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医史跡を巡る旅 №103 [雑木林の四季]

「医史跡を巡る旅」№104 安政五年コレラ狂騒曲~浦賀後篇ひとつ前

      保健衛生監視員  小川」 優

感染拡大、というより感染爆発といえる状況が続いています。どうにも時間が取れず、2月前半の記事はお休みさせていただきました。
現状は、オミクロン株がデルタ株に比べると重症化率が低く、若年層の感染が多いということで油断していたところを見事に突かれたという態で、医療機関が圧迫されるようになりました。重症化率が低いと言っても、分母が増えれば相殺されるのは自明の理、すでに病床はひっ迫し、救急搬送が必要な時に搬送先が見つからない状態となっています。そして死者数は増加しており、あれほど騒がれた第3波、第4波、第5波をすでに上回って、1万人あたりの死亡者数は過去最高値となっています。

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「人口1万人あたりの死亡者数(7日間移動平均)」 ~Our World in Data

陽性者のあまりの多さに感覚が麻痺し、多少の減少にピークアウトとざわめく一方で、あいかわらず「オミクロン恐れるに足らず」、「せっかく上向いた経済を止めるな」との強気の発言が多々聞かれます。相手の力を見くびり、蛮勇を鼓舞した大戦時の勇ましいだけの掛け声に似て、うすら寒い感じがするのは私だけでしょうか。

一日あたりの感染者数の、これ以上の爆発的増加は抑えられたようにも見えます。しかし急激に減少する傾向も見えず、暫くは高止まりが続くことが予想されます。
感染者の多さは、濃厚接触者、つまり感染者の周囲の、感染させてしまった可能性のある人間も増やすこととなり、オミクロン株の感染性の高さも関係して、大きな問題となっています。こうした濃厚接触者が医療従事者などエッセンシャルワーカーの場合は、彼らが出勤できなくなることによって社会基盤の維持が難しくなります。
濃厚接触者の問題は、自宅療養で家族が適用される場合に顕著になります。例えば家族のうち一人でも感染した場合には、同居家族全員が7日間、濃厚接触者として健康観察の対象となります。ただこれも症状がない場合の原則で、濃厚接触者が感染者に移行する可能性は現状でも高水準です。
例えばABCDの四人家族で、Aに症状が出て15日に確定、遅れてBが17日に症状が出て19日に確定、Cは19日に発症して21日に確定となると、Dさんは15日起算ではなく21日起算で7日間、つまり28日迄自宅で待機しなくてはならなくなります。決して机上の空論でなく、Aがお兄ちゃんで保育園に通っており保育園も閉鎖、続いて通園できずに家にいた妹のBが発症、さらに看病していたCことお母さんも感染という例はごく普通です。この場合、お父さん、つまりDは感染しなくても半月近く出勤できないこととなります。
なおこの日数計算の方法や濃厚接触者の捉え方は、地域の感染状況(というより、保健所のひっ迫度)により、さらに日々変わっていますから、現時点での全国共通の考え方ではありません。万が一ご自身がこのようなケースに直面した場合には、地元の保健所の指示に従ってください。

さて、あだしごとはさておき。
浦賀中篇に引き続き、安政五年八月二十三日から、残された記録より東西浦賀の動向を辿ります。

八月廿三日 晴天・北風
一、悪病流行ニ付西浦賀町之神送り、蛇畠町・浜町一昨夜両町共相済、夕刻之事ニ而軒別ニ戸〆至候、
一、仲間稲荷様江灯明上、赤飯煎、部屋惣灯明ニ而両三度感応院相招、祈祷致貰候、
一、西叶大明神、明廿四日市町御神輿御廻り之積り被仰出候由承り申候、一、御役所ニ而三方年寄御召出之上、此度流行之病気薬法御書付を以被仰渡候、(以下略)
~「浦賀書類 浦賀詰下田廻船問屋 諸御用日記」

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「西叶神社」 ~神奈川県横須賀市西浦賀

まずは西から。神送りとは、疫病を依代に移して集落から送り出す儀式のことと考えられます。また十二日の記載に引き続き西叶神社別当の感応院がでてきます。翌日には西叶神社の神輿が町内を巡ることを触れているほか、再び奉行所からコレラ治療薬の新たな処方が示されます。
浦賀には湾を挟んで叶神社が2カ所あり、それぞれ東叶神社、西叶神社と呼ばれています。西浦賀の叶神社がはじめにあり、天保年間に東浦賀に勧進されたとのこと。

