日めくり汀女俳句 №101 [ことだま五七五]
十月二十八日~十月三十日
俳句 中村汀女・文 中村一枝
十月二十七日
月さしてまことに小さき庭造り
『都鳥』 月=秋
伊豆伊東の中学のクラス会の通知がきた。
私にとって、故郷の山河に似た懐かしい思い出があり、割合出席する方なのだ。場所は横浜。家から近いし、よしよしと思いつつよくると、これがタワー棟七十階、二百七十七メートルから望む横浜港の風景とある。ヒコーキと十階以上には行かないことに決めている私には、七十階は雲の上。欠席に決めた。四十階、五十階の高層マンションが建ち、そこを住居としている人も多いのに、そんな所で足踏みしているのは時代遅れと判っていても、やっぱり足は地についていたい。
月さしてまことに小さき庭造り
『都鳥』 月=秋
伊豆伊東の中学のクラス会の通知がきた。
私にとって、故郷の山河に似た懐かしい思い出があり、割合出席する方なのだ。場所は横浜。家から近いし、よしよしと思いつつよくると、これがタワー棟七十階、二百七十七メートルから望む横浜港の風景とある。ヒコーキと十階以上には行かないことに決めている私には、七十階は雲の上。欠席に決めた。四十階、五十階の高層マンションが建ち、そこを住居としている人も多いのに、そんな所で足踏みしているのは時代遅れと判っていても、やっぱり足は地についていたい。
十月二十八日
栗飯やまだ用件は出せぬまま
『軒紅梅』 栗飯=秋
栗飯やまだ用件は出せぬまま
『軒紅梅』 栗飯=秋
秋の味覚と言えば、やっぱり栗飯とか松茸ご飯。いや実はお米なのかもしれない。炊き上がると、とんがったつややかなお米がおかまの中にあるのは豊かな気分である。ご飯の炊き方で柔らかいのと囲いの、どちらを好きな人が多いのだろう。私は子供のころから固いご飯覚、ちょっとでも柔らかいと食欲を失ぅ。といっても、歯に固さが残るようでは失格、その微妙な歯ごたえは水加減一つにかかっている。普段お米よりパンの方が好きな私だが、この時期だけは一時的なお米覚になる。よりすぐれた日本の秋の心である。
十月二十九日
末だ青き轢(くぬぎ)落葉はことに燃ゆ
『春雪』 轢落葉=冬
元々楽天家でのんきものの私は、自分が年をとることも、まして死ぬだろうなんてことも全く考えずにここまできた。さすがに近年、まわりから人が一人去り二人去って、老いというものを身にしみる時がある。そして今迄気がつかなかった浦島太郎に就て初めて納得したのだった。竜宮城で面白おかしい日を過し元の場所に帰ってみると、景色も人も変わり果てており、貰った玉手箱をあけると太郎はたちまちおじいさんだった。
楽しい日々はまたたく間に過ぎ、目の前には老いの現実だけが、昔から人間はその儚さを知りながらも生き続けている。
『日めくり手所俳句』 邑書林
末だ青き轢(くぬぎ)落葉はことに燃ゆ
『春雪』 轢落葉=冬
元々楽天家でのんきものの私は、自分が年をとることも、まして死ぬだろうなんてことも全く考えずにここまできた。さすがに近年、まわりから人が一人去り二人去って、老いというものを身にしみる時がある。そして今迄気がつかなかった浦島太郎に就て初めて納得したのだった。竜宮城で面白おかしい日を過し元の場所に帰ってみると、景色も人も変わり果てており、貰った玉手箱をあけると太郎はたちまちおじいさんだった。
楽しい日々はまたたく間に過ぎ、目の前には老いの現実だけが、昔から人間はその儚さを知りながらも生き続けている。
『日めくり手所俳句』 邑書林
2022-03-12 16:09
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