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じゃがいもころんだⅡ №58 [雑木林の四季]

父親の味

       エッセイスト  中村一枝

 私の父は尾崎士朗という小説家であった。今はあまり知られていないが、私が子どもの頃にはまあ、それなりに知名度もあった。
 お父さんが小説家ということで珍しがられ、一体どんな生活をしているのだろうと友だちからは問いかけられたりもした。たしかに、朝起きてご飯を食べ、鞄を下げて勤めに向かうという父親ではなかった。いつ寝たのか、起きたのか、あまり判然としない状態で、朝からどてら姿で机に向かっている時もあれば、昨日はお父さん徹夜だったのよ、と、母に言われると、その日は夕方近くまで寝ていることもあった。口うるさい父親ではなかった。といって、べたべたと優しい父親でもない。父親が仕事をしているときは家中が気を使ってしーんとした雰囲気になるのは子どもながら感じていた。父が仕事をしているときは家中が何となく張りめた空気にみちているのが、ある種不満でもあった。 小説ができあがると父は母を呼んで、原稿を読み聞かせた。母の膝を枕に私はよく父の原稿を耳にした。私が一番憶えているのは「成吉思汗」で、成吉思汗の母が不当に略奪される場面だった。子どもにもその場の緊張は伝わって、母の膝の上で、私はハラハラしながら聞いていた。原稿用紙の升目を埋めていく父の作業を幼い頃から見ていて、私もいずれそうしてみたいと幼な心に思っていたらしい。
 父と母は、今思うと、とても仲のいい夫婦であった。たまに父が怒ることはあっても喧嘩らしい喧嘩はしたことがない。親友のミーコの父は当時は有名な評論家であった室伏高信で、ミーコはよく両親がけんかすると話していたが、我が家があまり喧嘩しなかった。
 しょっちゅう人が訪ねてきた。一日の大半が人に逢うことで費やされてしまう日もあった。でも、父は人に逢うことが嫌いではなかったらしく、誰にも機嫌よく応対していた。 食べることが好きで、自分の火鉢で郷里のエビ煎餅を焼くのが楽しみだった。餅網の上で、実に丹念に、細心に焼いた。父の焼くエビ煎餅はおいしかった。食べることには執着が強く、処理の仕方もとても丁寧であった。魚も台所の包丁を使って、上手に一匹処理するのは当たり前のことだった。父親の影響力というものは、もしかしたら母親よりも大きいのかもしれないと思う。特に食べ物に関してはそうである。男が台所に入るのは珍しかった時代に、自分から包丁を握り、お鍋をガスにかけた。
 私はそれが当たり前だと信じて育った。たまたま夫は食事を作る事が好きな質であったけれど、仲が良かったのはそれがあるのかもしれない。男が包丁を握ることの珍しい時代に上機嫌で鍋のふたをあけ味見していた父をよく思い出す。小説を書いている父よりもその人間味溢れる暖かさ、やさしさが、父の味付けにも十分うかがえる。父の味をもう一度味わってみたいとつくづく思う。

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