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武州砂川天主堂 №1 [文芸美術の森]

第一章 慶應四年・明治元年 1

         作家  鈴木茂夫
 
 武州(ぶしゅう)多摩郡砂川村は、東京・日本橋から西へ九里(約三十六キロメートル)、武蔵野のただ中にある。
 村の中央を東西に五日市街道が貫通する。街道の両側にはケヤキの並木。その最も高いものは、十七間(三十メートル)を超える。葉を散らした小枝が重なり合って冬の中空に延びている。それは十七世紀の半ば、村が誕生した頃に植えられ、星霜を重ねてきたのだ。
 村人は約二千人、五日市街道に直交して短冊形に土地割りし、一番組から十番組までの集落を形成している。水利に恵まれないので、農作物は、陸稲、麦、甘藷、茶、桑酉など。街道の北を流れる玉川上水の水を分配されて、生活用水としている。
 ここは、韮山(にらやま)代官江川家の管轄。村の名主は代々砂川家が勤めてきた。二百年を超える。
慶應四年元旦、武州・砂川村。
 新春の阿豆佐昧天(あずさみてん)神社は、初詣の村人で賑わっていた。御祭礼と記した一対の天職が据えられている。敷石で固めた参道の脇には、べっこう飴、櫛や算、縁起物のダルマ、富山の薬など露店が並んでいる。頭巾の上に烏帽子をかむり、曲芸する放下僧もいる。子どもたちは、群れなしてあちこちと走り回ってはしゃいでいる。
 境内の神楽舞台では、祭り嚇子が奏でられている。

  前の門(かど)よりこの座を指して
  七福神が舞い込んで、
  ぐるりと並んでお酒盛り
  布袋に福禄、毘沙門や
  弁天様のお酌にて
  飲めよ大黒、させ恵比寿
  中で鶴亀舞い遊ぶ

 正月恒例の伊勢音頭だ。
 村人は誰も火慰斗(ひのし)をかけた紺無地の袷を着た晴姿だ。初詣を終えると、社殿の前に立つ名主砂川源五右衛門に深々と頭を下げた。
 「おめでとうさんです。旦那様、きょうは良いあんばいのお日和でねえ」
 「めでてえこった。この分じゃ今年もきっと豊作にちがいなかんべえ」
 源五右衛門は当時三十斎。さっぱ声音で口上をのばた。身の丈六尺(一・八メートル)、面長の顔に花宇治が通り、唇は横一文字に結んでいる。太い眉、両の眼は黒目がちに澄んでいる。羽織袴の腰には大小の刀を下げていた。苗字帯刀を許されているのだ。
 江戸での刺帆他行の成果で、精悍さが全身にみなぎっている。
 二番組の組頭内野藤右衛門が笑顔で挨拶してきた。
 「旦那、正月がめでてえことはの結構だが、おらにはちっとばかり見当がつかねえことがある。ぜひとも教えてくらっせえ」
 「そりゃ藤右衛門さん、なんのこったい」
 「いえね、俺は学問がねえから、世の中の動きがつかめねえ。去年の秋、『たいせいほうかん』てのがあったというが、ありや一体何のこっちゃ」
 「ふむ、そりゃ、大政奉還のことだあね」
 「そう、それが分かんねえ」
  「一口で言えば、将軍様が将軍を辞めたってことだよ」
  「将軍様ってえのは、徳川様のことですかい」
  「そうだ。徳川慶喜公は、徳川第十五代の将軍様だ。その慶喜公が将軍を辞めたんだ」
  「将軍様が将軍を辞めると誰に言ったんだい」
  「天朝様(てんちょうさま)と大名衆に言ったんだ」
  「天朝様ってのは何だい」
  「天子様とも言う。この日の本の国の元締だ。この天子様が徳川様に将軍を勤めるように頼んだ方だんべ」
  「よく分かんねえが、天子様って人が、日本の元締なら、徳川様を将軍にしないで、自分でこの国を治めりやいいんじゃねえか」
  「藤右衛門さんの言うことには一理がある。しかし、天子様の家来には武士がいなかった。武士がいなきや抑えがきかねえ。そこで武士の棟梁に、この国を治めて欲しいと頼み込んだ。それからざっと四百年間、将軍を努める家柄は、何度か変わり、徳川様となって二百数十年続いてきた」
 「将軍様は、うまくこの国を治めてきたんじゃねえんですかい。それがここに来て、なぜ突然、将軍を辞めることになったんですかね」            うわさばなし
 「俺のような百姓には、その辺から先のことは分からねえ。江戸の町の噂話をひっくるめて、こんなところだろうと見当をつけてるだけ。少し前から、異国の船がやってくるようになった。交易をやりたい、異人を住まわせたい、だから港を開いて欲しいと申し込んでくる。異国の船は、風で走るばかりでなく、船に取り付けた水車のような代物を回して走る。そして船に積んである大砲は、とてつもねえ威力がある。長く砲弾が飛び、大きな爆発力がある。しかし、徳川様にも大名衆にも異国の船を退治する大砲も船もねえ。将軍様は、長崎、横浜、兵庫、新潟、箱館の港を開放した。そして交易もするとした。つまり開国の方策だな。そこで手詰まりを起こしたんじゃねえかと思う」
 「天子様が自分で国を治めても、抑えのきく武士の家来衆がいねえのなら、どうにもならねえんじゃねえんですかね」
 「話がそうなると、俺には分かんねえ。」
 「旦那、話の切り口を変えてみてはどうでしょう。公方様が、将軍をやめて何になったんですかい」
 「将軍様ってのは、徳川様ってことだ。つまり慶喜公だ。将軍を辞めれば、大名だな」
 「旦那、徳川様が大名になったというのは変じゃねえですかい。徳川様は、四百万石の大大名、日本一の大名だからこそ大名の元締の将軍様だったんじゃねえですかい」
 「あんたの言うとおりだ。そして俺たちは、徳川様の領民だ」
 「旦那、そんなことで成り行きは、収まるだんべえか」
 「頭を抱え込んじまうのは、その点だ。何かどでかい変わりようになってしまうような感じもする。つまり、将軍様も、大名も吹っ飛んじまうような様変わりがあるんじゃねえかと思うんだ。士農工商って言葉がある。世の中にある身分とその順序のことだ。その一番上に立つ『士(さむらい)』、武士が揺れているんだ。異国の力の前に、何もできないでいる。そうなのに、国の中じゃ、刀を振るってる。それは、国が根元から揺らいでいるってことじゃあねえだろうか」
 「今年はえれえことになりそうな気配なんですかい」
 「将軍様は、この前、長州藩がけしからんと、軍勢を繰り出しただろ、一回目は勝ったが、二回目は、大負けだった。徳川が戦って負けるなんてことは考えてもみなかった。でも、そうなっちまったんだから、つまり、徳川の力が弱くなっているってことだよな」
 「徳川に代わって天朝様というか、天子様が元締になるってことですかね」
 「今言えるのは、何かがおわり、なにかがはじまるっていう気配じゃないだろうか。それ以上のことは、分かんねえさね」

『武州砂川天主堂』 同時代社



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