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日本の原風景を読む №42 [文化としての「環境日本学」]

縄文秋田の懐へ-乳頭温泉

 早稲田大学名誉教授・早稲田環境塾塾長  原 剛

地から湧く湯、地に根ざす食
 遠い昔の冬の夕暮れ、縄文時代の人々もまた田沢湖畔の、この風景の中にいたのかもしれない。駒ヶ岳(一六三七メートル)に架かる月を仰ぎみて、彼らは湖(最大深度四二三メートル)と森と山の奥に神々の気配を感じとっていたのではないだろうか。
 自然の神々は突然、無慈悲に人々を襲う。だが、普段は人々の営みに限りない恵みをもたらす。例えば駒ヶ岳の北に頂をのぞかせている乳頭山(一四七八メートル)の山麓には、秘湯中の秘湯、温泉ファンあこがれの乳頭温泉郷が湯煙に見え隠れしている。チシマザサが茂る山の急な斜面から、岩の隙間から湯が豊かに湧く。乳白色の、香り高い湯にザブリとつかるとき、私たちは「あァ~気持ちが良い」とか「生き返る」「極楽、極楽」などとつぶやいてしまう。全身で大自然と一体となり、自然の奥の神々からの大きな恵みに命の蘇りを感じとっているからであろう。
 仙北市田沢湖の郷土史家、歌人の大山文穂さんは、乳頭温泉・鶴の湯の風景を詠う。

 暗き廊下に小さき土鍋音たてて湯治の姐朝の飯炊く
 渓川の瀬音枕に五日寝て心清くなりたるごとし

 このあたりの食材もまた大地に根ざしてたくましい。もともとは駒ヶ岳の森に白生している自然芋をすりおろして作った団子を鶏肉、根曲がりタケノコ、ゼンマイ、マイクケなど山野草とともに鶏ガラのスープと醤油味で煮込んだ「山の芋鍋」がその代表格だ。「ヤマイモは腰が強くすり下ろしたままで団子になり、甘い濃厚な味が出ます。熊肉はミソ鍋にするけど、そんなに美味しいもんじゃないです。うさぎ、山鳩の方がよほどうまい」(レシピを考案した用沢湖・包和会の斎藤忠一会長)。
 春はワラビ、ゼンマイ、コゴミ、シドケ、ミズい 秋はマイクケ、ムキクケ、マックケ、ハッタケ、天然シイタケ、サワボタン。猟師がいるので家庭ではよくクマ鍋を。感心するはどうまくはない。クルミ、トチの実は餅に入れていつでも。「営林署なんかにいた人が、山専門の人になっていて、山菜、キノコ、木の実、クマ、頼めばどんなものでも山のものをちゃんと採って来てくれます。上他の人は昔から山へ入って山のものを食べてきました。今もそれが受け継がれています」。斉藤さんは縄文時代さながらの、野山での採取暮らしが今も営まれていると言う。
 毎月十二日は「ヤマノカミの祭り」が。猟師、営林署員、採石人、工務店の人々が集い、神のお払いをうけ、「直会(なおらい)」を催し神と酒食を共にする。

年に四回、桜咲く角館
 田沢湖、乳頭温泉郷は、東北文化の華・角館(かくのだて)城下町にほど近い。一六〇二年佐竹氏の領地とされた角館は、ゆったりした防火上豊により武家地、町人地、寺社に区分された藩政時代の地割りを、変えることなく現代に伝えている。
 黒塀を高く巡らせた質実剛健な構えの武家屋敷(国の重要伝統的建造物群保全地区)が連なる。どの屋敷も庭内に樅と柏の巨木とシダレサクラ(国の天然記念物)を配している。「角館のサクラは年に開聞咲きます。議、着発、紅葉、それに今どきの雪桜です。冷えこむ朝、桜の枝に積もった雪がキラキラおひさまにきらめくのです」(歴史案内人・畠山聖子さん)。
 下級武士の手内職に始まる角館の樺(かば)細工は、雪の湿気を帯びた山桜(地元では樺と呼ぶ)の樹皮の伸びが良い冬が製作の盛りだ。
 茶筒、ペンダント、カフスボタンなど「魂を込めて、どの作品にも伝統の心が乗り移るように願って作ります」(現代の名工・藤村志登麿さん)。ひっそりとした工房で、熱したコテとこカワを用い、型どりしたサワグルミの経木に山桜の樹皮を貼り付けていく。
 木材の伐採や加工に携わる角館、田沢湖の人たちは、毎月ト二日を 「ヤマノカミの口」と定め、とりわけ十二月十日には餅をついて配り、神社、お寺で厄払いを受ける。押入其食の直会は盛大な酒盛りとなる。自然に生かされている感謝をヤマノカミに捧げる。ただし山の神は荒々しく、この日は猛吹雪になるという。

秋田の風土が育てる味と人
 数々の銘酒を培ってきた秋田の酒文化は、麹と発酵の秘伝技術によって味噌、醤油の醸造産業も育てた。「冬を経ないと醤油も味噌も、きりっとした味に仕上がりません」。安藤味噌醤油醸造元の安藤恭子大女将は秋田の冬を天の恵みと讃える。十一月から桜が咲く五月始めまで、角館の町人文化を代表する蔵屋敷で味噌、醤油の仕込みが続く。大豆も、米も原料はすべて秋田産。少量生産にこだわり、直売と通販にとどめている。それが風土産業の生き方ではないか、と安藤さんは考えている。
 九月七、八、九日と町内挙げて秋祭りに熱中する。男女、親子総がかりで町内ごとにヤマ(神輿)を引き、ぶっつけ合って勢いを競い合う。〝喧嘩ヤマ″なので時にはかつぎ手が命を落とす。
 「郷土愛が強いのです。ヤマを引くため私の息予は町に戻り、家業を継ぎました。今二十七歳の孫もやがてそうするはずです」。自らもきかん気のヤマ戦士だったという安藤さん。本物の秋田美人を見るなら角館のヤマ祭りへ、とすすめる。
 「娘さん、お母さん、どの家からもすごい美人たちが、キリっとした祭りの装いを凝らして集まってきますから」。
 発酵熱のため半裸になって作業をするので、女人禁制とされた東京農大醸造学科卒の女性第一号安藤さんが「取締役・大女将」を名乗るゆえんである。文武の物語を秘め、角館の冬は深まっていく。

【日本の「原風景」を読む~危機の時代に』 藤原書店


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