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梟翁夜話 №105 [雑木林の四季]

「石原慎太郎逝く」

      翻訳家  島村泰治

1956年の半ば、私は積年のアメリカ留学の望みを叶えて渡米した。同じ頃に「なんでも見てやらう」の小田実(まこと)もどこかを放浪していたと知ったのはぐんと後のこと、前年にはある作家が衝撃的なデビューを果たしてゐた。その作家は石原慎太郎、若干23歳の一橋大生が「太陽の季節」なる先鋭的な作品で芥川賞を得て世に出た。胸に一物持つ若者たちが羽を広げていたのがあの頃だった。

2月1日、その石原慎太郎が身罷った。心中の糸がぷつりと切れた思ひがする。

石原慎太郎をどれほど知ってゐるかと問はれて、ぐっと言葉が詰まる。話題の「太陽の季節」を読んでおらぬし、その後の作品も真面目に読んだものが一冊もないからだ。つまり作家としての石原慎太郎を私は知らない。知らないから、もの書きとしての彼は私には異色人種のワンオブゼムでしかないのだ。が、身罷られたいま、彼が矢鱈に気になるのは何故か。さう、去られていま石原慎太郎がしきりに心に残るのだ。

さう考え込んで気付いたことがある。文字ではなく吐かれた数々の言辞を記憶するわが耳どもが、石原慎太郎の姿を鮮やかに浮き彫りするのだ。爽やかな保守だった彼が日本の在り方かくあるべしと語る口振り然り、東京の空が汚れていると黒い粉を振り撒く姿然り、それぞれに背筋の通った快男児の風情が漂っていた。その姿がもはや見られぬ憂いが、古典的な伝統主義者たる私の心に残るのだ。

もの書きの有り様を語るなら、石原慎太郎と大江健三郎の鮮やかな対比を思はずには居られない。共に芥川賞作家ながら、片や受賞作はおろか他に一冊も読んでいない石原と受賞作「飼育」を文藝春秋誌上で読んだ大江とを、同じ位相で論断はできない。しやうなら、両者の社会的いや社会政治的なインパクトだらう。漢心よりは大和心に身を寄せる私には、一挙手一投足に朱色が滲む大江よりは竹林の潔さを思わせる石原の言動に惹かれるのだ。

都政を小説を綴る思ひで果たした、と都知事を退いた日に石原は呟いた。言葉尻を取れば不遜にも思はれる言葉が、引いて聞けばごく一理ある。成し遂げた事業を拾ひ上げてみれば、ときに序破急ときに起承転結が見事に紡がれて、十数年に及ぶ彼の都知事期は一巻の物語に見えてくるから妙だ。東(あずま)の周到、美濃部の狂騒、鈴木の平穏、青島の無音ときて石原の物語と、都政は行く水の流れ宛(さなが)らに行方が定まらぬ。首長の誰彼は忘れられやうが、ディーゼル規制や東京オリンピックをめぐる経緯は流石に記憶されやうから、小説「首都物語」が長く読み継がれるだろうことは間違ひない。

残された遺族たちも作家たる父に思ひを残してゐるやうだ。逝かれたいま、私も座り直して石原慎太郎を読んでみやうか。あわよくば、言葉遣いや言の葉魂に触れて己れを振り返る縁にならんかな。

好漢石原慎太郎の魂よ安かれ。合掌。

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