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海の見る夢 №19 [雑木林の四季]

                  海の見る夢  
          -思考は回る風車のようにー   
                 澁澤京子

昔、渋谷駅南口の歩道橋を渡って降りた三角地帯のところに「モンド」と言う喫茶店があった。確か、私が高校生くらいまであったんじゃないかと思う。客席と客席の間には、目隠しの観葉植物が置いてあるような、昔ながらの店内の薄暗い喫茶店で、いつもBGMには映画音楽がかかっていたと思う。「八十日間世界一周」とか「慕情」「いそしぎ」とかで、その頃は、私の家にも映画音楽のレコードが2,3枚あった。「モンド」は、長くいると身体が芯まで冷えるほどクーラーが効いていた。

この間、頭の中にふっと音楽が流れ始めて、曲は知っているけどタイトルを思い出せない・・一日中頭の中で流れているので、you tubeで探し始めた。どうも映画音楽っぽい。「雨の訪問者」(主演・チャールズ・ブロンソン)かもしれない、と思って聴いてみた。感じは似ているけどこういう三拍子系の曲じゃない・・この頭の中でぐるぐる鳴っている曲は一体何?とyou tubeを長い事探し、やっと見つけた時は本当にうれしかった。

「華麗なる賭け」(主演・スティーブ・マックイーン)のテーマソングで「The Windmills of your mind」(邦題・風のささやき)。作曲はミシェル・ルグラン。「シェルブールの雨傘」とか映画音楽で有名な人。パソコンはこういう時は本当に便利で、検索かければ歌詞も和訳もちゃんと出て来る。それで、この歌詞が面白い。

・・らせんの中の渦のように クルクル回る
  車輪の中に閉じ込められた車輪のように クルクル回り
  初めも終わりもない 永久に回り続ける糸巻・・
・・クルクル回り続ける終わりのない円運動
  そして、あなたは頭の中に風車が回っていることに気が付く・・

うーん、私の頭の中で鳴りやまなかった曲の歌詞の内容ってこれだったか・・「時間」についての哲学的な感じの歌詞で、こういう深い内容の歌とは知らず、歌詞と同じようにこの曲が頭の中でループしていたとは。

よく坐禅で、頭の中を無にしようとすればするほど、考えたくもないくだらない雑念が次から次へと押し寄せて来るけど、頭の中の風車の運動のせいだったのか、と納得する。
子供の時、渦巻きがくるくる回っているのを見ているだけでクラクラして気持ちが悪くなったけど、あのクルクルはかなり怖い。無限というのは人を恐怖させるものがあると思う。
世界が有限でその果てがあるとしたら、その外はどうなっているんだろう?という謎は子供でも考えることで、子供の時、世界は巨大なマトリョーシカ人形のようなもので、やっと果てまで来て脱出したら、さらに大きなマトリョーシカ人形に閉じ込められていて、それは無限に続くのじゃないかと考えたりした。

時間というのは直線運動ではなく、パラパラ漫画のようなものじゃないかと思っている。なぜなら、記憶というのは断片的な映像としてすごく昔のことであるのに、時折はっきりと蘇ってくるからだ。

時間とは意識であり、意識の根底には神(無限)があると言ったのはアウグスティヌスだけど、坐禅をしていると確かに意識は無限と関係しているような気がする。

森永のミルク缶に描かれた少女は、同じ自分が描かれた缶を持っているだけで、少女は無限に存在する。平面の中の無限。モーツアルトは最初の楽章が浮かんだ時点で、すでに頭の中では最終章までの楽譜ができていたというけど、森永のミルク缶の少女の平面の絵のように、最初の決定によって、永遠にループして続いてゆくものなんだろうか・・・

その無限の永久運動が具体化されたものが、この世界なんだろうか?意識(時間)と言うの
は、宇宙と同じように謎に満ち満ちて本当に不思議なのである。


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