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梟翁夜話 №98 [雑木林の四季]

「ある老人の教訓」

       翻訳家  島村泰治

九十歳の元高級官僚(事故当時八十七歳)の起した交通事故が、その投獄と云ふ結末で始末がついた。事の次第を思ひ返すも痛ましいが、この老人の気儘な運転に巻き込まれて、哀れ、罪なき母子が命を落とした。己のブレーキの踏み間違ひを車の故障と言ひ募(つの)って、あわよくば無罪を得やうとのこの老人の振る舞ひに、世間様は白い目を向けてゐた。5年の実刑が決まって、先日10月12日獄舎に運ばれ、人々は溜飲が収まった。

一件の車の事故話しに妙な膨らみを持たせたのは、この老人が高級官僚だと云ふ部分、つまりいわゆるお偉いさんだと云ふ側面と、われは無罪ぞとの本人の強弁の裏に、周囲のあるべからざる忖度が垣間見えて、長引く判決を待つ巷に釈然としない思ひが鬱積してゐたことを述べたいが故だ。私も実はその一人、公務の何たるかを多少知る身に背後の不条理な計らひが見え透いて、世の正義のために、この老人はすでに虚しい晩節を獄舎にこそ過ごすべしと考へてをった。法の冷徹を清々しく味わってをる次第だ。

さて、この老人は正味の九十歳、かく云ふ私は八十六歳だが五入すれば同じ九十歳だ。事の経過をたどり、わずか数年で同齢になることの意味をわが身に準(なぞら)えて言葉を失ふ。この老人の哀れな末路を憐れみながら、老骨という同じ靴を自分でも履いてみて、うっかり軽口を叩いてゐる時ではないと悟るのだ。

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車の運転は留学先のアメリカで覚えた。周囲の手引きで基礎技術を身につけ、1ドルの手数料で免許証を得た。日々の食ひ扶持に窮する身に車は持てぬ。人の車を転がす程度で、身につけた運転技術は実用には益せず、勉強に追われて車との縁は事実上消えた。

そして帰国、持ってゐた免許証は疾うに期限切れ、必要に迫られて知人の引きで蒲田辺りの教習所に通った。壁は講習だけで実技は事実上フリーパス、最低時間数で済ませ日本の免許証を手にした。本田宗一郎の生き方に共鳴してホンダ車に特化、初代のアコードから今年乗り換えたNボックスまで、何台のホンダ車を乗って来たことか。大使館時代は、便宜と体裁からレジェンドにも乗った。自慢は貰い事故僅かと無違反、地理と運転技量には今なお自負がある。

時ならぬ運転自慢には理由がある。

冒頭の老人の事件に話しを戻す。老人がブレーキとアクセルを踏み違えるなど、よくあることだと云ふ。が、踏み違える可能性は若くともあるが、それと気づく反射能力が老れば萎えると云ふのが正しかろう。彼の老人は踏み違ひ、違へたままで突っ込んだ。反射能力の欠落に加えて、白くなる脳裏を覚ます判断力に欠けた。つまり老化症状だ。

頭が真っ白になった老人の心理状態が如何かは問わず、後刻に「踏み違えではなく車の不備だ」と言わんばかりの言動は、流石に如何なものかと人の顰蹙(ひんしゅく)を買った。推し量るに、私にはこの老人の家族の計らいが垣間見え、それに甘えた老人の姿がある。老いた父親を獄に繋がれる妻女の辛さ然り、仕事の嘗ての部下たちの上司思ひの斟酌然り、投獄に至る間に様々な計らひがあったに違いない。

ニュースが正しければ、この老人は最後にブレーキの踏み違ひを認めたと云ふ。これを聞いた私には、獄舎へ向かう車内で蹲(うずくま)る老人の姿が突如別人に見えた。踏み違ひを認めるまでの経緯が読め、欺瞞を悔やむ彼の心が透視できた。彼の姿に、今や自分が轢き殺した母子への憐憫の思ひが溢れ、老い先短い余命から五年を獄で過ごさんと心を決めた悟り身を見た。

ひとりの老人の末路に左程拘るのは何故と問われるかも知れぬ。それは実に的を得たご懸念だ。それと云ふのも、人を殺(あや)めたひとりの老人が獄に入る覚悟をするまでの心の葛藤を思ふにつけ、五入すれば同齢の身として私は、ゆめ同じ轍を踏むべからずとの思ひに辿り着いたからだ。運転に何の不安もない今、人を轢くなど思いもつかない今、その今だからこそ、ここで運転を思ひ切って止めやうじゃないか、と。

来年2月26日のわが誕生日、この日を期して私は運転免許証を返上する。幸い、運転を何より好む愚妻が、喜んでわが足になってくれるはずだ。これからはせいぜい散策を増やして、わが足どもに大いに励んでもらわねばなるまい。


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