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西洋美術研究者が語る「日本美術は面白い」 №67 [文芸美術の森]

       歌川広重≪名所江戸百景≫シリーズ? 
         美術ジャーナリスト 斎藤陽一
       第18回 「猿わか町よるの景」

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≪芝居がはねた後のものさびしさ≫

 広重の連作「名所江戸百景」には、夜の情景を描いた図がいくつもあり、それぞれが夜の持つ独特の情感を漂わせています。

 この「猿わか町よるの景」もそのひとつ。
 猿若町は、江戸後期に芝居小屋が集まっていた場所です。もともと江戸の芝居小屋は日本橋界隈にあったのですが、天保の改革(1841~43年)の最中に中村座から火を出した時、幕府は旧地での再建を許さず、浅草・浅草寺北方の辺鄙な土地への移転を命じました。この新しい土地は「猿若町」と名づけられました。ところが、近くに浅草寺や吉原遊郭があったために、かえって繁盛したという次第。

 広重が描いたのは、夜の「猿若町」です。
 通りの右側には、手前から「森田屋」「市村座」「中村座」と並び、左側には芝居茶屋、その先には人形芝居二座が続いています。芝居三座の屋根の上には「櫓」がありますが、これは幕府が興行を許可したことを示すもの(官許の標示)です。
 広重はこの猿若町の通りと家並みを完璧な透視画法で描き、深い遠近感を表現しています。

 当時、芝居は明け六つ(午前6時)から暮れ六つ(午後6時)までの昼間の興行でした。
 芝居の始まりを告げる一番太鼓は、なんと夜半の三時ごろから鳴り響き、芝居好きの人は暗いうちから提灯を下げて家を出たということです。そして、そのままずっと芝居を見続けて、夕方の閉幕を迎えたというのです。

67-2.jpg 広重が描いているのは、一日の芝居が終了した夜の情景です。
 夜空には満月が浮かび、その光を浴びて芝居帰りの人々が通りを歩いています。
 人々の影がこのようにくっきりと描かれるのは、日本の絵画では珍しいことです。この結果、芝居が跳ねた後のほんわかとした余韻と、どこかものさびしい情感が見事に表現されています。

≪夜にも色彩がある≫

 広重にとって、夜はただ暗いだけの時間ではなかった。広重だけではなく、浮世絵師たちは、夜にもさまざまな色彩があることを知っていました。実際の江戸の夜は、現代と違って相当に暗いものだったでしょうが、その中に色彩を発見し、絵画的に増幅して表現したのです。
 この絵にも、月の光や、芝居小屋から洩れる光、提灯の光などに照らされて、いくつもの繊細な色彩が見えている。光と影の織りなす情緒が味わい深いものとなっています。

 「浮世絵」に触発され、日本の光に似た光を求めて南仏に移ったゴッホも、アルルの夜に様々な色彩を発見しました。ゴッホ自身「夜は日中よりも生き生きとし、豊かな色彩に彩られる」と言っています。
 ゴッホがアルルで描いた夜の情景のひとつが「夜のカフェテラス」(1888年)です。

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 ガス燈に照らされた明るいテラスは黄色のトーンに描かれ、通りの奥は濃紺の闇に沈ませて、鮮やかなコントラストを生み出しています。さらに、空には星が輝き、この町の夜のくつろぎを演出しています。
 伝統的な西洋絵画では、夜は暗く、黒い世界でした。モネたち印象派の画家たちは、「影にも様々な色彩がある」ことを発見し、さらにゴッホなどは「夜は単に黒い世界ではなく、そこにも豊かな色彩がある」ことを認識したのです。 

 次回は、「名所江戸百景」中の「はねたのわたし弁天の社」(第71景)と「高輪うしまち」(第82景)の二点を合わせて紹介します。


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