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西洋美術研究者が語る「日本美術は面白い」 №66 [文芸美術の森]

           歌川広重≪名所江戸百景≫シリーズ

            美術ジャーナリスト  斎藤陽一

          第17回 「大はしあたけの夕立」

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≪雨の新大橋≫

 広重の連作「名所江戸百景」シリーズ、前回は、ゴッホが模写した「亀戸梅屋舗」(第30景)を紹介しましたが、今回もゴッホが模写したことで知られる「大はしあたけの夕立」(第53景)を取り上げます。夏の夕立を描いて傑作とされる一枚です。

 画題には「大はし」とありますが、この絵に描かれた橋は、現在の「新大橋」にあたります。元禄6年(1693年)、幕府が日本橋地区と深川との往来の便宜を図るために架けた橋で、上流に両国橋(旧名「大橋」)があったため、この橋は「新大橋」と名づけられました。

 広重が描いたのは、日本橋川から新大橋越しに対岸を望む雨の光景です。この対岸の地名が「安宅:あたけ」です。対岸には幕府の「御舟蔵」があり、その御舟蔵に、将軍の乗る御座船「安宅丸」(あたけまる)がつながれていたので、そのあたりの地名が「安宅」になりました。

 広重は、急に降りだした夕立に橋の上を右往左往する人たちを中心に、隅田川の流れと対岸の家並みを描いています。
 「名所江戸百景」(全119景)の中で、“雨の情景”を描いた作品はこの絵を含めて3点なので、決して多くはないのですが、やはり広重は雨の情景にはすぐれた腕を発揮しています。

66-2.jpg 「浮世絵」シリーズ第12回で紹介した連作「東海道五十三次」中の「庄野白雨」(右図)も、激しい夕立を描いて見事な作品でした。
 特に、せり上がる坂道、それと交差する雨足、雨の線と逆方向に傾く竹林、坂道を前のめりになって駆け下る人物の動きなど、いくつものX型の交わりで構成する巧みな構図が、突然の激しい雨と強い風が生み出した緊迫感を増幅しています。
 
≪巧みな構図と彩色≫

 この「大はしあたけの夕立」も、「構図」の巧みさが見どころのひとつです。

 「対岸」を左上から右下へと傾斜するシルエットでとらえ、「大橋」はこれとは逆に左下から右上にせり上がる傾斜に描き、その間に水かさを増した「墨田川」を配している。
これだけでも、あわててカメラのシャッターを切ったかのような緊迫した不安定感が生まれます。
さらに、川面を下る「筏」も、対岸に呼応した傾きで鋭い線のごとくに描かれているので、水に流されるまま大橋に突き刺さるような錯覚を生む。
 画面に施された「雨の線」もやや右に傾き、かくして、いくつもの斜線が交錯して、突然降って来た夕立の緊迫感が増幅されます。
 しかも縦長の画面なので、橋・川・対岸の左右が切り落とされた凝縮した光景となり、強い視覚効果を生んでいる。雨足を無数の長い線として表せるのも「竪型」画面ゆえの効果であり、激しい雨の勢いを感じさせるものとなっています。

 彩色と摺り技にも目を向けよう。
 「空」と「対岸」と「水」の主調は濃淡の青い色。それにぼかしを施すことで湿潤な空気感を醸す。橋脚は墨色に沈めている。一方、橋の上には明るい色を配し、橋を舞台として右往左往する人々を浮かび上がるように見せています。
 上部の濃い暗雲、対岸の煙る風景、橋の下の濃紺の水面などに駆使されている「ぼかし技法」が、引っ掻いたような無数の雨足の彫線とあいまって、沛然と降る夕立の効果を高めています。ここには、きわめて高度な彫りと摺りの技が発揮されています。この絵は、絵師と彫師と摺師の三者すべてのすぐれた技が組み合って生まれた傑作なのです。

66-3.jpg 大橋の上の人々にも目を向けよう。
 猛烈な勢いで降り出した夕立の中、人々は思い思いのポーズで橋を渡り切ろうとしています。
 左に向かうのは、着物の裾をからげ、唐傘をすぼめて速足で急ぐ女二人連れ。そのうしろには、着物を腰までたくし上げ、腕まくりして駆け抜けようとしている男が。
 対岸方向に向かうのは、一本の傘に身を寄せ合った男ふたりと、ゴザを頭からかぶって前かがみになって走る男…いずれも顔を隠して描かれているので、雨の強さを感じさせて効果的です。人物たちには、わずかに赤や黄色、緑色などが施され、画面のアクセントとなっています。

