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浜田山通信 №297 [雑木林の四季]

男社会よさようなら

      ジャーナリスト  野村勝美

 半月遅れの明けましておめでとうございますだが、オミクロン株が居座っている限り人間社会はどうにもならない。世の中完全にストップ状態であり、この状態が当分のあいだ続くと見なければならないだろう。何の因果かそんな状況に遭遇してしまったのだから、その行末を見守って行くより仕方がない。 1929年生まれ、6月になると93歳になる。すごいことになったものと思うが、まだまだ生き永らえるような気もする。しかし、老年になってから年相応以上にぼけてきたことは間違いない。ぼけないで長生きするのもそれはそれで大変なことだ。
 週2日「松の木ふれあいの家」なるケアハウスに世話になっている。息子が調べてこの施設を見つけてくれたのだが、もちろん有料で送り迎えはしてくれる。私にとってありがたいのは入浴の面倒をみてくれること。この歳になって我が子より若い女性に身体を洗ってもらったり、乾燥肌をあちこち手当してもらったり、ただ感謝々々である。お尻にできたはれものなど、看護婦さんが薬を塗ってくれる。この仕事や熱をはかったりするのは看護婦しか手を出せない。毎日20人ばかりの利用者が来るのだが、この仕事の為に看護婦が常駐している。ケアの仕事も大変だ。利用者のうち男性は5、6人、他の15人ばかりは女性である。皆元気がよい。先日は101歳の女性が入って来て挨拶したが、足腰もしっかりしていて、杖をつかなければ足元がおぼつかない私などおよびもしない。あいさつも立派なもの、自分の席にもどる時には、「よろしくおねがいします」と笑顔で会釈された。ジェンダー理論など出る前から女性の方が自立し、男は形無しのかっこうになっているのだ。私は少々女性をもちあげすぎているのかもしれない。しかし実際に周囲を見回しても男性は少なく、活動してるのは女性ばかりだ。それは実は良いことだ。私は男性は敗北宣言を出すべきだと思う。男尊女卑の時代が続いていたなんてもはや想像もつかない。
 ケアハウスに通ってくる90歳にちかい女性がいる。九州出身で7人兄妹の4番目だという。昭和の初め私が生まれた頃は4目の女の子などじゃま者扱いされた。お祝いもされず、放ったらかしだった。彼女たちは自力で生きていかなければならなかった。 気の強い女性が生まれる必然があった。私の亡妻は3番目の女の子だった。親にしてみれば役立たずの見本だった。子どもとしては自らが生き延びるのに一生懸命だった。彼女たちは親の手伝いに夢中だった。親に気に入られなければ生きていかれないのだ。そんな時代が戦後も続いた。どんなに苦難の時代だったか、男として成人した私には正直いってよくわからない。いまそのことで女性に復讐されているように思えてならない。男社会がどれほどの仕打ちを女性にし続けてきたか、男どもは猛反省を続けなければならない。

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