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妖精の系譜 №11 [文芸美術の森]

妹を連れ戻す冒険『チャイルド・ローランド』

       妖精美術館館長  井村君江

『チャイルド・ローランド(ローランド公子)』もスコットランドに伝わるバラッドである。ローランドはアーサー王の息子となっており、妹のバード・ヘレンが三人の兄たちとボール遊びをしているときに、エルフランドの王にさらわれるが、ローランドがマーリンの助けによって小妖精王と戦って妹を連れ戻す話である。シェイクスピアはこの伝説を『リア王』(第三幕四場)で道化の台詞の中で言わせている。              
 十九世紀になるとロバート・ブラウニングが、『男と女』(一八五五)の中に劇的物語(ドラマティックロマンス)の一つとして『チャイルド・ローランド、暗黒の塔に見参』という題でこの物語を詩にしている。困難をおかして冒険の末に目的の暗黒の塔に辿りつくまでを、人生の苦悩の道としてアレゴリカルに描いたものである。この「暗黒の塔」は、エルフ王の棲み家である。「一言もしゃべらない」というのはローランドに課せられたタブーであった。この他「一口も食べるな、一滴も飲むな」という禁止もタブーに入っているし、「道を訊いた相手の首をはねよ」というのが条件として課せられている。この物語では妖精界での特別な決まりや条件などがかなりはっきりと定まって描かれている。
 まず物語を追いながら見てゆくと、教会の向こうへ蹴られたボールを取りに走ったバード・ヘレンは、太陽のめぐる方向とは反対に、つまり逆時計まわり(ウイングシン)に走ったので、エルフ王がヘレンを妖精国へ連れ去ったのであった。マーリンの説明では、「太陽を真正面にしたのでヘレンの影が真後ろに落ち、妖精がその影を捕え連れ去った」ということになる。二人の兄は妖精国へ妹を奪還に出かけたが戻らなかった。ローランドが出かけるとき、母は父王の大きな魔法の剣を与えた。
 妖精国に来たことは「空気の味が違うのを感じ草の緑がいっそう明るく光る」のでわかるのであるが、境界はついていない。しかし暗黒の塔の宮殿は黒い大きな高い塚にある。その丘の暗い斜面の扉は、まず太陽に面と向かい、「三度回りをめぐってから三度地面を踏みならす」と言うと開く。ここまでくる道は険しく、馬の群れを追う男、牛の群れの番をする老人、鶏飼いの老婆の順に道を教わるのであるが、この人々の眼が「月の光の中の猫の目のように光って」いたり、「寒い日の北風のように淋しがった」り、「乾いて真白く動きがなかった」り、異様な目つきをしているので、この世の人間でないことがわかる。ローランドは次々と首をはねてゆく。
 丘の中は明るい光線が射しており、偽りのヘレンが食物と飲物をさしだす。しかしにせものと見破ったローランドが首を切り落とすとかき消え、本物のヘレンが駆けてくるが、三一日も口をきくことを許されていなかったので、悲しそうな表情を見せるだけだった。.ローランドが酒杯を唇までもっていったからである。しかしローランドはタブーを思い出して杯を放り出す。その大きな音を聞きつけてエルフ王がやって来る。プリッグズの再話では、

  フェーフィーフォー、ファム!
  キリスト教徒の血が匂うわい。
  生きていようが死んでいようが、
  剣で頭をぶち割って、
  脳みそ引き出してやろうわい!

というエルフ王の恐ろしい声がひびいてくる。シェイクスピアもこの言葉を引いているが、『リア王』ではこうなっている。

  チャイルド・ローランドは暗黒の塔までやって来て、
  一言も言葉を発Lはしなかった。
  フィ、フォ、ファン、
   イギリス人の血が匂うわい。

 シェイクスピアの研究者バリウェル=フィリップスの説によると、一行目はバラッドから来ており、二、三行目はイギリス昔話の『巨人退治のジャック』からシェイクスピアが借りて来ているということである。「フィ、フォ、ファン」というのは、伝承物語では巨人や悪魔たちが発する特別の合いの手の言葉になっている。ローランドは父王の剣を抜き妖精王と渡り合って相手を打ちすえ、ヘレンと兄たちの魔法を解くやり方を白状させる。「赤い透明な油」を死んだように横たわっている二人の兄に注ぐと、彼らは息をふき返す。ヘレンも自由の身になっており、四人は喜び合いながら母の待つふるさとへ帰っていくのである。
 妖精にさらわれた妹、それを取り返す冒険、課されるタブー、それに耐える忍耐心、戦いに勝つ勇気と強さ、それらをつらぬく妹への愛情が、エルフ王に打ち勝たせたのである。しかし魔法使いマーリンの有効な助言、父王の魔剣の助けも大きな要素になっている。妖精王国は暗黒の塔で、それが丘の中にあり、扉は丘の中腹にあって、それを開けると、中は明るい光が射す妖精国になっている。さまざまなタブーに耐えながら最後に兄と妹を救い出すチャイルド・ローランドの物語は、妖精の力に打ち勝つ人間の強さをよく見せている。
 伝承では妖精にさらわれた人々の話が多いが、中世ロマンスには妖精にかどわかされてもそれを人間が妖精の国まで行って取り戻す、すなわち妖精に打ち勝つ人間の話が多い。ロマンスでは騎士や王の冒険談、異界へ、妖精の国まで行く勇気と愛情が、物語で強調されるためであろう。

[妖精の系譜』 新書館


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