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西洋美術研究者が語る「日本美術は面白い」 №69 [文芸美術の森]

                          歌川広重≪名所江戸百景≫シリーズ
              美術評論家  斎藤陽一
                              第20回 「月の岬」

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≪品川遊郭での月見≫

 前回は、「名所江戸百景」シリーズの中から「はねたのわたし弁天の社」(第73景)と「高輪うしまち」(第82景)を取り上げて、この連作中で広重が多用している「近接拡大」と「切断」画法について語りました。
 今回は、「月の岬」(第83図)に焦点をあて、「切断の構図」とも関係ある日本独特の美学とも言うべき「暗示の美学」について注目してみたい。

 この絵の舞台はどこか、いくつか説がありますが、一般には品川の妓楼とされています。しかも品川で名高い妓楼「土蔵相模」を舞台にしているという研究家もいます。
品川の海岸は「月見の名所」として知られており、この絵でも、中空には中秋の名月が浮かんでいる。その下を雁の群れが飛んでゆき、海には月見の帆掛け船が浮かぶという、まさに「名所絵」の仕立てになっています。

 しかし前景に大きく描かれた座敷には、月見をする人物たちが描かれていない。ただ誰もいない座敷だけが広い空間を占めています。(下図参照)

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 座敷の端、海に近く眺めがよいところに、盃や酒の肴、煙草盆などが置かれ、先ほどまでここに人の居た気配を暗示しています。
 誰がここで月見をしていたのか?
 ここが「妓楼」だとすれば、それは当然、「客と遊女」ということになる。では彼らはどこに居るのか?

≪暗示の美学≫

 左側の障子には、一人の女のシルエットが映っている。髪に挿されている五本の簪(かんざし)から、遊女であることが分かります。当時の遊女は、このような形の簪を三本、五本、七本と、奇数の本数を挿すという習わしがありました。
 月見を切り上げた遊女は、部屋の片隅に立って、何かしようとしているらしい。そこから先は、見る者の想像に任せ、障子に映る影で暗示しています。言うのも野暮かも知れませんが、あえて言うならば、遊女はこれからの「床入り」の準備をしているのでしょう。

 では、客の男はどこか?
 よく見れば、右側の障子の隅から、ほんの少し、着物の一部がのぞいている。これを女性とする見方もありますが、鼠色の着物といい、目の前の酒、肴の配置といい、何よりも妓楼の座敷と言う舞台設定から言って、これは「客の男」を暗示している、と見たい。

 こんな具合に、広重は「月見」という主題を選びながらも、人物たちをはっきりと描かずに、いくつかの事物によって状況を暗示しています。そして「暗示」は私たちの想像力を刺激する。この後、どのようなことになるのだろうか?― なにやら妖しげな気配も・・・
 
 ここには「暗示の美学」が働いています。
 本来、絵の中心に描くべき主要なモチーフを描かずに、「省略」するか、あるいはその「断片」を描き、他の事物をさりげなく配することで、状況や雰囲気を暗示するという美学です。これは、「不在の美学」、あるいは「省略の美学」とも言いかえることができ、既にこの欄の「琳派」シリーズの中でも、たびたび指摘してきた日本美術の重要な特質のひとつです。

 「暗示の美学」は、日本美術に限ったものではない。
 たとえば、物語や詩歌といった文芸、能や狂言、歌舞伎等の芸能、茶道や華道、作庭など、さまざまな日本文化の底流にある美意識と言えるものです。

≪遊女の姿は描かない≫

 広重は、連作「名所江戸百景」の中で、随所にこの「暗示の美学」を発揮していますが、それにはもうひとつ、理由があると考えられます。

 それまでの浮世絵では、鳥居清長や喜多川歌麿に見るように、遊郭を主題にして遊女や花魁の姿そのものを多く描いてきました。
 しかし広重のこの「名所江戸百景」シリーズでは、遊郭の一角を描きながらも、花魁や遊女の姿をそのまま、もろに描いたものは一つもありません。

 このシリーズが刊行された安政年間の時代状況を見ましょう。
 安政の直前の嘉永年間、ペリー提督率いる米国艦隊が来航して幕府に開国を要求、世情騒然となっていました。「開国か攘夷か」「勤皇か佐幕か」幕末の動乱へと続きます。
 そして安政には大地震の発生により、甚大な被害が出て、民心は動揺していました。
 幕府は、江戸の民心を鎮めるとともに幕府批判を抑え込むために、取り締まりをより厳しくし、出版物の統制に乗り出しました。発禁処分を受けるものも出ました。
 おそらく版元も広重も、このような状況を敏感に感じ取り、介入や発禁の口実を見つけられないよう、格別に慎重になったのでしょう。

 広重の「暗示の美学」は、日本文化の伝統にもとづく美意識の発露ととらえられる一方、さらに徹底した絵画表現となった背景には、このような時代状況も反映していると考えられます。

 次回は、「名所江戸百景」の中で、吉原の遊郭を舞台にしながら遊女の姿が描かれていない「浅草田圃酉の町詣」(第102図)を紹介します。
                                                                  

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