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浜田山通信 №299 [雑木林の四季]

金まみれのオリンピック

    ジャーナリスト  野村勝美

 北京冬季オリンピックのスノーボード男子ハーフパイプで平野歩夢が優勝した。1998年長野五輪でスノーボードが採用されて初めてらしい。平野は2014年のソチ、08年の平昌五輪の銀に続き、冬季では日本勢初の3大会連続のメダル獲得。まずはめでたいことだが、見ていてはらはらしどおしだった、まるで軽業ではないか。実際、地上から高さ7.2メートルのU字型の雪の壁を滑りあがり空中に飛び出す。壁の縁からの最高到達点は6m近くになる。しかも空中で体の軸を斜めにして、縦に3回転、横に4回転するトリプルコーク1440などは、4年前に比べ、縦回転が1回ふえ、世界のトップ選手でさえ恐怖を感じるという。実際見ていてはらはらのしどおし、壁の外へ跳び出してしまうのではないかと思う。
 スポーツはどれも自然条件に合わせてつくられている。わざわざ自然にない競技場を造って新しい競技をやることはない。競技場を見ると数百メートルに渡って雪の壁が半円状になっている。この間を右へ行ったり左に行ったり、こんな競技場を誰が造るのか。平野の場合は父親が全部自分で造ったそうだ。いくら金持ちだからといってあのようなバカでかいものを息子の為に作るというのはちょっと考えられないことだ。夏はスケートボード、冬はスノーボードに使用するというが、競技人口だってそんなに多くはない。建設費が回収出来るとは思えない。
 それでも父親はあのようなものを造ってしまった。金持ちには彼らなりの生産があるのだろう。オリンピックもすべて金がらみになっている。世界中から大勢の人を集めて開催するのだから仕方がないのだろう。
 老人はつい昔は良かったという。私も冬季オリンピックといえば、昔の札幌オリンピックを思い出す。ヒデとロザンナの2人が歌ったオリンピックの歌が口許に出てくる。歌詞はわすれてしまったが、メロディだけはいまでもすんなり出てくる。歌いやすくて札幌オリンピックといえばこの歌になる。ロマンチックなのがよい。雪ノ地平ヲハルバルトだったか、軽快なメロディだ。年表を繰ってみると1972年2月3日第11回冬季オリンピック札幌大会開催とある。笠谷幸生選手が70キロ級で日本勢初の優勝、2位、3位も独占し、日の丸飛行隊と呼ばれた。もう50年の昔の話で、いまや話のタネにもならない。
 日本中が熱狂した。今回の平野歩夢の優勝を誰が熱狂的に喜んだか。私は老骨でスキースケートの類いはもう何10年も前から見ていない。日本代表なんてことも一切関係ない。なんだか危なっかしいことをやるなと心配になるだけだ。でもすべてが金まみれになるのは、いくら万事金の世の中といいながら、おもしろくない。江戸時代、元禄の御代も西鶴が言ったように色と欲の時代だったらしいが、色さえいつか消えて、全てが金設け一色になってはつまらなさすぎる。春はもうすぐ。春がきた。春がきた、どこにきた、山にきた、里にきた、野にもきた――。


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