見たが、一丁目二四の六番地はついになく、似ても似つかぬ街並みが延々と南西に続いてゐた。

私は肩を落としてもときた道を戻った。石碑をもうひと撫でして、あの四角に来て「キャンディー店」を見る。目はあの同じ年恰好の男の子の姿を追ふ。が、その子の姿はどこにもなかった。しまった、さっき話し掛けで置けばよかったと悔やみながら、なぜかどこかほっとした思ひが交差した。七辻へ戻る道すがら、あれは牧野君だったろうかとの想像が、刻々とさうに違ひないと思ひ込んでいただけに、不思議な心理だった。

私は米寿を目の前にして大いに悔やむのである。あの日、なぜ卒然とあの店を訪《とぶら》ひ、決然と君は牧野君だろうと語りかけなかったのか。十代の気後れか、己れの肝の足りなさか、私はあの時たしかに何か大切なものを置き忘れたか、取り損ねたかした。今ならば、私は何のこだわりもなく店を訪ね、かの人物に会釈して問ふただらう。牧野君ならそのやうに、人違ひならばそれなりに、語り分けて意味あるいっ時を過ごせただらうに。

思ひ出すままにこれを綴りながら、いましみじみ思ふ。あの日のあの少年は、きっと牧野だったに違ひない。だから、あの日あの時、あの少年にさっくりと話し掛けなかったことが無性に口惜しく、いま私の果てぬ心残りになっている。了


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