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私の中の一期一会 №260 [雑木林の四季]

   山梨県道志村のャンプ場から行方不明になっていた美咲さんは死亡していた
  ~捜査関係者「道に迷って滑落したか?散々探したのに見つからなかった~

         アナウンサー&キャスター  藤田和弘

 少学1年生の女の子が神隠しに会ったように山梨県のキャンプ場から姿が消えたのは、2019年9月21日のことだった。
 千葉県成田市に住む小倉美咲さん(当時7歳)は、母と姉の3人で、その日の昼頃山梨県道志村のキャンプ地に到着した。
 「子育てサークル」で知り合った家族27人も一緒だった。
 美咲さんの父親は翌日に参加する予定だったという。
 皆で天ぷらそばを食べた後、子供たちはテントを張った広場近くで遊んでいた。
 午後3時半頃、友人たちはキャンプ場の西側にある沢に向かった。
 美咲さんは5分程遅れて、友人たちを追って沢へ行くため一人でテントを離れた。
 20分ぐらいして友人たちは戻ってきたが、その中に美咲さんはいなかったのである。
 山梨県警に家族が通報したのは5時ごろだったという。
 県警はすぐ捜索を開始したが、最初は「すぐ見つかるだろう」と思ったのに見つからない。
 地元の消防団や近くに住むボランティアが加わっていき、ついには自衛隊までが派遣されるという大捜索が行われた。
 警察犬や体温を感知するセンサーを搭載したドローンなども投入された。
 16日間に延べ1700人が参加した捜索にも関わらず、手掛かりになるようなものは一切見つからなかった。
 美咲さんが行方不明になって2年8カ月程が経った今年の4月23日、キャンプ場から600メートルほど離れた場所で人骨のようなものが見かって、警察が調べた結果“子どもの頭蓋骨の一部”と判明した。
 そこで、山梨県警は25日から改めて発見現場付近の捜索を開始した。
 すると美咲さんの履いていたものと同じ運動靴や靴下などが見つかった。
 5月に入ると、肩甲骨やシャツなどが見つかり、いずれも美咲さんと関係がありそうだった。
 山梨県警が肩甲骨の細胞核からⅮNAを採取し鑑定を行なっていたが14日、美咲さんとⅮNA型が一致したこと明らかにした。
 県警は「生命維持に欠かせない部位の骨で、美咲さんは死亡していると判断した」と説明した。
 そして、発見した骨を小倉美咲さんのものと特定したことを母親とも子さんに伝えたという。
 しかし、美咲さんの死因や行方不明後の足取りなど分からないことも多く、県警としては事故、事件の両面で捜査を続けていく。
 キャンプ場の近くに住む女性(85)は「行方が分からなくなってから、ずっと美咲ちゃんのことを気にかけてきた。お母さんの気持ちを考えると・・」と目を伏せた。
 また猟師をしている男性(76)は「現場の沢まで行く道は、子供には歩き難い筈なのに」と疑問を投げかけていた。
 県警は今後、美咲さんがどういう経緯で死亡するに至ったか解明を急ぐことになる。
 道志村の多くの場所では尾根や沢が入り組んでいて、地形の複雑さが捜索を難しくしているとも言える。
 ロープを使わないと立ち入れない急な崖、足場がもろい岩場は崩れやすく滑落の危険もある。 
 ある県警幹部は「道に迷ってキャンプ場に戻れなくなり、どこかに滑落してしまったのでは・・」と推測する。
 骨や靴などが複数の場所で見つかっていることについて「死後に野生動物が運んだ可能性がある」とも語った。
 4日に見つかった肩甲骨はキャンプ場の近くにある水の枯れた沢で堆積した落ち葉や腐葉土の中に埋もれていた。
 運動靴が見つかった周辺は沢が多く、大雨で流されてきた可能性も考えられる。
 人が遺体を埋めた可能性は低いという。
 15日も40人体制で捜索しているが発見はない。
 ジャーナリストの大谷昭宏さんは、「事故死や病死であればすぐ見つかる筈だ。誰かの手によって遺棄された事件の可能性が高い」と述べている。
 村でキャンプ場を経営する男性(76)は「事件か事故か。何故美咲さんは亡くなったのか。判明するまで終わらないだろう。しばらく平穏な状況は無理だろう」と語った。
 母親のとも子さんは「あの日一緒に行ってあげれば良かった.悔やんでも悔やみ切れない」と自分を責める言葉しか出てこない。
 親が子を失う悲しみは、失った者にしか分からない。
 運命も時には過酷なものであると思った。


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