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日本の原風景を読む №46 [文化としての「環境日本学」]

東日本大震災の現場から

  早稲田大学名誉教授・早稲田環境塾塾長  原 剛

 『毎日新聞』に「新日本の風景」を連載中の二〇一一年三月十「日、東日本大震災が発生し、死者一万五八五四人、行方不明三〇八九人(二〇一二年三月二十八日時点)を数えた。東京電力福島原子力発電所の炉が連動して炉心熔解の大事故がおきた。放射能汚染のため三四万一四一一人(二〇一二年一月、政府発表)が居住所から脱出、退避を強いられた。文明史に刻まれた大事件、環境破壊事件である。事件の衝撃、負荷は二〇二〇年の現在もなお社会に重圧を加え続けている。
 『毎日新聞』朝刊に連載中だった「新日本の風景」は、取材現場を急遽東日本大震災の現場と周辺に切り替え、記事の核心を「文化としての環境日本学」の探求に定めた。取材グループのほぼ全員が、二〇〇八年以来「文化としての環境日本学」を探求していた早稲田環境塾の塾生であることがその背景にあった。破断された地域社会で、人々は何を心のよりどころにして、どのような行動に出たのか、を取材の主題とした。
 極限の危機に陥って「ゆずれないもの」、自分がなにものであるのか、「アイデンティティ」を被災者と支援者たちは自らに証明することを迫られたからである。
 明らかになった第一の事実は、「雨ニモマケズ」の宮沢賢治の人間像への渇望である。神仏への祈りと連動して、祭祀の復活への意思が第二の共通現象となった。
 「蘇る宮沢賢治」「宮沢賢治の海」は前者に、「心を映す風景」「塩の神様への畏敬」「3・11と魂の行方」は後者の現場と関連する。いずれも日本(東北)文化に潜在している基層が顕在化した現象ではないだろうか。
 地震の破壊エネルギーは地殻変動という科学的事実である。それは人間の側の事情にはかかわらず間断なく進む。人間の生死同様、不可避の自明の理である。自然は自らの論理を科学的に貫徹する。政府の地震調査委員会は、二〇一八年六月、今後三〇年間に震度6弱以上の揺れに見舞われる確率を地域ごとに公表した。東京、横浜、千葉などが確率最高レベルの「二六~一〇〇パーセント」とみなされた。トラフ型地震と直下型地震がその原因となる。いずれ遠からぬ日に、首都閣内にとどまらず全国域で3・11の混乱が再現されよう。その時社会は、人心はどのような状況におかれるのだろうか。心構え、覚悟が既に必要な時である。先行した3・∥現場の風景を記す理由である。

心を映す風景 ― 東北の浄土、中尊寺

鎮魂と非戦
 比叡山の基礎を築き、一〇年に及ぶ在唐日記『入唐求法巡礼行記』を著した第三代天台座主慈覚大師円仁(七九四~八六四)による開山(八五〇年)以来、時を刻む杉林の闇を抜けると急に視界が開け東物見台へ。桜、もみじの明るい木立を過ぎ、天台宗東北大本山中尊寺の表参道月見坂は、本坊を経て金色堂へ至る。西行が、芭蕉、賢治、斎藤茂吉らがこの道をたどった。
 ユネスコ世界遺産委員会から「普遍的な意義を持つ浄土思想」と評価された、西方極楽浄土の阿弥陀如来座像が、無限の光明をたたえて金色堂内陣(蓋)に在り、東日本大震災にも微動だにしなかった。
 奥州藤原三代の祖清衡(一〇五六~一一二八)が、前九年後三年の戦乱で殺害された親、妻子、戦乱の犠牲者の霊を敵、味方問わず慰め、「鎮護国家の大伽藍」としての思いを込め造営した(一一二四年)。
 中尊寺鐘楼の鐘の音は鎮魂と平和、非戦を祈願して柔らかく深い余韻とともに響く。鐘の撞座が窪むので、ほぼ一一百年経つと撞座を移していく。既に一巡したので、現在は鐘を突くのを正めている。世界文化遺産への登録に先立ち、ICOMOS(国際記念物・遺跡会議)のジャガス・ウィーラシンパ審査委員が調査に訪れた。
 「『鐘声がみちのくの地を動かす毎に、冤霊(故なくして命を奪われた人々の霊)をして浄土(寺)に導かしめん』(中尊寺供養願文)の思いをこめ、9・11ニューヨークテロ翌年の元旦に、犠牲者の鎮魂と非戦を祈念して鐘をつきました。その音色がNHKを通じてアメリカに伝えられたことを話すと、ジャガス氏は深くうなずきました」(中尊寺仏教文化研究所・佐々本邦世所長)。試みに鐘をついたジャガス氏は、もう一回、もう一回と三回鐘をついた。佐々木所長はその時「世界遺産中尊寺」を確信したという。鎮魂と非戦。中尊寺の祈願を日本と世界は、今痛切に共有している。

『日本の「原風景を読む~危機の時代に」 藤原書店


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