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医史跡を巡る旅 №106 [雑木林の四季]

安政五年コレラ狂騒曲~戸塚宿、磯子村

    保健衛生監視員  小川 優

東海道から離れて、三崎巡りに時間が掛かりました。本筋に戻りたいと思います。
江戸に向かう東海道、藤沢宿の次は戸塚宿になります。戸塚宿は相模国の東端にあたり、江戸までは、健脚ならばあと一日の距離となります。逆に江戸を早朝に発った場合、ちょうど宵を迎えるのがこの辺り。東海道中最初の宿は、戸塚宿でとることが多かったと伝えられます。東海道中膝栗毛の弥次さん喜多さんも、ここ戸塚宿で道中一夜目を迎えます。

戸塚宿は、現在の戸塚駅周辺にありました。
明治になって鉄道が通る際、多くの町は街道筋の賑やかな場所から離れたところに停車場を作りました。機関車の噴き出す煙火による火事を恐れてという説もありますが、街並みを壊してまで、変化を受け入れることが難しかったということが大きな要因だったのではないでしょうか。そのような例が多い中で、戸塚はほぼ宿場に重なる形で駅ができ、そのまま発展していきました。そのため、その後の開発により、宿場時代の名残はほとんど残されていません。

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「戸塚八坂神社」 ~神奈川県横浜市戸塚区戸塚町

戸塚駅から国道1号線、つまり東海道沿いに藤沢方向へ10分程歩いたところに、八坂神社があります。かつての本陣もこの近く、宿場町の鎮守として江戸時代から続いている神社です。八坂神社の名で分かるように、元々牛頭天王を祭神としていました。江戸時代一時期廃れたようですが元禄年間に再興し、その後明治の神仏分離令により祭神が須佐之男命に替わりました。

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「お札まき 標識」 ~神奈川県横浜市戸塚区戸塚町 八坂神社境内

境内に標識があり、「お札まき 横浜市指定無形民俗文化財」と書かれています。
お札まきは毎年7月14日に八坂神社で行われる行事で、女装した踊り手が町内を謳い踊りながら練り歩きます。途中何カ所かで輪になって踊った後に、うちわであおいで色とりどりのお札をまき散らし、人々は競ってそれを拾います。
七月は京都の祇園祭の時期ですし、全国のお天王さんと呼ばれる神社で、十四日前後に祭祀が行われます。多くの疫病がこの時期に流行った名残でしょう。
お札まきで歌われる、伝わっているお囃子の歌詞は以下のようなものになります。

サーコイ子供。天王様は はやすがおすき、泣く子が嫌い。
けんかもきらい。わいわいとはやせ。
ここらでまこか。色色まぜて。
ありがたいお札。 さずかった者はやまいをよける。
コロリも逃げる。ソラまくまくぞ。

今年も豊年だ、豊年だ、満作だ。
お米もとれる粟も麦もとれる。野菜もとれる。木の実もみのる。
親縁寺のお小僧が椎の実とってくうとって、
蜂にチンチンさあされて、痛いともいわず、
かゆいともいわず、ただめそめそと。
ここらでまこか。色色まぜて。
ありがたいお札。 さずかった者はやまいをよける。
コロリも逃げる。ソラまくまくぞ。
~戸塚区郷土誌より

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「平成27年お札まき」 ~とつかフォトコレクションより

独特なのは踊り手が女装していることで、派手な長襦袢に襷を結んで姉さん被り、化粧した十数人の男性が歌い踊ります。音頭取りといわれる一人だけ、手拭いを被らずに高島田の鬘をつけます。なぜ踊り手が女装しなければならないかという点については、はっきりと伝わってはいません。囃し歌を引用した戸塚区郷土誌では、「昔は病弱な子供の息災を祈って赤い子供の着物をつけて踊り、終わればお札をつけて着物をかえすならわしがあった」と記しています。
この行事が疫病除けということに着目すると、疫病の犠牲者はその多くが子供であったことに気付かされます。歌詞にも「サーコイ子供 天王様は泣く子が嫌い」とある通りに、お札を授けて守る対象が、本来子供であることは間違いありません。そして疫病で理不尽に、人の命が奪われることを嘆き悲しむことはみな同じですが、母親の子に対するそれは、より特別のものだと感じます。その結果、自分の子供を守りたいという女性の強い想いが、このような祭祀のかたちとなったのではないかと思います。
つまりこの祭りには、はしか、疱瘡、流行風邪、そして幕末以降はコレラによって、自らの愛する子を失った多くの母親たちの、切実な願いと祈りが込められているのではないでしょうか。ならばなぜ、踊り手として女性が参加しないのか、替って女装した、それもかなりおどけた化粧の男性が踊り手を務めているのかということへの答えは出ていません。ただ、謂れなく女性を不浄のものとする神道系の考え方や、社会風土も影響しているのかもしれません。

お札まきについては、元禄年間に社が再建されて以降続いていると伝えられ、行事に使われる面が江戸時代中期のものとされることから、伝承については信頼性が高いと思われます。ただしお囃子の歌詞については、時代につれて変わっていき、現在伝わるものは少なくとも安政、文久以降、つまりコロリの恐ろしさを住民が身を以て体験した後に成立した歌詞と考えられます。

