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西洋美術研究者が語る「日本美術は面白い」 №81 [文芸美術の森]

        喜多川歌麿≪女絵(美人画)≫シリーズ
         美術ジャーナリスト  斎藤陽一
          第9回 「歌撰恋之部」

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≪もの思う恋≫

 今回は、歌麿の全盛期と言われる寛政中期に制作された全5枚の大首絵のシリーズ「歌撰恋之部」(かせんこいのぶ)の中から、「物思恋」(ものおもうこい)と「深く忍恋」(ふかくしのぶこい)の2点を紹介します。歌麿の代表作とされる作品です。

 「歌撰恋之部」というシリーズ名は「六歌仙」などを連想させ、和歌にちなんだ連作かと思ってしまいますが、必ずしも、特定の和歌に関連した内容ではありません。
 このシリーズは、「恋する女」六態を描いて、それぞれの内面までも表現しようという意欲的なものです。

 そして、このシリーズで描かれるのは、いずれも堅気の女性たちです。いわゆる“水商売”の女性、たとえば芸者や遊女、水茶屋の女といった人は一人も描かれていない。

 上図は、その中の1点「物思恋」(ものおもうこい)。とりわけ世に知られている作品です。眉を剃っているところから、人妻、それも、着ている着物から見て裕福な商家の若奥さん、といった風情です。
 
81-2.jpg 眼を細めて、何やら物思いにふけるような虚ろな眼差し、軽くついた頬杖に軽く曲げた指先、ずり落ちそうな前ざしの簪(かんざし)・・・これらの微妙な描写によって、既に人妻となっていても、今なお忘れられない恋に思いを馳せている様子を表現しています。

 全体に抑え気味の渋い色調ですが、わずかに袖口にのぞく下着と唇に鮮やかな紅色を用いることによって、女の中に今なおくすぶる熱い情念を暗示しています。

 髪の毛の細かな彫りこみの線にも注目!
 彫師と摺師の超絶技巧がそろって、はじめて可能となる見事な描写です。
 その結果、入念に結い上げた、つややかで美しい黒髪が表現できました。江戸の浮世絵版画の技術は、このような高度な水準に到達したのです。ちなみに、左右に張り出した独特のヘヤースタイルは、「灯籠鬢」(とうろうびん)と呼ばれました。

 構図にも注目しましょう。
 女性の体と顔は、右下から左上にせり出すような形で描かれ、そのラインを、左右に大きく張り出した「灯籠鬢」が受け止め、さらに、左下から右上に伸ばされた頬杖の腕が支えることによって、画面はかろうじて均衡を保っています。まことに大胆で独創的な構図であり、歌麿の大首絵の特徴をよく示した作品です。

≪深く忍ぶ恋≫

 次も、「歌撰恋之部」シリーズの中の1点、「深く忍恋」(ふかくしのぶこい)です。

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 この構図も大胆です。
 女性の体は右を向いていますが、首だけをぐいと左に向けて、下の方を見つめています。女性の首と顔が作るラインは、右下から左上に流れ、それを大きな髷(まげ)が受け止め、女性の腕の作る「くの字」が安定感を生み出しています。

 使われている色彩は数少なく、抑さえた色調ですが、着物にかけられた黒襟と丸髷の「黒」が画面を引き締め、同時に、女の肌の「白さ」を引き立てている。そして、煙管と襟、帯の「紅色」が鮮やかなアクセントとなっています。

 この女性は、やや年増の人妻でしょうか。口もとからわずかに鉄漿(おはぐろ)が見えます。
彼女は、一体何を思っているのだろうか?
題名の「深く忍恋」からは、『拾遺和歌集』にある、よく知られた平兼盛の和歌:
      忍ぶれど色に出にけりわが恋は
            ものや思ふと人の問ふまで
を連想します。おそらくこの女性の恋は、人に知られてはならない恋なのでしょう。

 先ほど見た「物思恋」が、はるか若い日の恋を思っているような、遠くを見つめる眼差しを示しているのに対して、この女性は、今もなお、心の中の恋の炎が消えていない、というような風情を漂わせています。

 次回は、「吉原遊郭の遊女たち」を主題とした異色の「大首絵」を紹介します。
(次号に続く)


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