一、八月廿三日 晴天、北風、此程中ゟ市中悪病流行いたし候ニ付、東西共申合神輿町方巡行いたし為消除、銘々神楽奉納いたし度段小前ゟ申出候ニ付、定御廻り衆江内々御伺申上候所、御聞届ニ而御役所江之願書は御停止中之事故拝殿ニ而拝礼為致候積りニ而、町方巡行は定御廻り衆御含ニ而御聞届被成下候、
乍恐以書付奉願上候
一、此度悪病流行仕候ニ付、諸人為御救鎮守明神[不読]御仰付難有仕合奉存候、[不読]迄本社ゟ神輿相下ケ、於拝殿拝礼為致奉存候、尤、御当節柄之儀ニ御座候間、窃仕度奉存候、何卒右之段御慈悲を以御聞済被下置候様奉願上候、右願之通被仰付被下置候ハゝ村方一同難有仕合奉存候、以上、
 安政五年八月廿三日 東浦賀年寄 三郎兵衛
 浦賀御奉行所様
右願書即刻御聞済相成申候、依定御廻り衆へも右為念御届申置候、猶日限之儀は追而定日申上候積り、
一、同日干鰯問屋ゟ五町困窮人井病人死人等迄施米差出ス、委細は別紙帳面ニ有ル、但シ町々町頭宅ニ而配当いたす、
~「相州三浦郡東浦賀村文書 諸日記」

続いて東。東西申し合わせて叶神社の神輿が巡行することが記され、十三代将軍家定死去に伴う鳴物停止令の中ながら、町年寄の嘆願により許されたこと、患者の出た家については、干鰯問屋から救済のために施米を行うことなどが書かれています。

八月廿四日 晴天・北風 未刻ゟ南風
一、西叶明神御神輿市中御廻り被遊、尤、御役所・御組へは御廻り不被遊候、此度重御停止故町方斗穏便ニ而御廻り、□部屋、○部屋弐軒ニ而御初穂上・神酒備、御神楽上り候、並木・稲取最合ニて同断、
~「浦賀書類 浦賀詰下田廻船問屋 諸御用日記」

同廿四日 晴天、北風、五町町頭・世話人一同施米礼ニ参ル、同日 明廿五日神輿山下ケ拝殿ニ而拝礼為致候様御役所井御目付定御廻り衆江御届申上候、尤、定御廻り衆[不読]は出役先ニ而願ひ可申[不読]途中泊り之儀も同様出役先ニ願ひ可申趣被仰聞候ニ付、五町頭江右申渡シ、刻限正五ツ半時と申渡ス、
~「相州三浦郡東浦賀村文書 諸日記」

翌二十四日から、予定通り東西叶神社の神輿が町々を巡りはじめます。

八月廿五日 晴天・北風
一、東叶明神御神輿市中御廻り被遊候、尤、二日之由承り申候、西浦賀同様悪病流行故之事ニて、色々御祈祷有之候、
~「浦賀書類 浦賀詰下田廻船問屋 諸御用日記」

同廿五日 晴天、東風、神輿山下、正五ツ半時拝殿迄御下ケ申、夫ゟ餝付いたし、直様表門内迄御下ケ申、一同昼飯、御掛り定御廻り衆共徳田浜二階、御役所御用人は永楽寺、御目付宅ニ而御仕度差上申候、九ツ時ゟ町方巡行、尤、以来例ニは不相成候へ共、此度は畢意悪病退散之ため巡行致候義故、老人・子供ニ致迄町方勇メながら神楽可致様被仰付候、依之新井町ハ中障子切リニ而若者引取、跡は町頭世話人斗り御供いたし候、外町ニも右ニ准し候事、付而は此度は以来例ニは不相成候へ共、ツキシ古新町も御巡行、是又若者一同ニ而勇、喜之助脇ゟ白蝶江相渡し、干鰯場神楽、夫ゟ海岸通り、白蝶ニ而御帰館ニ相成申候、但、夜五ツ時迄、
~「相州三浦郡東浦賀村文書 諸日記」

二十五日も神輿の巡行が続きます。

一、同日(編注、廿六日)御奉行様ゟ十七日之間護摩被仰付有之、右決願ニ付町方御神燈井参詣可致様廻状差出ス、
~「相州三浦郡東浦賀村文書 諸日記」

二十六日になると奉行所のお沙汰で護摩祈祷がおこなわれるようになります。

八月廿七日 雨天・南風
一、御役所ゟ三方年寄御召、御書付を以流行病症禁物薬法書、左之通被仰出候ニ付、部屋々々為触置候、下田表江も書付差出候、末ニ記、
~「浦賀書類 浦賀詰下田廻船問屋 諸御用日記」

