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論語 №132 [心の小径]

四一七 師冕(しべん)見(まみ)ゆ。階に及ぶ。子のたまわく、階なり。席に及ぶ。子のたまわく、席なり。皆坐す。子これに告げてのたまわく、某(それがし)はここに在り、某はここに在り。師冕出ず。子張(しちょう)問いていわく、師と言うの道か。子のたまわく、然り。もとより師を相(たす)くるの道なり。

         法学者  穂積重遠

 盲楽士の冕(べん)が来訪した。孔子様が自身出迎えて案内され、階段まで来ると、「段々ですよ。」と言われ、座敷へ来ると、「サアお席ですよ。」と言って着席させる。そして一同の座が定まると、「あなたの右は何さんです、左はだれそれです。」という風に同席者の名前と席順とをいちいち告げられた。師冕が帰った後、子張が、「あれがめくら法師と語る作法でござりますか。」とおたずねしたら、孔子様がおっしゃるよう、「そうじゃ。そもそも盲人はああいう風に介抱すべきものぞ。」

 盲人に道場的敬意をはらわれたことは前にも出ていたが(二一四)、孔子様が老いたる盲楽士を接待される懇切な様子が目に見えるようだ。

四一九 孔子いわく、天下道有れば、すなわち礼楽征伐天子より出ず。天下道無ければすなわち礼楽征伐諸侯より出ず。諸侯より出ずれば、けだし十世失わざるは希(まれ)なり。大夫より貯ずれば、五世失わざるは希なり。陪臣国命を執(と)れば、三世失わざるは希なり。天下道有れば、すなわち政大夫に在らず。天下道有れば、すなわち庶人議(ぎ)せず。
 
 「陪審」は「又家来」で、天子から言えば大夫だが、ここでは諸侯から数えて大夫の家来のこと、当時の魯(ろ)では陽虎(ようこ)がそれだ。日本でいえば、天皇・足利公方・三好・松永という関係。

 孔子が申すよう、「正しい道が天下に行われる時代には、礼楽征伐の命令が天子から出ます。天下に道が行われなくなると、礼楽征伐の命令が諸侯から出るようになります。命令が諸侯から出るようになっては、おそらく十代も政権を失わぬことは稀でありましょう。それが大夫から出るようになっては、五代も続くことは稀でありましょう。その又家来が国の政権を取りしきるようになっては、三代続くことも稀でしょう。天下に道が行われれば、政権が大夫の手などにはないはずです。天下に道が行われれば、平民が政治の批判をしなくなります。」

 最後の一句は言論圧迫の意味ではない。古註に「上に失政なければすなわち下に私議なし。その口を持して敢て言わざらしむるにあらず。」とある。もし天下道なくして言論を圧迫すると、徳川末期に「庶人議する」落首や川柳が流行したようなことになる。

四二〇 孔子いわく、禄の公室を去れること五世なり。政 の大夫に逮(およ)べること四世なり。故にかの三桓の子孫徴(び)なり。

 これは前章と同時の言葉だろう。魯の大夫仲孫(ちゅうそん(孟孫)・淑孫(しゅくそん)・季孫(きそん)の三家は桓公の末なので「三桓」という。

 孔子の申すよう、「爵禄(しゃくろく)附与の権が魯の公室を離れてから五代になります。政治が大夫の手に移ってから四代になります。先に『五世季(まれ)なり』と申したような次第で、かの三家の子孫が衰微してきたのも、そうあるべきことであります。」

『新訳論語』講談社学術文庫


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