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妖精の系譜 №24 [文芸美術の森]

シェイクスピアの妖精

    妖精美術館館長  井村君江

妖精に再び生命を吹きこんだシェイクスピア

 エリザベス朝時代に入ると多くの劇作家たち、ジョン・リリーやロバート・グリーン、ジョン・デイやベン・ジョンソンなどがオベロン王や陽気なゴブリン、フェアリーたちを、舞台にいきいきと活躍させている。
 エリザベス朝はイギリスのフェアリーの黄金時代である。この時代には詩人は民衆の中にいて、愛国的理想の高揚から卑俗な迷信に至るまでの、実にさまざまのものが詩に歌われ、舞台で演じられた。宗教的な規律の桎梏(しっこく)もなく、海外からの侵略の恐怖もなかったこの時代に、イギリス国民の想像力は海の彼方に黄金の島を描き、猥雑なまでに精力的であり逸楽的だった。シェイクスピアの戯曲を考える時に、こうした世相の中で彼の劇場を経済的に支えていたのが貴族であると共に町人であり、彼の作品を高く評価したのも町人たちの批評眼だったことを忘れてはならないであろう。シェイクスピアを考える上でこうしたことは重要であり、シェイクスピアの妖精たちの性格にも、この事情は投影している。                    
 ロンドンの都会に生まれケンブリッジで学問を身につけたスペンサーは、中世騎士物語(ロマンス)の妖精の貴婦人たちを描くことに執着していたが、これに反しストラットフォードの田舎からロンドンへやってきたシェイクスピアは、生まれ故郷のフェアリー伝承を地方から都会へ運び、昔から素朴な人々の心の中にいきいきと息づいていた妖精の生命を、自らの作品の中に吹き込んで、再び妖精に活力を与えたのである。
 一方でジェイムズ一世の『悪魔学』(一五九七)が刊行されたことでもわかる通り、当時ミドルトンの魔女やデッカーのエドモントンの魔女が舞台で歓迎されていた時代でもあり、総じて妖精たちは、いたずらで陽気な性質は認められながらも、魔女と同様に不気味で不可思議な存在として、崇りを恐れて触れない方が賢明であると民衆に思われていたのである。

 ……だがわれわれは幼年時代に、次のような生きものが出てくるよとよく恐がらせられたものである。牛怪獣(ブルバガー)、精霊(スピリット)、魔女(ウイッチ)、針鼠小鬼(テーチン)、小妖精(エルフ)、鬼婆(ハゲ)、妖精(フェアリー)、半人半山羊(サチユロス)、牧神(パン)、半人半獣(フアウヌス)、半人半島の海の精(サイレン)、さ迷う鬼火(キット・ウイズ ザ キャンドルスティック)とか、海の精(トリトン)、半人半馬(ケンタウロス)、小人(ヂワーフ)、巨人(ジャアント)、小鬼(インプ)、毛づめの鬼(カルカース)、魔法使い(コンジュアラー)、小妖精(ニンフ)、取り換え鬼(チェンジリング)、夢魔(インキスパス)、悪戯者の小妖精(ロビン・グッドフェロー)、ひづめ幻獣(スプーン)、悪夢の精(メア)、槲の木の精(マン・イン.ザ・オーク)、地獄の悪鬼(ヘル.ウェイン)、火龍(ファイヤードレイク)、悪戯者の小鬼(パックル)、親指トム、悪戯小鬼(ホブゴブリン)、騒ぎ屋の小人(トムタンブラー)、骨無し怪物(ボンレス)とかこういった生きものたちだが、われわれは自分の影に脅えていたのである。

