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多摩のむかし道と伝説の旅 №104 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

           多摩のむかし道と伝説の旅
                        -幻の旧五日市鉄道廃線跡を行く-4
               原田環爾

3-2.jpg これより五日市に残るもうひとつの五日市鉄道の廃線跡を辿ってみる。すなわち現在の武蔵五日市駅の300m手前辺りから分岐し、秋川街道に沿って北上し、平将門伝説で知られる大久野の勝峰山の麓に3-3.jpgあった旧武蔵岩井駅までの路線だ。武蔵五日市駅から駅前ロータリーを左に抜けて秋川街道に入る。武蔵五日市線のコンクリートアーチのガードをくぐると北へ向かう上り坂となる。沿道右側に延長100mばかりの築堤が迫る。かつての武蔵五日市と武蔵岩井間を走っていた五日市鉄道の廃線跡だ。今は築堤の盛土にただ雑草が生茂3-4.jpgっている。坂道半ばの築堤下に古びた石仏石塔が7基並んで立っている。廃線跡の築堤が途切れる辺りに右手の林へ入る分岐道は横沢小机線という横沢入に向かう林道だ。林道を避けると上り坂は終わりバス停 「小机」に来る。バス停前には社会福祉法人金木星の会の五日市ホームがある。更に道なりに進み太平洋セメントのミネラルファイバー工場前で五日市から日の出町に入る。この付近には藤太口という地名がある。藤田とは伝説の将軍俵藤太秀郷の藤太に由来する。伝説によれば 俵藤太はここに陣をひき勝峰山にたてこもった平将門の討伐を目指したという。

 程なく道は大きく右へカーブし大久野中学の前に来る。カーブ地点には1軒のラーメン屋があり、そこから北へ向かう分岐道が出ている。先述の廃線跡の続きはこの分岐道だ。沿道左手の広々とした畑の縁に沿ってゆったり右へカーブしな3-5.jpgがら一路武蔵岩井駅へ向かっていく。ほどなく右手に「語らいとふれあい公園」という小公園がある。かつてこの辺りに旧大久野駅があった。その向こうには狭い街路を挟んで幸神神社がある。建武3年(1335)出雲路(京都市上京区幸神町)幸神(サイノカミ)をこ3-6.jpgの地に勧請したと伝える。祭神は猿田彦大神。境内には樹齢700年以上という国指定の天然記念物シダレアカシデがある。まもなく先の神社からの街路との合流点に来るとまっすぐ伸びる未舗装の鄙びた分岐道が現れる。分岐点には鉄道を管理していた工部省の「工」マークを刻んだ石標柱が立っている。このことからこの先の分岐道が廃線跡であることを示している。ここからは左が勝峰山の山裾で、両サイドが雑草で覆われたのどかな廃線跡を辿ることになる。やがて右手下方に平井川の流れが目に入るようになる。再び二股の分岐点に来る。左は勝峰山頂へ向かう林道、右は廃線跡だ。右手に進むとほどなく広々とした3-7.jpg削平地となり前方に青いフェンスが目に入る。フェンスの中は駐車場となっている。ここは太平洋セメントの敷地で、廃線跡はここで遮られてしまうのであるがフェンス右手の小路を進むことが出来る。フェンスが切れるとそこが平井川に架かる岩井橋の袂で、太平洋セメントの工場入口になっている。かつてはその守衛所左手に旧武蔵岩井駅のプラットホームがそっくり駐輪場となって残されていた。ただ残念なことに平成28年老朽化に伴い撤去されてしまった。現在はその場所に武蔵岩井駅があったことを示すパネルが立っているだけだ。

 幻の旧五日市鉄道廃線跡の旅はここで終わる。(完)


 

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