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日本の原風景を読む №40 [文化としての「環境日本学」]

風と水を映す信州の原風景―上田

   早稲田大学名誉教授・早稲田環境塾塾長  原 剛

繭倉は語る
 長野県人はことあるごとに、時にはまわりからひやかされながら、県歌「信濃の国」(浅井例作詞、明治三十二年)を歌いたがる。
 上田市の風景も登場する。「蚕飼(こがい)の業(わざ)の打ちひらけ細きよすがも軽からぬ国の命を繋ぐなり」。駅正面出入り口の内壁に趣のある「蚕神像」(繭の女神)が架かっている。
 駅前の蚕影(こえい)町通り、繭倉(まゆぐら)から、真田丸の六文銭旗がはためく上田城、さらに歩を進め千曲川・岩鼻を経て、、臨川平へ。到るところで信濃路の原風景との出会いが待っている。
 上田のシンボル「繭蔵」は、漆喰白壁の瀟洒な木造五階建て、国指定の重要文化財だ。一九〇丘(明治三十八)年に建造された繭倉の三代目当主、笠原一洋笠原工業社長が自ら案内の先頭に立つ。
 「自然の息づかいをとらえる日本人の知恵と繊細な技が、一枚の床板、窓枠に到るまで刻まれています。年間降雨量九〇〇ミリ、乾燥し、陽光があふれる土地で、環境に敏感な蚕の生理にどのように対したか。蚕棚のしつらえ方から空気と光の流れへの工夫まで、先人たちの自然との共生の思想、いのちへの接し方、感性に共感を深めずにはおれません」。敷地内の常田館製糸場や煙突を含む一五棟が、通産省から近代化産業遺産に認定されている。
 上田の養蚕業は今も健在だ。繭倉から旧北国街道をたどり、こちらも近代化産業遺産の上田蚕種(株)へ。毎年三千箱の蚕種を全国七百戸の養蚕農家と研究機関に出荷している。
 隣接の上田東高校の前身は、明治二十五年に創設された小県蚕業学校。校門脇に土井晩翠作詩の校歌碑が。「国の富増し 世を利する わが蚕業の貴きを あけくれ常に胸にして 青春の子ら励み合う」。
 丈夫で着やすく、落ち着いた色柄が特色の上田紬織もしっかりと伝えられ、市内の四工房で着物、洋服地から帽子、マフラーなどを製造、販売している。小岩井紬工房の小岩井良馬さんは、江戸時代からの養蚕農家を経て手織り業三代目。「東日本大震災の衝撃で世間の風向きが本物志向に変わりました。原点にたちかえり、上田の蚕産業を立て直したい」。

強風繭を救う
 桑の葉に幼虫を寄生させるウジバ工が発生、世界各地の養蚕業が衰退していった当時、上田では一四五軒もの養蚕農家が展開していた。街の北郊、千曲川に突出する巨大な断崖「岩鼻」がこの危機を防いだ。下流から吹き寄せる強風が、岩鼻によって向きを変え、桑畑に吹き込んで虫を吹き払っていたのだ。
 「道と川の駅おとぎの里」公園から、自然界のこの壮大な営みを間近にすることができる。
 岩鼻に隣り合う塩田平は名湯別所温泉、国宝の八角三重塔や厄除け観音で知られる安楽寺、北向き観音堂などを擁する仏教文化の先駆地だ。加えて、秘められた文化財、稲と水の苦闘の歴史を伝える「塩田平ため池群」を訪ねたい。

心惹かれる塩田平、ため池郡
 一〇アール七二〇キロの収穫量は稲作日本一の水準だ。「乾燥地に先人が築いた溜め池あればこそです。一四〇の登録池を含め、三百池ぐらいが今も利用されています。どの溜め池にも神が住み、住民総出で毎年九月に雨乞い祈願の火祭りが奉納されます」(七〇ヘクタールを耕作する小林好雄さん)。
 森や祠、古い民家に囲まれた溜め池は、5メートルほどの落差で田んぼに連なる。五〇メートルプール大から湖クラスまで、ゆったりと貯えられた水面に心がなごむ。
 「最近コウノトリが溜め池に飛来するようになりました。生餌の宝庫ですから。おそらく兵庫県の姉妹都市・豊岡町からやってきたのでしょう」。溜め池を管理する田中栄二さんは力を込めて溜め池の生物多様性を語る。コウノトリは上田城のヒーロー、武将真田幸村にちなみ「ゆきちゃん」と呼ばれている。「溜め池が連なる野の花々の道へ、どうぞ」。環境省登録環境カウンセラー川上美保子さんのおすすめだ。
 地形と気候に人間がはたらきかけ、風景のおおもとが築かれる。風景の仕上げが文化。場所(トポス)と住民精神のかかわりの表現だ。「信州の学海」とたたえられた塩田平、国宝八角三重塔を擁する安楽寺の若林泰英住職に塩田平・上田人気質をたずねた。「これだ、と皆が結束する時、この土地の人々の力は凄い。死ねばもろとも。日照りに追いつめられると寺の地蔵さんを川に投げ込み、竜神様の池をわざと汚して神仏を怒らせ『天罰の豪雨』到来を願います。お隣は百姓一揆が日本一多発した青木村ですから」。若林住職は途上国支援の先陣を切って、タイのバンコク貧民街などで活動してきた曹洞宗のシャンティ国際ボランティア会の会長をつとめている。上田鉄道沿線の田には「途上国援助田」 の旗が翻っている。
 凧と水と人が作りあげた陰影深い環境の風景を、のびやかな上田盆地のどこからでも、
一望に収めることができる。

『日本の「原風景」を読む~危機の時代に』 藤原書店

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