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梟翁夜話 №111 [雑木林の四季]

「鶏たちが飛んだ!」

        翻訳家  島村泰治

わが庵には猫の何やらのやうな菜園、一間四方の花壇それに程々の鶏舎がある。葉物はほぼ自前で賄い、日によっては初夏を思わせる陽気に合わせるかのやうに、いまチューリップが競い咲き、鶏たちは日にいくつかの卵を産んでくれる。世にはまさに事もない。

畑の散水を済ませ、芝にスプリンクラーを仕掛けておいて、さて、鶏たちや如何にと鶏舎を覗く。二世代が左右に分かれて飼われており、姉御たちはやや広め、妹たちは狭めの遊び場に群れて、砂浴びやら地面を啄むやら、それぞれに忙しげだ。女房どのがピー太と呼び習わす老いた雄鶏は、今日は姉御たち側に混じって所在なく辺りを睥睨(へいげい)してゐる。

この鶏たちの面倒は女房どのの専科で、日々の給餌から採卵、鶏舎の管理まで仕切ってゐる。しげしげと眺めれば、鶏舎の地面は鶏たちの土掘りで起伏が激しい。鶏舎を建てた頃に備えた止まり木は、哀れ、或いは折れたり抜けたり、いまはすべて脇に追いやられて機能喪失だ。その結果、鶏たちは平面移動だけで飛び上がるものがない。そこで、はたと気付いた。陽気も良くなったいま、鶏舎の整地を兼ねて止まり木を新調してやらう。この二年ほど敷地内の樹々を伐採、整枝した折の枝木を生かして、一丁自然味豊かな止まり木を組んでやれば、鶏たちはさぞや喜ぶだらうと提案すれば、女房どのは一も二もなく乗り気、費用は厭わないとまで曰うではないか。

いや、何とか手持ちの自然木で賄うからと、早速に材料を物色、あれこれ仕組みを思い巡らす。空を飛び回らぬまでも鶏も鳥、一間ほどは楽に羽ばたき上がる。高さを変えて何種か考えてやらうか、何ならジャングルジム擬きの・・・。元来ものを拵えることが嫌いでないから止まり木づくりの構想は果てしなく広がった。

何年になるか、芝の広がりを企んで周囲の古樹から何本か葉陰がきついのを選って伐った折に、いずれ何かの役に立つべしと横枝などを取り揃えておいた。それらがいま、止まり木の材料になるから妙だ。田舎暮らしの余慶がこんな処にもある。横木用に格好な枝を二本、途中の余分の枝を払ってほぼ一間に切り揃える。それを両端で受けるY字状の枝が四本、これも高さを決めて鋸を入れる。これで高さ二尺ほどの止まり木がふた組できる。

鶏はどれほど飛び上がるものかと問えば、
鶏専科の女房どの曰く人の肩ほどか、と。ならばと、T字状の小高い止まり木をこれもふた組、雑木から選び抜いて切り揃える。さらにもうひと組ずつ考えてやりたいものだ。空かさず女房どの曰く、ブランコは如何。ぐらつく枝に止まれるものかどうか、それが楽しみ、と。これは若鶏たちに備えてやることに衆議一決。おば鶏たちにと思いついたのが鼎(かなへ)の三角止まり木、安定度抜群、あわよくば三方三羽で都合九羽が同時に止まるなどもありやなしや。

止まり木の取り付けには、天候などの都合で二日を要した。立木部分はそれぞれ裾に支え木を打ち込み、長めのビスでしっかり固定、Y字状の又には横枝を放り込んだままの自然を生かした。例のブランコは人の頭ほどの高さ、若鶏とはいえ地上からは無理か、T字状から飛びつくウルトラCを見せてくれるか、さて。鼎の三角止まり木は絶品だ。九羽止まりはさておき、この鼎はおば鶏たちの和みの場にはなるだらう。

折しもわが庵辺り、柿の葉たちが勢いよくそそり立ち、山椒の葉群れが賑やか、精魂込めて抜き去った雑草の影もなし。これで今年の芝はさぞや心地よく広がるだらう。北足立の初夏、真っ盛りである。

島村111.jpeg


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