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じゃがいもころんだⅡ №59 [雑木林の四季]

満八十九歳

     エッセイスト  中村一枝

 もう、あと一と月で満八十九歳になるというところへきて、とみに思考力の衰えの著しいのに驚いている。このぶんでは、今年中に頭はポロポロになってしまうのでは、と、いささか恐れおののいている。そのくせふつうの好奇心は並々ならぬものがあって、毎日のニュース、特に今は、ウクライナの情勢など、かなりの義憤をもって聞いている。地図でみても、ああいう風に国境がくっつき合っている国々では、じぶんの頭が呆ける心配なんて言っていられないのが現実だろう。戦争中は空襲の怖さも十分に味わったけれど、今のように地上で国境がくっつき合っている怖さは、幸い味あわなかった。それだけに、今、毎日のニュースのたびに、ウクライナ情勢を義憤と胸苦しさで聞いてしまう。地上を進んでくる敵の兵士の姿を刻々知らされ、怖さを味あわされる今のウクライナの人達はどんな思いでいるのか、胸が痛む。
 八十九歳という私の年齢はかなりの高齢である、その間を生き抜いてきたことに自負をもっていたはずなのに、今は全く自信もない。戦争に突っ込まなかったことはまあまあ評価できるとしても、戦争はイヤだというのは心の中の意思で、負けたのはただ幸いだったというしかない。戦争が好きな庶民などいるわけがない。家族を持ち、家をもって幸せに暮らしていたのが、いきなり目に見えない圧力で中断される。否も応もない残酷さを、為政者たちはどう思っているのだろう。今の向上したカメラの技術で、戦争の現場はすべて克明に映し出される。反戦意識がもっと高まってもいいはずなのに、高まらないのはちょっと不思議である。
 でも、権力者が戦争を自分に有利に利用しているのは、古今東西の例を見てもはっきりしているのに、なぜか、愛国という変な言葉に励まされ、協力しないのは国民ではないような意識につきまとわれる、本当におかしな話ではないか。今の日本はどんなに政治が腐敗していても、芯になるものがないという幸せ、それだけでも。どんなに有難いことだろう。 テレビという現代の魔法使いのおかげで、私たちは遠くの、目に見えない現実を知ることができる。もう、昔のように、お題目に振り回されて右往左往はしないと思っているのだが、人間の愚かさだけは想像がつかないから、いつまた、何が起こるか判らない。そのためにも、一旦ははっきりと現実を見るという習慣を決して忘れないようにしたいと思っている。


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