一、同廿七日 雨天、北風、御役所江永神寺自身ニ護摩札・御供物上納いたし候、
干鰯問屋ゟ村方安全之護摩奉納、尤、三日之間依之町々江御神燈参詣之廻状出ス、
~「相州三浦郡東浦賀村文書 諸日記」

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「永神寺不動尊」 ~神奈川県横須賀市東浦賀
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「永神寺説明板」 ~神奈川県横須賀市東浦賀

東浦賀で護摩を行ったのは東叶神社別当の永楽寺。廃仏毀釈で廃寺となりましたが、本尊は東叶神社に安置されており、似姿の像が境内に設置されています。

八月廿八日 曇天・北風
一、御役所より三方年寄江御渡書付、此節悪敷流行病ニ付てハ、養生方を始食禁之儀、医師は勿論、時之災を恐れ慎候者ハ心得形を守り、伝方を以人々へも申示候由ニ候得共、兎角下々之内ニは、元気を養候得は宜敷可有之との心得違ニ而も候哉、都而魚類厚味のものを求、惣而酒食とも常ゟハ分量を過し、夫を快しと致候者も有之哉ニ相聞、扨々以の外なる心得違ニ有之候、抑養生之儀は飲食を節ニ致すを第一と申候得は、いつとてもほしいまゝにハ有之間敷事、別而当節柄ケ様之所行有之候は、自病を醸し候者と何とも欺ケ敷事ニ候、自今以後医師申示は勿論、心得有之者之申伝ニも等閑ニ不相心得、無油断養生いたし、第一食禁止を守、飲食之量も程能いたし可申候、且又、家業其外難去所用は格別、成丈夜行も慎可申候、邪気充満之折柄を求而夜行いたし陰鬱之気に触候儀も、是又病を招き候端ニて誠ニ恐れて慎事ニ候、別紙弐通猶為心得相渡候間、夫々申触、別而重立候者ニは厚相心得置、此上とも末々心得違之者も候ハゝ、信切ニ申諭、成丈病災をのかれさせ候様、清々心配可致候、
右之通被仰渡候、午八月
食禁
鰯 萬久呂(まくろ) 松魚(かつを) 鱇魚(このしろ) 馬鮫魚(さめ)
宇留女(うるめ) 栄螺(さざえ) 敗卵臭(小にてもいたみたるたまご)
柿 大凝天(ところてん) 松茸 梨 蓮根
右外猶有へし、都而膏梁(あぶらこき)之美味(うまきもの)・硬物(かたきもの)・生涼品(なまものつめたきもの)忌へし、勿論淡薄之品物とても多食すへからす、
流行暴吐瀉預防方井治法
此節の流行病ハ毒気外より身内ニ入、腸胃(ハラワタイブクロ)に悪敷物を生し、肝胆(きもい)の液汁沸き(シルハキ)、腸胃ニ入ては吐瀉(ハキクダシ)し血脉(チスジ)ニ入ては、血液凝滞して忽死する病なれハ、平日腸胃を清くし、難化易敗食を禁して軽淡品のみを用ひ、湿気を避くるを第一とすへし、此頃世上杜松実ニ砂糖を加へ服せは此病を免るゝといへとも、前々いふ養生をせされは益なし、但、平生胃のよハき人は杜松実に限らす、橙皮(トウヒ)・茴香(ウイキョウ)・薄荷・加察列(カミルレ)・縮砂(シクシャ)・木香(モクコウ)・藿香(カクコウ)の類・疎条(クダシ)天磠砂・舎利塩・大黄・芒硝・孕礬(タイハン)・酒石・石鹸の類を用ふへし、是も預防(ヨウシン)の一つならん、又最早病を受て俄に吐瀉する後は、老他扭母・磠砂加石灰精・各服用外用甘酒石・忽布満(ホフマン)・鎮痛散・純砕酒石・酒石散・鎮痙散・鎮嘔散・放血・吉理私父多児灌腸方・全身浴・脚湯・微温単湯・白芥子湯、
右之法其症ニ従て用ふへし、一方ニて此病を治するといふ薬ハ更にこれあらず、
~「浦賀書類 浦賀詰下田廻船問屋 諸御用日記」

二十八日になると、奉行所から再び予防法、養生法、治療法が示されます。長々と養生訓を述べ、あげくに漢方薬をつらつらと書き連らねていますが、最後になって「一方ニて此病を治するといふ薬ハ更にこれあらず」。う~ん…。

今回で浦賀篇を終わらせるつもりでしたが、浦賀奉行所のお触れのように閉まりませんでした。もう少しお付き合いください。


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