私の中の一期一会 №246 [雑木林の四季]
幕内優勝45回、不滅の大記録を持つ第69代横綱白鵬が遂に現役を引退
~7月場所の優勝インタビューで「右膝がボロボロで言うことをきかない・・」と打ち明けていた~
アナウンサー&キャスター 藤田和弘
大相撲で、歴代最多の幕内優勝45回を誇る横綱白鵬(36)が27日、師匠を通じて現役引退の意向を日本相撲協会の八角理事長に伝えたことが明らかになった。
進退をかけて臨んだと言われた7月の名古屋場所千秋楽で、白鵬は大関照ノ富士との全勝対決に勝って、優勝回数を45回に伸ばしたのである、しかも“全勝優勝16回目”というおまけ(?)付きで・・・
この時の優勝インタビューが印象に残っている。
「右膝がボロボロで言うことを聞かなかったので、この一番に全てをかけようと思って気合を入れてやりました。まさかこの歳で全勝優勝出来るなんて、場所前は思わなかったので本当にホットとしています」と話していた。
“あの無敵の大横綱が安堵の表情を浮かべていた”と書いた記者の目には、何かいつもと違う白鵬が見えたのかも知れない。
白鵬が“土俵を去る意向”を固めたのは、7月の名古屋場所前からだと聞く。
白鵬は右膝の怪我やコロナに感染するなどして、昨年の7月場所から6場所連続で休場するなどを問題視されてきた。
復活を目指して、今年3月には右膝の手術に踏み切ったが回復状況は思わしくなかった。
“土俵人生の最後”との思いで臨んだ筈の7月の名古屋場所で、全勝優勝するという思わぬ結果が出て、“復活”という声さえも囁かれた。
白鵬本人も「照ノ富士に勝ったこの1勝は横綱として899勝目なので、あと1勝で900勝だ。1勝を目指して頑張りたい」と話して、9月の秋場所出場も見据えているかのように見えた。
横綱審議委員会から、休場場所の多さを理由に“引退勧告”にも等しい「注意」を勧告されていたことも白鵬を苦しめていたに違いない。
秋場所直前に所属の宮城野部屋でコロナ感染者が出たため横綱を含めた全員に“全休の措置”がとられたことで気持ちの踏ん切りがついたのではないだろうか。
近日中に引退届が受理され、30日に日本相撲協会から正式発表される。
2000年12月15歳の白鵬は、角界を目指すモンゴルの少年たちを受け入れていた大阪の物流会社・摂津倉庫に身を寄せていた。
倉庫相撲部の土俵の端にいた、身長175センチ、体重62キロの少年に目を付けた人がいた。
大阪在住だった元力士の朝井英治さんである。
朝井さんには、筋肉が付き身体が出来上がったような子は案外伸びないという持論があった。
「ほっそりしているけど身体が柔らかそうな子のほうがいいだろう」と考えて、宮城野部屋に紹介した少年が白鵬だった。
「あの時,連れて行ってもらったレストランの食事はおいしかったなあ」と白鵬は取材に答えている。
「もう日本のほうがモンゴルより長くなったね」と話す白鵬だが、外国出身力士の誰もが経験するように入門当初は苦労の連続だった。
当然ながら、言葉がよく分からない。
文化も違うので相撲部屋のしきたりを覚えるのが大変だった。
母国では経験したことのない“上下関係”には戸惑いを感じたという。
とにかく覚えることがたくさんあった。
稽古に臨む態度は真面目で、基本を大事にした。
朝の稽古で四股だけに1時間を費やすことも多かったという。
細身だった少年は、太るために“食べては吐いて、また食べる”を繰り返したという。
想像を絶する大変さだったが、音を上げて逃げ帰ることだけはしなかった。
白鵬の父は、モンゴル相撲の大横綱で、レスリングではモンゴル初の五輪銀メダリストだ。
母国の英雄でもある父の顔に泥を塗る訳にはいかなかったから‥というのは有名なエピソードである。
辛く苦しい日々の連続で希望も見出せないある日、夏川りみの「涙そうそう」を耳にした。
なんだかモンゴルの曲に似たメロディだな・・という感じがして心が癒されたと白鵬は述懐している。
すっかり夏川りみのファンになって、何度も聞くうちにメロディも覚えた。
歌詞の意味を聞いたり調べたりしたことで、日本語を上達させていったそうである。
2007年には紗代子夫人と結婚して、日本の歴史本を、読み聞かせてもらうなど日本を知る努力を惜しまなかった。
01年初場所に初土俵を踏んで以来、04年初場所に新十両、同年の夏場所には19歳で新入幕を果たしている。
初優勝を飾ったのは、大関に昇進した06年の夏場所だった。
第69代横綱に昇進したのは、07年名古屋場所で22歳であった。
以来、幕の内最高優勝45回、横綱在位84場所、全勝優勝16回、63連勝など史上に残る記録が多数ある。
通算1187勝、247敗、253休み。金星1つ、技能賞2度、殊勲賞3度、敢闘賞1度などをそれぞれ受賞している
白鵬が引退の意向を固めたと知った朝井さんは「秋場所で新横綱・照ノ富士の優勝を見届けたことで引退を決意したのではないか。いいタイミングだった。お疲れ様」と語った。
横綱として輝かしい記録を残した一方で、土俵上での品格を問われることも少なくなかった。
優勝インタビューの後、観客に“万歳三唱”を促して非難を浴びたり、“三本締め”をして物議を醸したりと,なかなかの問題児でもあった。
しかし、東日本大震災の後、被災地を度々訪れている。
震災の半年後に、避難所の女川町総合運動公園を幕内上位の力士らと巡回訪問して、ちゃんこ鍋を振る舞い、サインに応じたりして町民らを激励した。
そのことを覚えている町民の一人は「被災地に心を寄せてくれた横綱が引退すると聞いてザンネンだが、これからは後進の育成に尽くして欲しい」と願っていた。
引退後の白鵬は、宮城野部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたることになっているが、将来的には独立を視野に入れているという。
白鵬は以前から「銀座に部屋を作りたい」と公言しているそうで、日本橋に予算20億円の部屋を創設する計画だとスポーツ紙が書いている。
白鵬の1代前の68代横綱だった元朝青龍は「横綱白鵬関の引退を聞きました.貴方は素晴らしい横綱でした。あとは二人で話そう。一言お疲れ!」とツイートしている。
どんな話をするのだろうか・・ちょっと聞いてみたい気がしている。
2021-09-28 07:29
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