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西洋美術研究者が語る「日本美術は面白い」 №68 [文芸美術の森]

         歌川広重≪名所江戸百景≫シリーズ
            美術ジャーナリスト  斎藤陽一 
   第19回 「はねたのわたし弁天の社」&「高輪うしまち」

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【はねたのわたし弁天の社】

≪ビッグ・クローズアップ&カッティングの画法≫
 今回は、広重が竪型(たてがた)連作「名所江戸百景」で多用している画法、「近接拡大」(ビッグ・クローズアップ)と「切断」(カッティング)の例を、二つの作品で見てみたいと思います。ひとつは「はねたのわたし弁天の社」(第73図)、もうひとつは「高輪うしまち」(第82図)です。

 はじめに「はねたのわたし弁天の社」(上図左)を見ます。
 「はねた」は「羽田」のことで、現在の羽田空港のあるあたりです。もっとも羽田空港は埋め立てと拡張工事の結果、現在の姿になったのですが、江戸後期には多摩川の河口付近に「羽田村」がありました。そこに「渡し場」があり、渡し船が人や物を乗せて多摩川を行き来していました。
 
 この絵の「構図」に注目!
 艪(ろ)をこぐ船頭の腕と足の一部だけが前景に思い切った大きさでとらえられ、他はすべて切断されて画面の外。舟や艪さえもほんの一部が描かれるのみ。これが「近接拡大」(ビッグ・クローズアップ)と「切断」(カッティング)画法です。
船頭の腕や足越しに、河口や海の広がりが描かれています。
 この大胆な構図により、ぐいぐいと艪をこぐ力強さが強調され、さらに中景にある「弁天の社」や「常夜燈」、遠景の海との遠近感も際立ったものとなっています。

 西洋人がこの絵を最初に見た時には、びっくりしたことでしょう。実際に、船頭の毛脛(けずね)に反発して「呆れた絵だ」と言った人もいたようです。伝統的な西洋絵画には、これほど大胆な画法は見られなかったので、それほど衝撃力のある絵だったと思います。
 
【高輪うしまち】

≪ここは牛のいた町≫

 次に「高輪うしまち」(第82図)を見ましょう。
 ここにも「近接拡大」と「切断」画法が用いられています。

 この「高輪」は、現在の品川駅があるあたりです。この絵に描かれた場所は正式には「車町」という地名でしたが、俗称「牛町:うしまち」と呼ばれていました。江戸時代初期、増上寺・安国殿建立の際に、幕府は京都から大勢の「牛持ち人足」(牛と荷車を持って物資を運搬する職業)を呼び寄せ、ここに住まわせたため、「車町」、俗称「牛町」と呼ばれるようになったそうです。

 広重は、牛曳きの荷車の車輪と轅(ながえ)の一部を大胆なクローズアップとカッティングによって描き、ここが「牛町」であることを暗示しています。そう思って画面をよく見ると、地面のあちこちに落ちている固まりは、牛の糞のようにも見えます。
 その上、食い散らかされた西瓜の皮(夏の季節感)や、緒の切れた草鞋、うろつく子犬などが、いかにも車曳き職人たちが住む町らしい生活感をさりげなく示しています。
 先ほど見た「はねたのわたし弁天の社」と同様、前景に主たるモチーフを「近接拡大」と「切断」画法で描くことによって、近景と遠景との奥行き感が強まっています。

 広重は、「風景を描くには不向き」とされた縦長の画面を逆手に取り、このような斬新な構図を生み出しました。そしてこの画法は、「名所江戸百景」シリーズの随所で駆使され、西洋絵画の革新をめざしていた印象派らの若い画家たちに強い衝撃を与えたのです。

≪ドガは浮世絵の愛好家≫

 印象派の画家のひとりであるエドガー・ドガ(1834~1917)は、ちょっと屈折した性格ゆえ、人前では言いませんでしたが、人知れず浮世絵を収集してその特質を研究、吸収し、自分の絵に応用していました。そのようなドガの絵はたくさんあるのですが、ここでは、1875年にパリのブローニュの森に開場したロンシャン競馬場を舞台にした「競馬場」(1876~87年)を紹介します。

68-3.jpg この絵は、出走前のざわついたひとときを切り取ったように描いたものです。ですから、あたかも瞬間をすばやく写した写真のスナップショットのように見える。実際にドガは、当時新しく登場した写真に大きな関心を示した画家でした。
 また、素早い筆致でごく短時間に描き上げたかのような印象を与える。
 しかしこの絵は、1876年に描き始め、やっと1887年に完成しています。

68-4.jpg ドガは、画面に描かれたものがあたかも瞬間的に写したかのごとく見えるように、何回もの変更を加えながら入念に構図を作っていくという画家でした。
 この「瞬間性」の持つ斬新な印象を作り出すために、ドガが触媒として活用したのが「写真」であり、もうひとつが「浮世絵」でした。

 例えば、画面右側では、手前に馬車の「車輪と人物」が大きくクローズアップして描かれていますが、その姿は右端で大胆に切断されています。これによって、偶然にシャッターを押してある瞬間を撮ったかのような、動きと不安定感が生まれています。これをドガは意図的に、入念に作り出したのです。そのヒントとなったのが、広重の絵でした。広重の「高輪うしまち」と並べてみると、車輪のところなどはそっくりの構図であることが分かりますね。

 ドガが亡くなってから、その所蔵品の中には、北斎や広重、歌麿、清長など、百点を超える浮世絵が発見されました。
 ドガは、モネやゴッホ、ピサロらとは違って、表向きには日本絵画を賛美するようなことをしませんでしたが、西洋絵画の伝統にはない浮世絵の特質を本質的なかたちで吸収し、自分独自の絵画世界を切り開いた画家でした。

 この回の最後に、広重の連作「名所江戸百景」の中から、「近接拡大」「切断」画法を使った構図の絵をいくつか例示しておきます。(下図)

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次回は、「名所江戸百景」シリーズの第83景「月の岬」を取り上げます。


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