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要請の系譜 №21 [文芸美術の森]

古代・中世・ルネッサンスの妖精

    妖精美術館館長  井村君江

古代文学に現われたフェアリー、エルフ、フェ

 イギリスでもっとも古い作品として知られるのは、古英語で書かれた『ベオウルフ』(Beowrelf)であるが、口碑の形で語り伝えられていた物語が七世紀末から八世紀末までの間に、現在の形に形成されたと推定されている。『ベオウルフ』は古代スカンジナヴィアの伝説をもとにしており、スウエーデン南方に昔住んでいたギート族の英雄ベオウルフの怪物退治の叙事詩であるが、スコップ(古代の職業的な吟遊詩人)が宮廷や貴族の館を訪れ、ハープやリュートの調べにのせて語り伝えていった口調の物語である。聴衆を前にしての即興的な語りのうちに、筋や描写の潤色が相当にほどこされていったであろうし、時代と共に考え方や表現も変容していったであろうと考えられている。現存しているのは、もとのアングリア語から西サクソン語に翻訳された手書き写本で、現在ただ一冊、大英博物館に所蔵されている。
 口誦伝承の形で民間に伝わっていた神話や伝説などは、一般に知識階級の集まりであり学問のあった修道院が保存し、文字を知っていた修遭僧のうちの筆写僧(スクリプナー)たちの手によって記録されるのがつねであった。「ベオウルフ』もまた同様の経路を辿ったと推定され、その間に多分にキリスト教的な要素が付け加えられたり、キリスト教的な考え方に変えられた可能性は大きいわけである。六世紀末頃、カトリックがイギリスに伝来しており、北欧ゲルマンの異教徒的要素の濃い『べオウルフ』の物語を語る場合に、スコップたちはキリスト教的な修飾を加えたであろうし、スコップ自身がキリスト教に改宗していた場合もあり得るわけである。
 『ベオウルフ』には「エルフ」という語が初めて現われてくるが、英雄ベオウルフに退治される怪物グレンデル母子と共に、神に刃向かう悪の輩として退けられている。物語は二部から成り、第一部はコペンハーゲンのジーランド島に、デーンのフローズガール王がヘオロトという宮殿を建て、盛大な祝宴を催す。近くの沼に住むカインの末裔の怪物グレンデルが、その祝宴の騒ぎに怒り、王の戦士三十名を殺し、その後十二年間、迫害を続ける。これを聞いた英雄ベオウルフは十四人の勇者と共に海を渡り、その怪物の片腕をもぎとるが、グレンデルの母の魔女が復讐に現われ、片腕を奪い返して逃げる。ベオウルフは湖底の怪物の根城に攻め入り、魔女を殺しグレンデルの首をはね故国に帰る。第二部は飛龍(ドラゴン)退治の巻で、ベオウルフは洞穴で龍と戦い退治するが、その火煩で英雄は帰らぬ人となる。
 この第一部に登場する怪物グレンデル母子は「カインの末裔」とされている。旧約聖書の『創世記』第四章第一節以下に出てくるが、アダムとイブの長男であるカインは、弟のアペルを殺したため、人類最初の殺人者として神の呪いを受け、神の「追放者」「放浪者」となったのである。
 その恐ろしき怪物こそは
 グレンデルと呼びなされ、
 名高き辺境の放浪者、よ
 荒野と沼地と要害に拠(よ)る者。
 このあわれなる者はしばしの間
 鬼怪の類とすみかを共にしていた。
 かれらはカインの子孫であって、
 創り主が彼を呪い追放し給うて以来
 こうしていたのであった。
 (中略)
 これから、すべての悪しあが生まれた。
 巨怪、妖精、悪鬼のたぐい、
 また、久しい間、神様に立ち向かって争った
 巨人たちもそうだ。
 神様は彼らにその報いを払われたのだ。
                (長埜盛訳一〇四~一一七行)
 右の引用箇所の一一四行目に書かれている「巨怪、妖精、悪鬼のたぐい」の原文は、〝
