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妖精の系譜 №27 [文芸美術の森]

月の女神の性質を持つ妖精女王ティタニア 2

     妖精美術館館長  井村君江

 ここで注意すべきは、シェイクスピア以後の詩人たちのおかげで妖精はロマンチックなかわいらしいものになったが、それ以前の形としては、この場合のように人間に害をなす恐ろしい性質も持っていたということである。
 また、『ハムレット』の「(降誕祭が近づくと鶏が一晩中歌うので)どんな精霊も出歩かず、夜は安全になる、星の力もとどかないし、妖精に憑かれることもない、魔女の魔力も失われるということだ」という一節は、こうした妖精の性質を表わしており、人世のなりゆきをこのようなさまざまな仮想の因果律で説明しようとするのは、中世以前の人間にすれば極く当然のことだし、その中に妖精が含まれているのもまた自然のことであろう。この例はまたシェイクスピアが、民間伝承としてのフェアリーが文学としてのフェアリーに脱皮する、ちょうどその時に居合わせ、皮を脱ぐのを手伝ったのだということも教えてくれる。
 「さては君は一夜をマプの女王と過ごしたな、あいつは妖精の産婆だ」(『ロミオとジュリエット』)。
 ここで言われている「妖精の産婆」(フェアリー・ミッドワイフ)とは妖精の子を取りあげるのではなく、人間の夢をひきだす、人間に夢を見させるの意であって、マキューシオはこれから延々とさまざまの夢のことを話す。「恋人たちの頭を通れば恋の夢、宮廷人の膝を通れば敬礼の夢、弁護士の指を通れば謝礼の夢、御婦人の唇を通ればキスの夢……、軍人の首筋を通れば敵兵の首をあげる夢……」。妖精の産婆が人間に夢を見させるということは古くから言われたことであるが、シェイクスピアはこれをマプと結びつけて彼女の性格をよりくっきりとさせた。マプ女王には夢魔としての属性の他に、あらゆる種類の人間に夢を見せる能力が与えられており、夢を見る原因がマブの仕業になっているのであり、この点はシェイクスピアの独自な創意といえよう。「夢は空想」、「空想は空気のように実体が希薄」という言葉、さらには「われわれ人間は夢と同じもので織りなされている」
という台詞や、「人生は鋤く影法師にすぎない」という青葉を思い合わせる時、人間を形成している夢は影の存在である妖精たちが作っているわけで、言い換えればマプ女王や妖精たちは、シェイクスピアの劇の世界にとって、夢や想像力の動因としての重要な位置を与えられているわけである。
 また伝承の妖精、とくにエルフの特性のひとつ「夜中に馬のたてがみを編んだり、無精娘の髪の毛をもつれさせる」のは、民間伝承では「エルフ・ロック」(エルフの髪束ね)と呼ばれており、従ってマプ女王はエルフィン・クィーンに属するとも見られる。「マブ」(Mab)の語源を見ると、ウェールズ語で「子供」(chiild、infant)の意を持つMabb、及び(Mabel)(=boy)が短縮してできたものとみられ、キートリーによればHabundiaの縮小と言われる。また、ケルト神話の戦いの女神メイブやコノートの女王クィーン・メイブ、糸紡ぎ妖精スキャントリー・マプの響きもそこにはあるよぅに思われるが確証はない。一方、同時代のベン・ジョンソンが戯曲『サティール』の中で、マプを「妖精の女主人(
ミストレス・フェアリー-)」として、ティタニアと同じような妖精女王の位置を与えて登場させている。

  これはマブ、妖精の女主人の仕業、
  夜ともなれば搾乳場で盗みを働き、
  ミルクをかき回すのを手伝ったり邪魔したり、
  区別もなしに楽しんでやる。

  田舎の娘たちをつねるのもマプ、
  椅子を綺麗に磨いていないなら、
  燃えさしを火かき棒でかき出していないなら、
  鋭い爪で思い出させる。
  だけビマプをもてなせば、
  娘の靴の片方に六ペンス銀貨を入れておく。