 レジナルド・スコットが『魔術の正体』で挙げているこうしたさまざまな生きものは、乳母たちが子供を寝かしっけるために「おどし」に使った闇の国に住む恐ろしい生きものであり、妖精もその一種として扱われていたことが判る。民間の信仰や迷信の中で、長いこと妖精は悪業を強調され、不吉な出来事や失敗やケガまでが、妖精の仕業とされ恐れられていた。シェイクスピアも幼い頃、こうした民間に流布していた話を故郷のウォーリックシャーの炉端で冬の夜話にあるいは寝物語に聞いたであろうし、前述のスコットの本も読んでいたと推定されている。しかしシェイクスピアは、彼独自の演劇本能と想像力によって、民間伝承の中の妖精や中世ロマンスの妖精女王、ギリシャ・ローマの系譜に属する精霊たちを一つのるつぼの中で巧みに溶け合わせ、独自の容姿と性質を備えた妖精を作りあげていった。総じて、これまで醜く恐ろしい存在だった妖精たちを、バラの花の虫を取り、ドングリの穀にもぐり込み、月夜の調べに合わせて踊る小さく美しい容姿と人間に親しい性質を持つ存在にしたのは、シェイクスピアの功績であったといえよう。シェイクスピア劇における妖精の特色を、『夏の夜の夢』のオベロン、ティターラ、パック、および『嵐』のエアリエル、『ロミオとジュリエット』のマブ女王を中心にその淵源や系譜を辿りながらシェイクスピアの特色ある妖精を見ていきたいと思う。
 「ミッドサマー・デイ」(夏至の日)は六月二十四日で聖ヨハネの誕生節であり「ミッドサマー・ナイト」はその前夜であって、この日が地母神の祭りとも重なっているところから、晩になるとフェアリーたちが森や水のほとりや丘に現われて饗宴を張るという言い伝えがある。この祭りの目あるいは前夜は、薬草が効を奏する日とされ、未来の夫をベンケイ草で占うことのできる日ともされている。すなわち妖精が活躍し魔法の効力のある夏至の日が選ばれているのである。しかしシーシアスが早朝の森で恋人たちを見つけたとき「これで五月祭の行事は無事に終わった」と言っているように、この出来事が五月祭の前夜ともとれるのである。しかし五月祭もメイポールを飾り樹木の成長と豊穣を祈る祭りであるので、自然の精霊である妖精と関係ある日といえよう。シェイクスピアがこの戯曲のフェアリーを書くにあたって、いちばん頭の底にあったのは、幼い頃を過ごしたウォーリックシャーの田舎で見聞きした民間信仰の類であろうが、例えばこの作品の舞台がアセンズの森、すなわちギリシャということになっていることからもわかるとおり、シェイクスピアは実にさまざまの要素を混ぜ合わせてこの夢幻劇を織りあげている。
 登場人物は二つのグループ、人間たちと妖精たちに分かれる。人間たちのグループはさらに三つに分かれ、(1)上流階級の領主シーシアス(ギリシャ風にいえばテーセウス)とアマゾンの女王ヒポリタ、(2)貴族の子女たち、バーミアとライサンダー、ヘレンとデミートリアスらで、彼らはまったく当時のイギリスの華やかでロマンチックな、そのくせ、いさかいばかりしている恋人たち、畑のグループは領主シーシアスの婚礼の祝賀会で茶番劇(これもギリシャ風に『ビラマスとシスビ』である)を演じようと練習にはげんでいる、明らかにエリザベス朝の町人風俗そのままの職人たち。この三つの人間の群れの間に、フェアリーたちが介在し、なかば狂言まわしの役をつとめて、ここに現実と夢の奇妙に入り混じった、夏の一夜のコミカルで華やかな夢幻的喜劇が、森という別世界で展開されるわけである。そしてシーシアスとヒポリタの婚礼の式を四日後にひかえたある日の出来事となっている。                               
 『夏の夜の夢』の妖精については、当時の民間伝承を蒐集したジョゼフ・リトスンの書とそれを敷衍(ふえん)したバリウェル=フィリップス『〈夏の夜の夢〉の妖精神話例解』(一八四五)に多くの手がかりが見出せるし、アルフレッド・ナットの『妖精学』(一九〇〇)やラサム及びドラットルの研究書や、キートリー、プリッグズの研究書に見られる。ここでは、最近刊行されたシェイクスピアの作品の淵源をまとめたケネス・ミュアーの研究書から、『夏の夜の夢』の素材として挙げられているものを、便宜上項目別にまとめてみよう。
オベロン
 容姿-『ユオン・ド・ボルドー=中世ロマンス/バーナーズ卿訳一五三四)
 性質-『ジェイムズ四世』ロバート・グリーン 一五九一)
 妖精王の記述—トマス・ナッシュの劇(一五八九)
 妖精王と人間の関係—『貿易商人の話』(チョーサー『カンタベリー物語』)

ティタニア
 名前—『転身物語=オウィディウス/アーサー・ゴールディング訳 一五六七)
 性質—『貿易商人の話』(チョーサー『カンタベリー物語』)

パック
 性質—『魔術の正体』(レジナルド・スコット 一五八四)
  ロビン,グッドフェローとの類似 - 民間伝承

妖精
 極小の容姿 — 『エンディミオン』(ジョン・リリー 一五八八)
 蛾とクモの巣 — 去蚕とその飛翔について』(T・ムフェット 一五九九)
 魔法の花の汁 —『ダイアナ』(ホルヘ・デ・モンテマヨール)
 変身 — 『黄金のろば』(ルシウス・アプレウス/ウィリアム・アドリントン訳                                  一五六六)

シーシアスとヒポリタ
 『プルターク伝』 (トマス・ノース卿訳)
 『騎士の物語』 (チョーサ「『カンタベリー物語』)

ビラマスとシスビ
 『貿易商人の話』 (チョーサー『カンタベリー物語』)
 『恋する男の告白』 (ジョン・ガウアー 一三九三?)

 『夏の夜の夢』のフェアリーたちは、王オベロンと女王ティタニアに率いられるフェアリー王国という形で現われ、この二人と、それに仕えるパックといういたずら好きの妖精とが主要なメンバーである。この妖精たちの性格も遡ってみればさまざまで、フェアリーの王オベロンはゲルマン系の小人アルベリヒがもとだし、ティタニアにはギリシャ神話のダイアナの血が流れ、パックはケルト系の(エルフ)であるロビン・グッドフェローの性格が多分に入っている。

『妖精の系譜』 新書館



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