eotenas and ylfe and orcneas”であり、チュートン系の妖精である「エルフ」の古い語形が見られる。ここでははっきり神に刃向かう「悪しき族(やから)」、すなわち悪魔(デヴィル、イヴィル、デーモン)と同類として、悪意にみちた精霊(スピリット)とか、海の洞穴に住む血に飢え乾いた怪物と親しい関係にあるものとされている。研究家フロリス・ドラットルの裏を借りれば、エルフは「邪悪な怪物に変えられて、もの淋しい荒地か陰警湖のほとりに住み、人間をおどした。苦しめたりすることを唯一の仕事としている」悪魔とみなされ否定されている。また物語の文脈から「世界の終わ。の日まで地上をさまよう
ことを宣言された墜天使(フォールン・エンジェル)」として、当時考えられていたことがうかがえる。しかし一方では、信仰の対象からはずれはしても、異教の神々、追放された神、見棄てられた神として妖精たちは、土や木や森、火や水や山の精霊とみなされ、民衆の生活習慣の中に生き残っていくのである。こうしたイギリスの事情とは異なり、アイルランドでは四三二年にキリスト教が入るが、聖パトリックが土着信仰に生きていた妖精たちを悪魔として否定せず、ゆるやかにキリスト教に移行させたので、アイルランドには幾種類もの妖精たちが現在でも伝えられていることは記憶すべきことであろう。
 一二〇五年頃に書かれたといわれるライヤモンの『ブルート』に登場するエルフ<aluenn(複数形)〉>たちも、「地下の中間にある不可思議の湖」に住む悪しき族(やから)たちの仲間で、「水の魔物とともに日かげのたまりに遊び戯れ、人間を悩ます」とされている。しかし、アーサー王が誕生する時にそのエルフたちは、力、富、長寿、徳といった贈り物を授けてこの世に迎え入れている。後世のお伽噺(とぎばなし)に登場する誕生の祝福と贈り物を授けるフェアリーの名付け親の性格を、このエルフたちはここで見せているといえよう。
 「フェアリ」に関しては、一三六二~九五年頃にに書かれたウィリアム・ラングランド(一三三〇~一四〇〇?)の『農夫ピアスの夢』に「五月のある朝、モールヴァンの丘で不思議なことが起こった。これは不思議(ファンタジー)の国の出来事ではないかと思った」とあるのがもっとも古い言及と思われるが、この場合の「フェアリー」<Ferly、Fryrire)という語は、「妖精」ではなく「不思議な」「驚くべき」という意で用いられている。しかしこの作品は寓意的幻想の物語であるが、中世時代ではこうした超自然なものがかなり実在感をもって描かれていたことはうかがえる。ラングランドと同時代のジョン・ガウアー(一三三〇~一四〇八?)の作品にも、フェアリーへの言及がみられるが、『恋する男の告白』(一三九三年頃)では、「フェアリー」(fairie)あるいは『ナルシサスの話』では「フェのようなニンフ」<faie>、<niimphe>という言葉が使われている。この場合フランス語系である、「フェ」には「魅力のある女性」「男を惹きつけ、愛さずにはいられなくさせる女」という特別な意味がもたせられている。『イアソンとメディアの話』においてはさらに、この「フェ」に「特別の魔法の力のある女性」というニュアンスも含めさせ、次のように使っている。
  メディアは人間の女でなくフェのようだった。
  さまざまな術を行うことができた。
 アーサー王伝説に現われる魔法使いの名「モルガン・ル・フェ」に移行していく一歩手前の用法が、ここには見られるようである。
 この時代を代表するもう一人の作家であるジョン・リドゲイト(一三七〇~一四五一?)も『王侯の没落』の中で、アーサー王を「彼はフェアリー<fairie>国に君臨した王だった」としている。しかしこの場合の「フェアリー」もこの時代の一般の用法である「不思議な」「未知の」という意味で使われている可能性が高い。

『妖精の系譜』 新書館


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