 このほかマブ女王が、子供をさらいゆりかごにひしゃくを入れておくという「取り換え児(チェンジリング)」をやった。、夜道を行く人を水たまりに落としたり、眠っている娘たちに未来の夫を夢見させたりすることが描かれているが、シェイクスピアのいたずら者パックと、夢魔である妖精至の性格を一緒にしたような、民間伝承の妖精の性質を、ベン・ジョンソンはクィーン・マブにもたせている。
 『サティール』が一六〇三年六月二五日に、「女王陛下ならび王子様のわが国への初のご訪問に際し、アルソープのスペンサー脚家における特別の余興」として書かれたとするなら、『ロミオとジュリエット』の初版の出たのが一五九七年以前と推定されるので、シェイクスピアがマブ女王を台詞の中や舞台の上で登場させたのは、ベン・ジョンソンより六年ほど早いことになろう。
 また、女王の身体は貴重で高価な宝石のように極めて小さく「役人の指で光る瑪瑠ほどの大きさ」しかない点は特徴的である。伝承の妖精の属性のひとつである昆虫の馬に乗ったり、その馬に引かせた車に乗るということも、この女王の描写にそのまま表現されており、マブ女王は、「ハシバミの実の殻の車」を「罌粟粒ほどの小人の一団」に引かせ、「御者は灰色の服を着たブヨ」となっている。
 その車のつくりは華著で美しく、みな昆虫でできている。

  車輪の幅(や)は、足痍蜘蛛の脛(すね)、
  車の覆いは、イナゴの羽、
  引き綱は、蜘妹の細糸、
  首輪は、ぬれた月の光、
  鞭はコオロギの骨、鞭縄(むちづな)は薄糸、  (第一幕第四場)

 等々とある。小蛇が光る皮を脱いで彼女の身体にかけたり、蠣癌の翼で侍女の服を作ったり、蝶の羽で扇をこしらえたり、蜂の足を蝋燭がわりにしてそれを螢の火でともしたり、というティタニアの寝所の場面によく似ている。この二人の女王はどちらも柄が小さく、昆虫や花に囲まれて暮している。『夏の夜の夢』の妖精たちも「ドングリの実の中にもぐり込んで身を隠す」し、「麝香薔薇のつぼみにもぐりこんだ毛虫を退治したり」、「蠣幅と戦って、妖精の上着を作るために皮の巽をはぎとったり」しているし、ティタこアの侍女たち「からし種」「豆の花」「蜘蛛の巣」「蛾の君」も小さな身体に描かれている。しかしティタニアやオベロン、そしてパックが極小に描かれていないのは、舞台上で人間の役者(時には子役、人形)が演じたからであろうと推定される。これはシェイクスピアの妖精の大きな特色である。
 確かに昔から、スカンディナヴィアのライト・エルフは香りの良い花の中に住んでいて、身体も極く小さいと云い伝えられているし、デンマークの民謡の中にもアリぐらいの大きさの妖精が描かれている。イギリスの民間伝承でも、サマセットには老母が作ったケーキの上で妖精が踊ったので、靴のかかとで穴がたくさんあいてしまったという話があるし、バンプシャーの百姓の家で小屋を掃除していたのも、ごく小さい旺盛であったという。
 しかしながら中世末期におけるフェアリーの標準的な大きさは、背の高さが約六十センチだったり、一メートルぐらいだったり、二、三歳の子供の大きさだったりであって、シェイクスピアの妖精よりはだいぶ大きい。舞台では実際の人間の役者(時には子役だった)が演じたのだから修辞にすぎないといえばそれまでだが、それでも薔薇の花や桜草の花の中にもぐり込んだり、どんぐりの穀に隠れたり蠣幅と戦ったりするほど小さなフェアリー、優しい自然の中で楽しく踊り歌い飛びはねる陽気で美しくてかわいらしいフェアリーを創出したのは、やはり詩人としてのシェイクスピアの卓越した才能だった、と言えるだろう。彼の筆によって、イギリスのフェアリーが新しい時代を迎えたのは事実である。シェイクスピアがマブ女王を夢の女王として、短いマキューシオの台詞の中に凝縮して描写したことによって、後世の詩人たち、ドレイトンやヘリック、ミルトン(『フェアリー・マプ』)やシェリー(『マブ女王』)が、妖精の女王としての位置をマプに与え、自在に描いていく結果になったのだといえよう。

シェイクスピア.jpg
ウイリアム・シェイクスピア
シェイクスピア2.jpg
「夏の夜の夢」の木版画より「テイターニアとボトム」


『妖精の系譜』 新書館

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