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梟翁夜話 №107 [雑木林の四季]

「免許証返上の儀」

        翻訳家  島村泰治

ご記憶だらうか、何年か前に池袋の交差点で、高齢の老人ドライバーが親子を轢き殺した事件があり、謂われなく命を落とした哀れな親子に同情が集まった。この老人、元政府高官とやら、状況から明らかにペダルの踏み違えが原因の惨禍なのに、何を血迷ったか車の不備が原因と強弁、大いに世の顰蹙を買った。今年になって、この老人、流石に死なせた母子への罪の意識に耐え兼ねたか、自分の運転の至らなさを認め自白して罪に服す覚悟を決めた、とか。

いや、いまにして思へば、この事件が筆者の神経にずしりと突き刺さり、運転免許の返上を決心させたのだ。確か九十歳を越えてゐたか、あの老人は紛れもなく高齢者ドライバーで、あの事件の状況が高齢運転の危ふさの典型例に思へた。同歳までには二、三年はあっても、筆者にはあの一件が明日のわが身に重なってはいまいか、とえらく気が重くなったのを記憶してゐる。

悪いことに、こと運転に掛けては筆者には只ならぬ自負があり、ホンダの初代アコードを手始めに、ホンダ車のみ何台も乗り継ぎながら、事故は貰いもの数件のみ、五十年を無事故で運転してきてゐたから、おいそれと運転を止める気はなかった。池袋の老人の事件までは・・・。

これが良きことか悪しきことか、わが女房どのは様々口実を設けて筆者を運転席に座らせない策を講じてきた。こちらも助手席の気楽さに感(かま)けてこれに応じ、一年、二年とハンドルから遠ざかり、数へるとハンドルを握らぬ時が五年にもなった。そこに今年の二月、誕生日に免許更新が迫り、さらに池袋の老人の有様が重なる。更新手続きか返上か、熟慮数ヶ月、昨年秋にその決断を迫られて筆者は決然と返上を決め、女房どのにさう宣言した。応じる様子がよく決めてくれたとの風情なので一件落着、更新手続きを遣過(やりすごす)すことに決める。その一瞬ぐらっと迷ったのが、いま思えば後ろ髪を引かれる思ひだった。

年改まって二月二十五日、誕生日の前日を期して最寄りの警察に卒然と出向いた。

高齢者に特化した手続きの列に並ぶ。高齢者ばかり数人が一つ置きの椅子に座る。占めて十人ほど、持ち物を見ればどうやら大方は更新者のやうだ。見るからに老いた男の姿がひとりふたり、彼らが更新するのか、と不思議な感覚に見舞われた。早まったか、と云ふ後悔の念とお主ら気をつけよとの綯交ぜな感覚、なにを今更と気を取り直して目を閉じる。

奇態なものだ。八十七歳ながらまだまだと自覚してをる自分が免許返上を申請し、かくも危うい風情の老人たちがいそいそと更新手続きをする。C'est la vie.世の有様は如何ともし難い。

順番が来て一連の書類作りを済ませる。何でも身分証明にも使える運転経歴証明書というカードを作ると云ふ。写真を撮りデータチェックが済んで、カードの出来上がりを待つ時間がえらく鬱陶しく感じられた。これで車と縁が切れる、運転ができなくなる、迂闊に運転しやうものなら後ろに手が回る、云々。

暫時して担当のお役人が、何と、さっきまで自分が零(こぼ)していた繰り言を改めて公言、筆者に「・・・ですから呉々もお気をつけて」と念を押して、証明書のカードを手渡した。付属してリストが一式、見れば返上者を対象に設けられるサービス類が列挙されてゐる。もう一点、ハガキ大のカードに長年の安全運転を讃える美辞麗句がひと流れ、それに添えて反射材が一枚、曰く「ありがとう」。

この頃が旬なのか、献血車が玄関先に陣取り係がかん高い声で献血を呼びかけていた。

「愛の献血をお願いしまぁす」。

さりげなくそれを聴きながら思ふ様、流石にこの歳になると献血は勘弁願ふが、代はりに今日只今、免許の返上で路上での万一を僅かなり無くせるぞ、世間様を愛おしむ気持ちが微かなり顕せたぞ、と声なき言葉。

外は梅なら疾(と)ふに咲かう時期にまだ肌寒く、随所に春っ気が滲みながら、今ひと息の陽気が漂わぬ。足を取られた不便さが、不図、頭を過(よぎ)った。


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