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「平成27年お札まきのお札」 ~とつかフォトコレクションより

お札まきでまかれる色とりどりのお札には「正一位八坂神社御守護」と書かれており、歌詞にも「病をよける コロリも逃げる」とあるとおり、疫病除けの御利益があるとされます。

№91の祇園祭のお話の中で粽を取り上げましたが、ある時代では山車から粽をまいたとされます。戸塚の八坂神社も、京都の八坂神社を起源とするとされますから、疫病退散としてのお札まきの行事は納得できます。また幕末には天からありがたいお札が降るという「ええじゃないか騒動」があったことも影響しているのかもしれません。

戸塚宿では、安政・文久のコレラの流行に関する直接的な記録を、当地に残る御用留や日記などに見つけることができませんでしたが、お祭りという地域に伝承された風習に、コレラ流行の痕跡を見出すことができます。

戸塚は内陸部ですが、海側に磯子村、現在では磯子区と呼ばれる地域があります。この磯子村の村役が残した「懐中覚」の文久二年の項に、以下のような記録があります。

文久二年壬戌年八月八日
ほふしや病はやる、俗ニ三日ころりと云、八月四日鎮守山王宮ニて御祈祷、同八日昼夜共金蔵院ニて薬師如来内拝、同十日石川村宝生寺之一切経拝借、村内軒別
一切経 拾掉
阿弥陀如来 壱躰
送り旗 拾八本
右外ニ
浅黄旗壱本 磯右衛門納申候
~武蔵国久良岐郡磯子村年寄 堤磯右衛門 幕末維新 懐中覚

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「磯子日枝神社」 ~神奈川県横浜市磯子区磯子

近くの金蔵院が別当にあたり、磯子村鎮守として山王社と呼ばれましたが、明治時代に日枝神社と改称しています。現在は境内に保育園、というより園庭に社があります。お寺と幼稚園の組み合わせはよく見ますが、神社との共存は少ないのではないでしょうか。

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「金蔵院」 ~神奈川県横浜市磯子区磯子

東国八十八カ所零場48番、薬師如来を本尊とします。日枝神社のすぐ近くにあり、広い境内の一角には立派な観音堂があります。
懐中覚の記録からは被害状況を窺うことはできませんが、鎮守であり、牛頭天王を祀って疫病除けのご加護が期待できる山王社で御祈祷をあげてもらい、昼夜を問わず薬師如来を拝むだけでは足らず、近郷の名刹からありがたいお経を借り、軒別に配るという念の入れようです。コレラが恐れていたのがよくわかります。

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「宝生寺」 ~神奈川県横浜市南区堀ノ内町

東国八十八カ所零場53番、大日如来がご本尊です。かつてはいくつもの寺院を統べる本山格であり、多くの寺宝を有していましたが、明治になって寺格が変わり往年の栄華は失せています。

なお安政五年、近隣の村々にコレラが侵入した記録があり、前述の磯子の年寄磯右衛門が綴った手記「急病療治方控帳」には、以下の記載があります。

安政五年八月中より江戸表より東海道筋神奈川宿、夫より小田原宿其他駿河邉、近くは羽根田、並本牧、森、杉田、金沢、當村にても少々、根岸村何れの病氣にて候や名前も分かり廉候病気にて人民多く死去致し、別けて江戸表は日々千俆人位宛、鶴亂之如く強きは即席、又は三日位ひ、十日位にて死去致す者数を不知、世之人風聞には異国のアメリカ・オロシア・イギリス・ダツタン・フランス右外國より始めて渡り候難病と申者も有之、又は右國より悪狐八萬餘此の日本に離し候て、人民を取殺すと云ふ人も有之、又蘭學醫師抔は「コレラメ」と申病氣と申者有之、御公儀様にても名匠の療法を畫すと□、一向手掛りも相知れ不申、國民の難渋申畫がたく、依之後代為心得之、其節之病難除ケ並に療治方左に相記し申候
門口へはり札(中略)

右之通り鶴亂の如く病氣にて即席死失人数多候故、関東御取締御出役様、保土ヶ谷宿へ参着被致、右ニ付死失人可書上旨被仰渡候ニ付其書上左ニ記し申候

磯子村
當年八月十日より九月四日迄
一死失人 五人、内男四人 女一人
右之通り相認め差上申處、相違無御座候、以上
安政五午年九月 日
  右村
    名主 平左衛門
    組頭 磯右衛門
関東御取締役出役様
~保土ヶ谷区郷土史・下巻より

これによると神奈川宿は勿論、羽田、本牧、森村(現磯子区)、杉田村(現磯子区)、金沢村(現金沢区)、磯子村(現磯子区)、根岸村(現中区・磯子区)で、名前もわからないこの奇病の患者が発生していることが記録されています。
そして磯右衛門のいる磯子村では、八月十日より九月四日迄の間に男四人、女一人が亡くなったと、関東取締役に報告しています。また蘭方医を中心に、この病気をコレラメと呼んでいたことが書かれています。

戸塚宿の次は保土ヶ谷宿です。



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