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じゃがいもころんだⅡ №57 [雑木林の四季]

ロボットの薬箱

           エッセイスト  中村一枝

 コロナの急拡大に驚いたり、日々のニュースにいちいち口をあんぐりあけてはいられないほど、世の中は変化している。その中で動けないからだを持て余している老人は、取り残されてひとりぽつ念としている。世の中、こうも変化する仲で、老人の周りには風も吹かないというのが現状である。風が吹かないというより、吹いても、本人がボーッとしている以上、風も吹きようがないのだろう。
 来年四月の誕生日がくれば、八十八歳になる。名実ともに老人そのものなのに、本人はどこか釈然としていない。あれっ、あれっという間に、時だけが過ぎる不思議さなのだ。
 私ばかりではないらしい。同年代の友人に聞いても、なんだか判らないうちにまわりがどんどん変わっていくという状態らしい。それが老化そのものよ。と言われても、悲しいかな、実感がともなわないのが本当の話である。
 年齢というものだけはとってみないと判らない。とってみた時にはすべて手遅れというのが現実なのだ。
 毎日が風のように過ぎてゆく、といえば聞こえはいいが、風の鳴る音さえ気付かないというのが本音である。若い頃老年について考えていたことなんて、あれはすべた幻影にすぎなかったのだと判って来る。目の前の日々の現実だけが、今、残された唯一頼れるものになってくる。時間はたっぷりあろると思っていたのに、その時間に毎日追われているというのも不思議なものだ。 老人っぽくなったと言われてもう数年経つのに、未だに年よりの入口でまごまごしている。それがおかしい。
 若い頃想像していた年よりというのが、今の自分とはどうしてもぴったり結びつかない。と言うより、ギャップが大きいのだ。あるがままの、無力で抵抗力のない弱弱しい人間、、これがわたしと思いたくない。一方、お薬ですよというよびかけに、むしろほっとする自分がいる。
 家に定期的にやって来る置き薬屋さんが、薬のロボットのような物をが置いていった。時間が来ると、突然、お薬の時間ですと言い出す、このロボット、余計なことを言わないから、至って簡単で判りがいい。こういうものに頼っている自分の情けなさは感じるが、それ以上に、物言うこの白い物体になんの抵抗も感じなくなっている自分がおかhしい。抵抗がないどころか、心のどこかで便利に思っているのだ。人間はこうやって、そうと気付かないうちに変わっていくものだろうか。 
 白い小さな薬の箱は物は言わなかったが、、箱の中から私をきっと睨んでいたようなきがする。箱ににらまれながら自分で何とかしてきたことが、「お薬の時間ですよ」と言われることに慣れて、薬の時間を気にする必要がなくなった。確かに便利だ。でも・・・。
 今は、便利さが追求され、周囲の物がどんどん便利に変わっている。いいことに違いないのに、古いタイプの人間にはどこか違和感がある。これから先、もっと便利な次代が来ると判っていてもあまり嬉しくないのはなぜだろう。


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