SSブログ

現代の生老病死 №4 [心の小径]

現代の生老病死~引き延ばされる老・病・死と操作される生 

     立川市・光西寺  寿台順誠

 2.現代の老

(1)社会の高齢化
 それでは、「老」の問題から始めますが、これについては先ず基礎知識の確認をしておきましょう。一般に、65歳以上の人口が総人口の7~14%に達した社会を「高齢化社会」(aging society)と言い、65歳以上の人口が14~21%に達した社会を「高齢社会」(agedsociety)、そして、65歳以上の人が21%以上の社会を「超高齢社会」(super-agedsociety)と呼ぶこと になっています。“aging”とは「年を取りつつある」ということ、“aged”とは「年を取っちゃった」ということ、そして、“Super-aged”とは「チョ一年取っちゃった」ということですね。時々、これらの区別をしないままに、「超高齢化」のような言葉が使用されていることがありますが、一応、以上の基礎的な語法は押さえておいた方がよいと思います(4)。
 それで日本は、1970年(7.1%)に「高齢化社会」、1995年(14.5%)に「高齢社会」、そして2007年(21・5%)に世界で最初に「超高齢社会」になった訳ですが、参考までに2018年時点の国際比較の統計を見つけましたので、それを下に挙げておきましょう。これは総務省統計局が出しているものですhttps://www.stat.go.jp/data/topi1135..html)。
寿台3.jpg
 これによると、2018年のこの段階では日本に続き、イタリア・ポルトガル・ドイツ・フィンランド・ブルガリアまでが「超高齢社会」になっていますが、しかし日本はこの時点で既に28%を超えていて、かなり図抜けた「超高齢社会」だということになりますね。そろそろ30%に近づいていて、大体3.3人に1人が高齢者だという社会になりつつありますからね。
 それにしても、今の高齢者は大変ですよね。希少価値がなくなっちゃったですからね。昔だったら年取っただけで尊敬されていたけれど、いま高齢者はゴロゴロいますから珍しくも何ともなくなっちゃった。そういうことも「現代の老」の一つの苦しみかもしれませんね。

(2)現代の老苦-死にたくても死ぬに死ねない状態が長く続く苦
 そこで、そういう超高齢社会における老苦とはどんなものだろうかということを考えていて、非常に参考になったのが有言佐和子の『恍惚の人』でした。発表当時ベストセラーになった小説ですが、これが出されたのは1972年で、日本が高齢化社会に入ったばかりですから、今から考えると非常に先駆的な作品だったのだと思いますね。映画(豊田四郎監督、1973年)の方も、森繁久禰が認知症になったおじいさん(立花茂造)を、その息子の嫁さん(立花昭子)を高峰秀子が演じましたが、当時非常に多くの人が観た筈ですね。それで、この小説には次のような言葉があります。

 人間は死ぬものだということは知っていたけれど、自分の人生の行く末に、死よりもずっと手前にこういう悪魔の陥穿とでも呼ぶべきものが待ちかまえていようとは、若いときには考えも及ばなかった。歳を取るのか、私も。どういう婆さんになるのか、私は。(有吉佐和子『恍惚の人』新潮社、1972,176頁)

 これは、この小説の中で舅(茂造)の世話を一手に引き受けていた嫁(昭子)が、舅と自分を重ね合わせて自問する言葉です。仏教で一口に「生老病死の苦がある」と言われているのを聞くと、人はいとも筒単に「老いて、病んで、死ぬ」と言われているように聞こえるのですが、人はそんなに簡単には死ねないのですよ。「死よりもずっと手前に‥・悪魔の陥穿」があるというのですが、これは小説を読んだり映画を観たりした人はお分かりになると思いますね。この作品では垂れ流しや排桐の場面が延々と続きますからね。
 『恍惚の人』ではまだ、共働きであるにもかかわらず嫁が舅の面倒を見るのが当然のように描かれていましたし、介護施設や介護制度も整っていませんでした。又、2004年に厚生労働省の用語検討会によって定められた「認知症」という言葉はまだ使用されず、この作品では「呆け」とか「痴呆」とかの言葉が使われていました0が、今から見るとそういう限界はありますが、それでも先に引いた言葉は、死ぬに死ねない「現代の老若」をうまく表現した言葉だと思います。
 今の日本のように長寿になったことは、基本的には好ましいことの筈なのに、口を開けば「死にたい」などと言う高齢者が何と多いことかと思います。うちには95歳になる義母がいて、現在、家とホーム(ショートステイ)の間を行ったり来たりの生活ですが、その義母の場合でもそうです。顔を見れば、「もう何も分からなくなっちゃった」とか、「死にたい」とかということばかりを言っています0このように、寿命が長くなればなるほど何か苦しみが増えるような、今の日本はそんな社会であるような気がする訳です。

註(4)但し、この定義については、国連の1956年の報告書で当時の欧米先進国の水準を基に7%以上を“aged”と呼んでいたことに由来するのではないかとされているが、それも定かではないとも言われている(ウイキペデイア「高齢化社会」)

名古屋市中川区 真宗大谷派・正雲寺の公開講座より
 


nice!(1)  コメント(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。