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論語 №128 [心の小径]

四〇三 子のたまわく、衆(しゅう)これを悪(にく)むも必ず察し、衆これを好むも必ず察す。

           法学者  穂積重遠

 孔子様がおっしゃるよう、「人でも物でも事でも、衆人のにくむところ、衆人の好むところには十分重きをおかねばならぬが、しかし衆人のすききらいは必ずしも公平適正ではないから、上に立つ人は、衆人がにくんでも必ずその真相をさぐり、衆人が好んでも必ずその実状を察し、その上でにくむべきか好むべきかを判断せねばならぬ。」

 これは民主政治の指導者たる者のための金言である(六九)。『孟子』(梁恵王章句下)の左の一段は、正に本章の解説だ。「左右皆賢なりというも、末だ可ならず。諸大夫皆賢なりというも未だ可ならず。国人皆賢なりといいて掛る後にこれを察し、賢なるを見て然る後にこれを用う。左右皆不可なりというも聴くことなかれ。諸大夫皆不可なりというも聴くことなかれ。国人皆不可なりといいて、然る後にこれを察し、不可なるを見て然る後にこれを去る。左右皆殺すべしというも、聴くことなかれ。諸大夫皆殺すべしというも、聴くことなかれ。国人皆殺すべしといいて、然る後にこれを察し、殺すべきを見て然る後にこれを殺す。故に国人これを殺すというなり。かくの如くにして然る後に、これ民の父母たるべし。」

四〇四 子のたまわく、人能(よ)く道を弘む。通人を弘むるにあらず。

 水戸の「弘道館」という名称はここから出ている。「弘」は「大きくする」ということ。第二句は初句に対する言葉のあやで、大した意味はない。考え方によっては道が人を弘めることもあるではないか、などと理屈を言っては困る。

 孔子様がおっしゃるよう・「道はもちろん人を待って存するものではないけれども、人を待って拡大強化されるものじゃ。すなわち人が道をひろめるもので、道が人をひろめるのではないから、人たる者は道を弘めんがために立志努力すべきである。」

 伊藤仁斎いわく、「これ聖人専ら成るを人に責むるなり。けだし道は大なりと錐も、しかも為すことなし。人は小なりと雖も、しかも知ることあり。いやしくも学を力(つと)め徳を修れば、すなわち各その才に随いて聖と為り賢と為り、文章徳業天下を被覆(ひふく)するに足るなり。けだし堯舜の聖ありてすなわち唐虞(ぐ)の威あり。湯武(とうぶ)の君ありてすなわち殷周の治(ち)あり。上孔孟より下羣賢(くんけん)に至るまで、各(おのおの)その人に従いて文学徳業随いて広狭あり。皆人の弘むる所にして、道の弘むる所にあらず。これ孔門の学問を貴ぶ所以なり。」

四〇五 子のたまわく、過ちて改めざる、これを過ちと謂う。

 孔子様がおっしゃるよう、「過ちは致し方ないが、過っても改めないのが、本当の過ちというものじゃ。」                                        

 孔子様は、過つなとは言われない。過ったら改めろと言われる(八・二二九)。また顔回(がんかい)をほめるにも、過ちをしなかったとは言わず、過ちをふたたびしなかったのがえらいと言われる(三一)。子夏や子頁もその意を受けて、過ちをかざるを小人とし過ちを改めるを君子とする(四七六・四八九)。『孟子』(公孫丑下篇)に、「古の君子は過ちてはすなわちこれを改む。今の君子は過ちてはすなわちこれに従う。」とあるのも、同じ流れの考え方だ。

『新訳論語』 講談社学術文庫


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