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日本の原風景を読む №48 [文化としての「環境日本学」]

塩の神様への畏敬-塩竈神社 

  早稲田大学名誉教授・早稲田環境塾塾長  原 剛                 

 海の労苦を背負う捜土老翁神

 『古事記』、『日本書紀』に由来する神話が宿る塩竃神社の野口次郎禰宜は、その瞬間、凶暴で鳴る須佐之男命(スサノヲノミコト)の乱暴狼籍を目撃した心境になったと顧みる。直近の塩釜湾から立ち上がった真っ黒い水の壁が人家を蹴飛ばし、田畑を一瞬に消し去った。「丁寧に作ってきた田や畑、ビニールハウスが押し寄せる津波に一瞬に飲み込まれていくさまに、須佐之男命の蛮行を嘆き悲しむ天照大神を思いました」。

 塩竈市中心の高台に鎮座する塩竈神社に、東日本大震災直後大勢の氏子が集い、恒例行事に代えて復興祈願が行われた。主神は「おらが塩竈さん」と親しみ呼ばれる塩の神様「鹽竈土老翁神(しおつちおじのかみ)」である。野口次郎禰宜が語る。
 「イメージは白い顎髪をたくわえていて、知恵の深い、物をよく知る、民を守ってくれる老翁です」。
 暑い盛りの七月四日から六日にかけ、塩竈神社で塩竈の町の名前の由来にもなった旗作りの祭り「藻塩焼神事」がとり行われる。鹽土老翁神が塩を作ったと伝えられる四つの神釜に一年間溜めておいた海水を、新しい海水と入れ替え、窯に火を焚いて塩をつくる。天変地異が起こるときには、水の色が変わると言い伝えられている。釜社守(かましゃもり)の目視によると、「今度の大震災の前に海水がおかしな色に変わりました」(野口禰宜)。伊達藩の時代は、神釜の水色を見守る記録係がいた。
 多くの灯篭が倒れたが「塩竈さん、以前の通りだね。ほっとした、とか気持ちが前に戻れた、とか、そういう言葉を漏らす参拝の方たちに多く接しています。神社の境内で見る風景が、以前と同じであるということが、被災者たちの心の救いになっているように思えます」(野口禰宜)。
 塩竃神社の社殿構成は特殊である。盤上老翁神、武餐槌神(たけみかつらのかみ)、経津主神(ふつぬしのかみ)三柱を祀るが、主神である竈土老翁神の拝殿は正面ではなく右側に祭られている。
 神社の社殿は普通南向きに建てられるが、塩竈神社の拝殿は西向きに、海に背を向けている。野口禰宜はその理由を説明する。「神社の本殿は三つ、拝殿が二つあります。主神である竈土老翁神の拝殿は、海に背を向けて立っている。地元の人は海から上がった竈土老翁神が、そのまま海の苦労を背負っていてくれている、という言い方をします。この地方では津波のたびに、鹽の神様が千々に乱れた世の中を収赦し、鎮めることの繰り返しだったと思います」。
 人間が中心ではありえない、知を超えたところに我が身を置く。救いを求める。頼む。祈る。「見えない何か」と対話する。祈りの核心である。

暮らしの智恵 ― アニミズムとマナイズム

 風景論の第一人者で環境庁参事官をつとめた大井道夫氏は、文部省(当時)が主催した「文明問題懇談会」(昭和五十~五十一年)での文芸評論家山本健吉の見解を次のように紹介している。
   - 文学や芸術にあらわれた日本人の自然観の際立った特徴は、古代人が持っていたアニミズムとマナイズムである。アニミズムとは自然の中に霊魂を見ることであり、どちらかと言えば人間と自然の親密感を表すものである。マナイズムとは自然の中に超自然的な威力を感じることであり、それは自然に対する人間の畏怖の念をあらわすものである。古代日本人はこの両者をもっていたが、時代の経過とともにそれを失ってきた。とくに、明治以後、欧米文化が移入されるとそれらは迷信として排斥されるようになった、と山本氏は述べ、次のように指摘している。「しかし、単に迷信として捨ててしまっていいものかどうか、むしろそれは日本人が古来生きるための大変な知恵じゃなかったか、そういう考え方が、人間の生活を快適に暮らせてくれたんじゃないか。そういうプラスの面を考えていいんじゃないか。      (『大井道夫著作集』二〇〇ヒ年)

祭りは地域の尊厳

 神社は神を祭るのにふさわしい小高い所や森の奥に建っているので、多くの社は津波を免れた。しかし東日本大震災では一七九の寺院、三〇九の神社が全半壊し、住職三人、神官八人が死亡、行方不明となった。しかし壊滅した海辺の集落から残存した神社を足場に、尺取虫のように人々の動きが地域に広がっていった。最初にアニミズムとマナイズムをないまぜにした民俗芸能「祭り」が復活の動きをみせた。神輿や山車が修復され鹿踊り、虎舞、神楽が数少ない踊り手によって舞われた。
 浜辺の人々の多くが、神への奉献に由来する数々の神事に、地域立ち直りの手がかりを得ようとした。岩手、宮城、福島の三県で神楽、獅子舞など民族芸能が八百件、七夕、火祭りなどの祭祀行事約五百件が伝承されている。その理由はそれらが人々の絆を結び、心のよりどころとなっているからだ。
 脚本家内館牧子さんは仕事を休み、東北大学大学院で三年間宗教学を学び、祭りを追って東北の各地を巡った。
  ― 私はかって歩き回った地や、追いかけた祭りを思った。美しい山々や、豊かに広がる田畑を思い、そこで生きる人びとの笑顔や優しさを思った。そして、ハッキリとわかった。
 東北にとって、「水」と「緑」と「祭祀」は、尊厳に関わるものなのだと。この三つを無視する復興策を進めたなら、それがいかに利便性に富み、最新の町であろうと、東北ではなくなる。東北の尊厳に関わる部分に触れることは、断固として拒否しなければ、町は死ぬ。巨大な観覧車が夜空をかき回す景観や、万博会場のように整備されつくした町は、東北とは相いれない。私はそう思い復興構想会議でも言い続けた。
 驚いたのは、震災からほどなく、東北の人たちは、祭りの復活を目指したことだ。大切な人を亡くした悲しみも癒えず、ガレキも片付かず、放射線の状況に一喜一憂する中でも、祭りを準備する動きが出始めた。それは紛れもなく「尊厳に関わること」だと証明していた。たとえ一基の山車であっても、一人の雌子方であっても、町々で復活した。
 震災から三回目の夏、ぜひ東北の祭りを見ていただきたい。大きくよみがえったそれには東北の尊厳に全国の尊厳が重なる。全国の我が地、我が祭りの尊厳が宿っている。
                   (『朝日新聞』二〇一三年七月十八日「発言」)
 
 地域に潜在し受け継がれてきた日本文化の基層が、大震災によって鮮やかに掘り起こされ、人々の心をつなぎ、共有されているようだ。海の労苦を背負って立ってくれている軽土老翁神への畏敬は、歴史に鍛え抜かれた日本人の心の原風景像であるといえよう。

『日本の「原風景」を読む~危機の時代に』 藤原書店



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