≪ゴッホを魅了した日本≫

 オランダからパリにやってきたゴッホは、浮世絵に魅了され、前回紹介した「亀戸梅屋舗」とともに、この絵も模写しています。広重の原作と並べてみましょう。(下図)

 ここでもゴッホは、額縁のような枠の中に日本文字を装飾的に描き、掛け幅のような体裁にしていますね。
 原作の構図の卓抜さに感動したのでしょう、ゴッホの模写も、一見、原作に忠実なように見えます。しかし、油絵具を使ったゴッホの筆致はもっと激しく、雨は土砂降り、川の流れはうねり、対岸の風景も騒いでいる、といった感じですね。広重の原作よりもはるかに強く激しい色調になっている。
前回(「亀戸梅屋舗」)に述べたとおり、この模写もまた、原作を触媒として、自分の激しい感情をぶつけているかのような強い絵になっており、浮世絵の力を借りながら、ゴッホがより主観的な表現に踏み込んだことを示しています。
 かくして、広重の絵が西洋絵画とは異質な斬新さを持っていたがゆえに、ゴッホの精神を強く揺さぶり、彼が独自の絵画世界を切り開くすバネになった、とも言えるでしょう。

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 「橋げた」に注目してみる。
 広重は、陰に沈む橋げたを墨一色にしているのに対して、ゴッホの橋げたには光があたり、明暗のハイライトがつけられています。ここには、ゴッホが潜在的に持っていた「光へのあこがれ」が反映していると言えます。
オランダ時代には抑え込まれていた(あるいは、意識的に抑え込んでいた)「光に対する渇仰」が、パリで日本の明るい浮世絵版画に出会ったことによって解放され、このあとのゴッホの絵は光あふれるものになっていきます。ついには、日本そのものを「光あふれるユートピア」と思い込み、「日本によく似た(明るい光のさす)南フランス」(ゴッホ自身の言葉)に移り住むことになります。 

≪浮世絵版画は明るい≫

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 私たち現代の日本人は、長い歳月の中で“経年変化”している浮世絵を見ることが多いために、あまり気づかないかもしれませんが、摺りたての浮世版画はとても“明るい”のです。
 浮世絵版画は大量生産を前提とし、まず、「絵師」の描いた絵をもとに「彫師」が色の数だけ版木を彫る。そのあと、「摺師」が版木一枚一枚に色をつけて摺り出すということをやるため、色の複雑な混合は行わず、色彩の面として彩色する。そうすると、塗られた色が鮮やかさを失わずに、顔料の明るさそのままの発色となります。
これは、モネなどが、明るい自然をそのままカンバスにとらえるために意識的に応用した「色彩分割」の原理と同じです。66-6.jpg
 絵具は混ぜれば混ぜるほど「黒色」に近づく。これが近代色彩学でいうところの「絵具の混合の原理」ですね。ところが、印象派以前の西洋絵画では、たくさんの色彩に満ちた自然を描くとき、絵具の数が少ないために、いろいろと混ぜ合わせて色を作り出し、カンバスに塗るということをやってきた。だから、伝統的な西洋絵画は暗かった。

 しかし、モネら印象派の画家たちは、絵具をパレットの上で混ぜ合わせることをしないで、チューブから絞り出したままにカンバスに「筆触」として置いていくということ(「色彩分割」)をやり、西洋絵画はいっぺんに明るくなったのです。

 一万枚もの浮世絵を保管していた画商サミュエル・ビングの屋根裏に行き、浮世絵研究に没頭したゴッホは、たちまち浮世絵の明るさに魅せられてしまったことでしょう。その感動はそのまま「光あふれる日本」への憧れに高まっていった・・・

 最後に、ゴッホが南仏アルルに行って間もなく描かれた「はね橋」(1888年)を示しておきます。明るさと鮮やかさが全開になっているような絵です。

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 次回は、広重の連作「名所江戸百景」から「猿わか町よるの景」(第91景)を紹介します。浮世絵に描かれた世界では、「夜にもさまざまな色彩がある」(ゴッホの言葉)のです。


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