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海の見る夢 №33 [雑木林の四季]

            海の見る夢
        -64歳になったらー
                澁澤京子

 若い時は自分が64歳になったら?なんてあまり考えなかった。ビートルズの歌にあるように、なんとなく年取って落ち着いてるんじゃないかと漠然と思っていた。ところが私の場合、それほど落ち着いたものでもなかった・・実際に気が付いたのは、年取るというのは(中身は大して変わらないが、外側だけ老けていく)ということ。

しかも最近、2,3日前のことは平気で忘れるのに、若い時の事や子供の頃の事を割とはっきりと思い出したりするのは年取ったせいだろうか?祖父がよく、子供の頃を思い出しながらハモニカを吹いていたが、私もあの境涯に近づきつつあるのかもしれない・・

ある程度の年齢になると、(政治ではなく)「保守的」か、「革新的」か、人によって大きく差が出てくるような気がする。落ち着く人は落ち着くし、自由になってはじける人ははじける。はじける人が少数派であるのは、はじける方がエネルギーがいるからだろう・・

結婚して、子供を産んで育てている時に自分がすごく守りの体制になっていることに気が付いたことがある。特に子供が小さい時とか、守りの体制になっていないと子育てできないようなところがあるし、家庭を維持するためにはある程度の保守性は必要だし、肉体的にも衰えてくるので落ち着く人が多いのは自然なのだ。

『アイリス・アプフェル 94歳のニューヨーカー』を観た・・94歳のファッションアイコン(私の父と同じ年齢なので今年100歳、まだ現役で活躍している)。元々はインテリアデザイナーとして活躍し、夫と共同経営のテキスタイル会社が成功をおさめ、ホワイトハウスのインテリアデザインを任されるというキャリアを持つ。メトロポリタン美術館からコレクションの展示を依頼されてから、彼女の抜群のセンスの良さが世間に注目される。

こんなに自由ではじけているお婆さんっているだろうか?と思うほどはじけていてすごいチャーミング。見ているだけで楽しくなるような大胆でポップな色使い、服装とアクセサリーの組み合わせ(ジャズと同じでアドリブなのよ、と映画の中で語っている)安物のアクセサリーをジャラジャラつけ、原色の黄色、紫、ターコイズ色という禁じ手の組み合わせをしても、お洒落。ルールを逸脱しても決して下品にならない人なのだ。

若い時のアイリス・アプフェルを見ると、大人しい上品な服装をしている、センスのいいマダムといった感じ。「センスがいいとか悪いとか、どうでもいいことよ」と映画の中で語っていたが、はじけてポップな服装をするようになった彼女の方が魅力的だし面白い。自分が楽しいからお洒落すると語っていたが、要するに年取って、自由になって彼女はすごく魅力的になったのだ・・

「ファッションはアートか?」というのがあるけど、アイリス・アプフェルの場合はアートじゃないだろうか。最高のエレガンスと、下品すれすれが同居して、エレガントな高級品からキッチュな安物まで同等に扱い、融合させてしまう。今までおとなが見向きもしなかった100円ショップのアクセサリーにも美を見出し、彼女の天衣無縫ぶりは、ファッションにおいて年齢とか規則とかそうした「常識」や「まともな世界」なんか吹っ飛ばしてしまうほどのエネルギーとパワーを持つ。「お若いですね」という薄っぺらなお世辞など彼女の前では吹き飛んでしまう小気味よさ。彼女のモットーは(自分自身であること)

自分自身であるという事は、はっきりとした自分の美意識を持つということだ。自分自身であるとは、信用できる直観を持っているということであって、ちょうどそれは優れた画家が無意識の内に物事の本質をとらえてしまうのと一緒だろう。ふつう、直観は間違えることが多いが、彼女の的確な直観は、彼女の本来の素質と、長年のインテリアやテキスタルデザインの仕事の経験で培われたものだろう。つまり、自分自身であることは「70にして矩を超えず」の「矩」を持つことで、「矩」を持っているとどんなにルールをはずしても決して品が落ちないのだ。しかし、「矩」というのは誰でも簡単に持てるものではないから非常に難しい・・「矩」は、ちょうどピアニストやダンサーが毎日のストイックな修練の積み重ねによって徐々に身につけてゆく肉体的な理性のようなものじゃないかと思っている。

私の知っている最もチャーミングな女性は、20代の私にとって祖母のような年齢だったフラメンコのK先生。ワガママで気難しい所もあったけど、面白くて可愛くて、品のいいお婆さん(天衣無縫な性格がすごく魅力的だった)。短気ではあったけど、悪意というものがなく、他人をジャッジするなどのネガティブなことはほとんど言わず、80過ぎても毎朝のバレエの基礎レッスンはかかさなかったが、「身体が年取ってしまったから、今度は頭を鍛えることにしたよ」と舞踊を教える傍ら、哲学の勉強に取り組んでいた。好奇心が旺盛な人だったのだ・・当時、彼女は癌を患っていて、相当身体は辛かったと思うが、そんな様子は微塵も見せず、私は全く気が付かなかったのだ・・母の友人の舞台照明の人がK先生と一緒に仕事して「今まで会ったことないくらい可愛いらしい女性です。」と話していたというから本当にチャーミングな人だったのだと思っている。「矩」を持っていた明治生まれのお婆さん。彼女と一緒にいるだけで、いつも私は「自由」と「生きる勇気」を貰えた。

芸術は人を解放して自由にしてくれる。見たり聴いたり読んだりするだけで、あるいは会うだけで自由なおおらかな気持ちになったり、楽しくなったり、気持ちが楽になったり、あるいは立ち止まって考えるきっかけになったり、優しい気持ちになったり、感動させたり。そうしたものは人間であれ何であれ、紛れもなく「善」なのだと思う。

年を取ると、親の介護や仕事から解放され、自分の好きなことをはじめられる。何が人を不自由にしているかというと、思い込みやつまらない偏見や世間体に囚われることで、年取ることは、そうした余計なものから自分を開放できるチャンスの時でもある。他人のことを気にせず好きなことに没頭できる最後のチャンスではないだろうか?まず、自分自身であるためには、夢中になれる何かを見つけることが一番いいのかもしれない・・幾つになろうが、誰の前にも世界は神秘のまま開かれている。


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