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日本の原風景を読む №43 [文化としての「環境日本学」]

作家たちの原風景-湯ケ島

    早稲田大学名誉教授・早稲田環境塾塾長  原 剛

しろばんばの追憶
 伊豆は温泉に浮かぶ半島である。山奥から海際まで富士火山帯から湯が噴き出し、大温泉郷を形作っている。作家井上靖や川端康成を育て、名作の舞台となった静岡県伊豆市の湯ケ島に、作家たちが愛した天城の風景を訪ねた。
 湯ケ島温泉の年末、狩野川に面した旅館「白壁荘」の植え込みに、米粒はどの白い綿毛のようなものが漂っていた。「雪虫です。きんもくせいの木を好むようで」。主の宇田治良さんの短い言葉の間に、虫は消えていた。十月から十一月に多く現れる。
 作家井上靖は軍医の父母と離れ、祖母と二人少年時代を湯ケ島で過ごした。自伝的小説は「しろばんば」と題された。
   - 夕方になると、きまって村の子どもたちは口々に〝しろばんば、しろばんば″と叫びながら、家の前の街道をあっちに走ったり、こっちに走ったりしながら、夕闇のたちこめ始めた空間を綿屑でも舞っているように浮沸している白い小さい生きものを追いかけて遊んだ。(中略)しろばんばというのは 〝白い老婆″ということなのであろう。                           (『しろばんば』前篇)
 しろばんばが浮遊している夕闇の中で、一番遅くまで一人遊んでいた洪作少年(井上自身がモデル)。「ああ、故郷の山河よ、ちちははの国の雲よ、風よ、陽よ」(「ふるさと」)。熱烈なふる里讃歌に、悲しみの影が宿る。
 「多忙な井上でしたが、しばしば湯ケ島を訪ね、少年時代の友達と酒を酌み交わし、しろばんばの同窓会を楽しんでいました」(井上靖の親類で親交があった宇田さん)。
 「魂塊飛びて、ここ美しき故里へ帰る」。井上宅跡に建つ詩碑に、望郷の思いが刻まれている。

「湯道」をたどる
 狩野川・西平橋から激流を眼下に、「湯遺(ゆみち)」と呼ばれる林間の小路が、大滝の湯(共同湯)へ向かう。里人たちが渓谷の共同浴湯へ通う路である。
  洪作少年も渓谷に湧き出している西平の湯へ毎日のように通った。
 東伊豆町文化協会会長の岡田善十郎さんによると田山花袋、北原白秋、若山牧水、宇野千代、尾崎士郎、川端康成、三好達治、林芙美子、井上靖、木下順二らが折々に湯道をたどった。猫越(ねっこ)河畔の椎の巨木の闇の空間を、一段と暗い「巨大な闇」と表現した梶井基次郎の「闇の絵巻」「寛の話」、湯道の風景を描いた田山花袋の「北伊豆紀行文」などの作品が「湯道」から直接生まれた。
 狩野川から取水した用水が湯道と並行して勢いよく流れている。「農業、消防、生活用水に今も使われています。あれが落合楼本館です」。岡田善十郎さんが指す河畔に、作家たちのサロンだった旅館落合楼が、玄関へ到る吊り橋ともども、どっしり構えている。かっての湯道の風景は今も保たれている。
 作家川端康成はしばしば落合楼を訪ね、出入りする人々を眺めて淋しさをまざらわせていたという。
  ―― 私は落合楼の庭を通り抜けて見たり、前の釣橋から二階を仰いでみたりして、秋や冬だと、私の宿ではまあ見られない都会の若い女、女に限らず男でも、廊下を歩いたり庭にたたずんだりしているのが見えると、心安らいで自分の宿に帰るのである。
                      (川端康成 「湯ケ島での思ひ出」)

川端を支えた温泉
 川端は並外れた温泉好きだった。
 「私は温泉の匂いが好きだ。以前は乗り物を捨て坂を下って宿に近づき湯の匂いを感じると涙がこぼれそうになり、宿の着物に替えると袖に鼻をつけてこの匂いを吸いこんだものだ。ここばかりでなく、いろんな温泉町のいろいろにちがった湯の匂いよ」(『伊豆の旅』、「温泉通信」)。
 川端は豊かな医家に生まれたが、父母、祖父母とあいついで死別し、十五歳で孤児に。沈みがちだった心と生来の病弱さをかかえ、第一高等学校生だった川端は大正七年、初めて伊豆を旅し、魅了される。その後約一〇年間、女将安藤かねさんの支えを得て湯ケ島温泉「湯本館」に毎年逗留し、「伊豆の踊子」(昭和二年)を世に出した。伊豆への初旅で旅芸人の一行と湯本館へ同宿、下田街道をともにたどった体験からみずみずしい作品が生まれた。
 作家たちは天城山中のさり気ない自然と人のたたずまいを、時には川の瀬音や野鳥のさえずりさえ伴って細密画風に描いた。
 伊豆を訪れ同じ目線で接する彼らの原風景に、読者である私たちも等しく共感を覚えることだろう。

女性的な温かさこそ
 伊豆の風景を愛し、伊豆に暮らした川端康成は「伊豆は海山のあらゆる風景の画廊である」と讃えた。例えば海岸線の岩壁、植物の逗しい茂みに川端は「男らしい力」を見る。対照的に「いたる所に湧き出る温泉は、女の乳の温かい豊かさを思わせる。そして女性的な温かさが、伊豆の命であろう」と記している(『伊豆の旅』)。
 さり気ない人と自然の仔まいの懐かしい風景が、伊豆ファンをとらえて離さない。例えばJR伊東線の沿線などもその現場だ。伊豆多賀、網代、宇佐美の高台から街並み越しに垣間見える海の紺色の深さ、小さく清らかな砂浜、アジ、サバの干物の香り、人影ない漁港にたゆとう小舟、懸命な釣り人たち。海を見守る恵比寿様、竜宮様の詞へ、海岸から山際にいたる路がなおしっかりと保たれ、季節ごとのお祭りも奉納されている。網代港に揚がる魚はお隣の伊豆多賀へ、見返りに野菜が伊豆多賀から網代の人々に届く。変わらぬ風景を支え、網代、宇佐美の湯は女性の乳の温かさを思わせて湧き続ける。

『日本の「原風景」を読む~危機の時代に』 藤原書店



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